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奇跡のあとに手を取るひと

 俺を信じて、ナギノ。イオにそう囁かれた瞬間、頭の奥の痺れよりも先に、胸が熱くなる。

 ――あ、また名前を呼んでくれた。

 その事実が嬉しくて、思わず微笑んだ。

「うん、やってみる」

 私の返事に、イオは静かに頷いて一歩下がる。再び空を仰ぐと、重く垂れ込める黒雲が今の自分を映しているように見えた。


 ……成功したら、また名前を呼んでくれるかな。前みたいに、普通に喋ってくれるかな。


 雨が降る中、突破口を求めるように、私は無意識に空へ手を伸ばした。

 その指先に、ぱちりと静電気のような光がまとわりつく。

 光が集まり、一気に収束すると――放たれた。


 黒雲に放たれた光は、雷のように鋭く突き進み、それでいて流星のように美しく空を裂く。

 雲の帳を裂くように伸びた光の軌跡は細い。しかし雲が裂けると、裂け目から黄金の光がわずかに見えて、地上を照らした。

 ぱらぱらと降っている雨に光が屈折し、淡く七色の弧が浮かび上がる。


 その瞬間、誰もが息を呑んだ。

 光に包まれた空へ手を伸ばす自分の姿が、夢のように遠く感じられる。

「ああ、流れ星みたい……」

 真っすぐに伸びた光線を眺めながら、呟いた。


 ふっと雲の裂け目が閉じる。虹も淡く消えていくと、再び雨音だけが場を満たした。


 手を下ろし、後ろを振り返る。

「……できた、かな?」

 イオも、ジョアも、遠くのエフィナたちも呆然と立ち尽くしていた。

 私の声で、イオがようやく小さく息を吐く。

「はい。……よく出来ていました」

 目を細めて穏やかに笑う姿に、ようやく肩の力が抜ける。


「――ナギノ様ぁぁ!!」

 泥を跳ね散らしながら、ゴルジョが大声とともに突進してきた。

 赤い外套を泥で汚されたジョアは顔をしかめたが、ゴルジョは構わず私の両腕をがっしり掴む。

「今のは素晴らしかったですぞ! まさに神の御業、奇跡!!」

 ゴルジョに掴まれた腕がぐわんぐわんと力いっぱい上下に揺さぶられ、身体ごと吹き飛びそうになった瞬間、別の手が割り込む。

「ゴルジョ様! ……それ以上はナギノ様の腕が取れます!」

 イオが必死に止めるとゴルジョは一瞬目を丸くしたものの、すぐににかっと笑い、私の腕を離した。そして代わりにイオの背中を豪快に叩く。

「いやぁ、良かった! 今ほどの規模が発動できるなら安心しましたぞ、がはは!

 お前も護衛騎士として鼻が高いだろう、なあ!?」

 さっき大聖院前でもイオの背中を叩いていたけど、それとは比にならない力だ。

 轟音のような衝撃に、イオは息を詰まらせながら「仰る、通り、です……」と必死に答える。

 ……完全にパワハラだ!

 私が慌てて止める後ろで、ジョアは舌打ちを残して無言で立ち去っていくのが見えた。


「……それではこれで! 他の者にも報告してまいります!」

 ゴルジョも満足したのか、側近を連れて訓練場を出ていく。

 安堵して私もエフィナの元へ戻ると、彼女は頭の上で大きく拍手していた。

「ナギノさまー! 神様って感じで、すごかったです!」

 照れくささに頬が熱くなり、思わず笑みがこぼれる。

 だがすぐに笑みを収めて、私はイオの方へ向き直した。

「イオ。……『イリサグ』さんのこと、話してくれる?」

 予想していたのか、イオの表情は硬いが動揺はない。

 エフィナは「イリサグ様がどうかしたんですか?」と小首を傾げている。

 イオは深く息を吐いた。

「……ご説明は必ずします。その前に、スーウェン様たちに相談させてください。

 この剣に、誓います」

 腰に佩いた剣に手を置く。真剣な眼差しに、嘘は感じられない。

「……うん、分かった。よろしくね」


 私がうなずいたその時、訓練場の外からざわめきが迫ってきた。

 階段の上や、今日通ってきた騎士棟の別棟の方から、大勢の人々がこちらを見下ろしたり、集まってきている。


「ナギノ様!」

 見物人の群れの中から現れたトルユエが、勢いよく階段を駆け下りてくる。


 ……この光景、つい最近も見たな。あの時は、誰かとすれ違っていたような気がする。


「さっきの魔法はナギノ様ですよね? 偶然近くで見られて、感激しました!」

 目の前で褒められ、思わず口元がゆるむ。だがすぐにハッとして、彼の腕を掴んだ。

「ちょ、トルユエさん!」

 そのまま端の方へぐいぐいと引っ張り、驚く彼に声を潜めて訴える。

「スーウェンさんに何てこと言ってくれたんですか!

