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忘れられた護衛騎士

 訓練場へはいつも中央庭園を抜け、騎士棟へ直行していた。だが今日はゴルジョの案内で、大聖院と屋根続きの統制院を経由する。

 統制院は様々な部門ごとに建物が分かれていて、そのいくつかが大聖院や騎士棟へ繋がっているらしい。少し遠回りになるが、雨に濡れずに騎士棟まで行けるそうだ。


 ……もしまたジョアに出くわしたらどうしよう、と不安だったけど、幸い会わずに済んだ。

 しばらく歩いて騎士棟に入り、階段や廊下を抜けて訓練場へ辿り着く。


 外ではまだ雨がぱらぱらと降り続いていた。

 全く気にする様子もなく、ゴルジョが腕を組んで声を張り上げた。


「さあ、ナギノ様! 思う存分にどうぞ!」

「……送ってくれてありがとうございます。……あの、帰らないんですか?」


 動く気配が感じられない。尋ねても、彼はにかっと白い歯を輝かせるだけだ。

 ……見学するつもりなの?


「ナギノ様、行きましょう」

 内心で盛大な溜め息をついた時、後ろからイオに話しかけられた。

 ゴルジョ達に見られるのは嫌だったけど、文句を言っても仕方ない……と諦めたその時、今更なことにふと気付いた。


「……あ、傘ない!」

「どうぞ。直前に着ないと暑いですからね」

 エフィナが薄手の外套を肩にかけてくれる。折り畳んで持っていてくれたらしい。

 どうやら傘の習慣はないようで、イオに至っては「この程度の雨なら不要ですから」と外套すら着ない。

 濡れたら着替えが大変なのに……と心配しつつ、訓練場へ向き直った。


「本当は屋根のある所から出来たらいいんだけど……もし強い魔法が発動した時のことを考えたら、建物に近いと危ないもんね。

 ……ごめんねイオ、濡れちゃって。なるべく早く終わるように、頑張るから」


 グラウンドみたいな土質なら良かったのに、ここは雑草が生えているような所だ。硬いようでいて、公園みたいにあちこちに出来た水たまりをひょいひょい避けながら、イオに謝る。

「俺は大丈夫ですから、気になさらないでください」

 足元ばかり見る私と違い、イオは私を見ている。本当に気にしてないみたいだ。


 エフィナ達から遠ざかった時、ふと思い出したことを口に出した。

「……試験、延期になっちゃって、残念だったね。あんなに頑張って訓練してたのに」

 いいんです、とイオは苦笑する。

「事情が事情ですから。延期になっただけですし、また受けられますよ」


 イオの丁寧な話し方を聞いて――離れた位置にいるエフィナ達に聞こえるとは思えないけれど、何となく声を潜めた。

「……そういえば昨日、名前、呼んでくれたね。

 話し方も砕けてたし……その、驚いたけど、嬉しかった」


 イオは大きく目を見開く。しかしすぐに目を伏せると、片手で後頭部からうなじにかけて撫で押さえた。


「あれは、咄嗟のことというか……あなたが、じっとしなかったので……」

 下ろして!とずっと訴えていた覚えしかない。思わず「……ごめんなさい」と項垂れた。

 するとイオは大きく深呼吸した。ちがうんです、と小さく呟く。


「そうじゃなくて。ただ、その……あなたが……」


 語尾がすぼまり、よく聞こえない。思わず「え、なに?」と耳をイオに寄せるも、彼は顔をすっと逸らしてしまった。

「何でもありません。……雨がまた強くなっても大変ですから、始めましょう」

 イオは顔を逸らしたまま話す。確かに、と私は前へ向き直すと、そのまま空を仰いだ。


 部屋を出た時はしばらく雨は止みそうにないと思っていたけれど、思いのほか早く雨足が弱まって良かった。それでもぱらぱらと降る雨に、雲はどんよりと重く垂れこめている。まだ時々、かすかに遠雷が聞こえた。