 ……す、『好き』っていうのは、その、『推し』って意味ですから! 前に説明してませんでしたっけ!?」

 推し?と首を傾げる反応は、スーウェンと全く同じだ。ああもう……!と頭を抱える。

「『応援する人』って意味です! もともとトルユエさんが言ってたんじゃないですか!?

 そのせいでスーウェンさんの様子が変になって……』

「――ナギノ様? 先ほどの光は……」

 かつかつと響く足音とともに、騎士棟の別棟の方からスーウェンが近づいてくる。


 ……みんなそんな近くにいるってことある?


 冷や汗をかきつつ、私は2人にさっきの光線の魔法について説明した。ゴルジョが興奮して腕をぶん回してきたことまで話すと、無表情で聞いていたスーウェンが「失礼します」と言い、すっと私の両手を取る。

「えっ?」

 急なスーウェンの行動に驚く間もなく、彼は私の袖をそっとまくり上げる。思わぬ感覚に、ぞくりとした。


 私の前腕はゴルジョに掴まれた部分にくっきりと赤く手形が残っていた。見た途端、何だかジンジンしてくる。

「わ、なにこれ!?」

 声が裏返る。どれだけゴルジョは力強く掴んでいたんだろうか。

「うわぁ……ゴルジョ様、容赦ねぇな。よっぽど振り回したんですね」

 トルユエも顔を引きつらせる。

「腫れるかもしれません。……少しお待ちください」

 スーウェンは眉一つ動かさず、腰に着けた革袋から小さな魔石を取り出すと、私の腕にかざした。

「――"癒せ"」

 魔石は一瞬きらりと煌めくと、そのまま溶けるように消えていく。

 同時に私の腕に着いた手形と、痛みがすっと引いていった。


「うわぁ……! すごい! 痛いの無くなっちゃった!」

 今まで魔石を使ったことはあっても、自分自身に使われたことはなかったので、初めての体験に思わず目を輝かせる。


 スーウェンは、私の両腕にかざした手を――そのまま私の手へ、そっと重ねた。


「これで大丈夫でしょう。他にも何かあれば仰ってください。

 ……あなたは大事ですから」


 私の手は、彼の手に上下を挟まれた格好だ。

 息が詰まる。突然の出来事に目を見開いたまま、私は固まった。

 ――その時、横から伸びてきた腕が、まくり上げられた袖をすっと下ろす。


「スーウェン様。他人の前で女性の肌を晒すのは……いかがなものかと思います」

 静かな声で、イオが咎める。同時に、スーウェンの手をさりげなく離した。

 まだスーウェンの片手は私の手を握ったままだ。無表情で、視線だけをイオへ向ける。

 視線を向けられたイオは、口を結んで、じっとスーウェンを鋭く見据えた。


 ……え、なに。どういうこと?


 呆然と2人を見上げる私の隣で、トルユエも言葉を失っている。


 スーウェンとイオはしばらくお互い視線を交錯させていたが、スーウェンがすっと目を閉じ、小さく息を吐いた。

「……ナギノ様、配慮に欠けました。申し訳ありません」

 静かに手を放す。手は離れたが、私の手は固まって宙に浮いたままだ。

「あ、いえ、別に……腕くらい、全然大丈夫です。

 な、治していただいてありがとうございます」

 慌てて言葉を繋ぎ、ぎこちなく手を下ろす。それを見たスーウェンは軽く会釈して、背を向けた。

 その背中を見送りながら、トルユエが小声で「どういうことです?」と尋ねてくる。むしろ私が訊きたい。


 スーウェンの背を見送った後、横を見れば――イオが冷えた眼差しを落としていた。眉間に皺を寄せ、複雑そうな表情だ。

「……俺がいなかった間に、随分仲良くなったんですね」

 憂いを帯びた声には、わずかな棘を感じる。

「……私もよく分かんない」

 正直に返したつもりだったが、イオはすっと顔を逸らし、「スーウェン様、少しご相談が……」と言って後を追って行った。


「……スーウェンさん、なんだか変じゃないですか?」

 少し離れた所でスーウェンとイオが喋る姿を眺めつつ、隣に立つトルユエへ尋ねる。

「いやぁ……あいつは昔からよく分からない奴なんで……」

 トルユエは頭をかき、遠い目をする。

「酒が入れば変わるんですけどね。あいつ、『僕』とか言うんですよ」

「えっ、僕って言うんだ!?」


 それは意外すぎる。……って、違う違う!


「じゃなくて! トルユエさん、『推し』の話の他にも、何か変なこと吹き込んでませんよね?」

「いやぁ……どうだったかな……」と首を捻る。その仕草は、何だか私のお父さんと重なって見えた。頼りない感じがそっくりだ。


「――トルユエ。来い」


 イオとの会話を終えたスーウェンが、低い声で呼び寄せる。

 いつもの無表情のスーウェンの顔に、深い険しさが刻まれていた。



シンプルに光が飛んでって、虹が出ました。

次は相談。

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