「……『雷は、空気中の電位差が限界を超えると発生する』んだっけ……」

 教職課程の何かの授業で言ってた気がする。……理科の実験は好きだけど、座学は眠いんだよ。

 授業で爆睡しちゃって、「おはよ。次、なんの授業か覚えてる?」って教室移動してきた伊織に笑われたなあ。


 ……伊織、元気にしてるかな。お母さんたちも、みんな心配してるだろうな。


 ――じゃぐ、と水分を含んだ土を踏みしめる音が聞こえた。

 音が聞こえる方へ振り返ると同時に、ざっとイオの背中が立ち塞がる。


「……うまくいきそうですか?」

 聞き覚えのあるおじさんの声が、イオの背中越しに聞こえた。


「ジョア様。……何か、ナギノ様に御用ですか?」


 イオの背中からちらりと覗く。

 ジョアは黒いロ―ブの上に、派手な赤い外套を着ていた。


 ……なんで赤色をチョイスしたんだろ。全然、似合ってない。


 イオは右手を剣の柄に掛け、左手は私を庇うように後ろ手へ回している。彼の背中と手がすぐ傍にあるからか、私は意外と落ち着いていた。

 ジョアが、いかにも作り笑顔を浮かべる。


「ナギノ様が、どうも魔法がうまく発動しなくて、悩まれていると聞きましたので。

 もしまだ苦労なさっているようであれば、我が研究部門が協力いたしましょうか?

 うちには、サホノ様が過去に行使した魔法について、研究資料も揃ってありますよ」

「えっ……そんな資料があるんですか?」

 初めて聞く話に、思わず反応してしまう。そんな資料があるならもっと早くに知りたかった。

 私が興味を示したからか、作り笑顔でなくジョアはにったりと笑い――招くように、手を動かした。

「ええ。ぜひ見せてさしあげます。

 ……前回、落ち着いて観察もできませんでしたから、そちらも併せて確認しましょう」


 隅々までね、と聞こえた気がして――ぞわっと鳥肌が立ち、一気に血の気が引いた。


「……い、いえ。やっぱり、やめときます……」

 声がうわずる。覗かせていた顔を引いて、イオの背中へ隠れた。

「まあ、そう言わずに」と言い返してくるジョアの粘着性のある声が、全身に絡みついてくる。


「……だって神なのに、うまくできないんでしょう?」


 ――無意識に、イオの左手を指先で掴んだ。

 私が掴むと、彼の手は一瞬震える。次の瞬間、私の手を強く握り返してくれた。


「……ジョア様。その物言いは無礼すぎます。

 それにナギノ様は既に何度も、魔法の使用に成功しています。ただの侮辱ですよ」


 低く冷たいイオの声が、ジョアへ投げられる。

「お前には、聞いていない」

 ジョアは顔を歪ませた。

「それに過去に何度も成功した"攻撃"は、せいぜい1回だけだろう?

 ――護衛騎士を吹き飛ばしたのは魔石だったし、その程度の魔法ではナギノ様が目指す『圧倒的な魔法』には程遠い……」

 途中の言葉に引っかかって、話の後半部分からあまり耳に入ってこなかった。


 ……護衛騎士を吹き飛ばした? 私が?


 なんの話だろうと考えて、ふと、脳裏に猫の姿がよみがえる。


 そうだ。私は猫を吹き飛ばした。死んだんじゃないかと思って、血の気が引いたんだ。

 ……その前に、私は誰かと口論した?


「……だれ?

 わたし、護衛騎士の誰を吹き飛ばした……?」

 呟き声だったにもかかわらず、イオと喋っていたジョアは喋るのを止め、応じる。


「『イリサグ』ですよ。忘れましたか?」


「……ジョア様! これ以上の邪魔立てはおやめください!」

 私が目を見開くのを横目に、イオが鋭く声を放った。だがジョアはハッと鼻で一笑する。

「邪魔だと? 強力な魔法が使えさえすれば、こんな提案も不要だ。

 ……ナギノ様は本当に、できるんですよね?」

 試すように、たっぷりと皮肉をこめて投げかけられた問い。私は――答えられない。

 その時イオが振り返って、私の両手を強く包んだ。

「……イリサグの件は後で必ず説明します。

 とにかく今は、魔法に集中しましょう」

 イオの顔は真剣そのもので、目の奥に強い光が宿っている。

 私は何も言えず、ゆっくり頷いた。


 手を離し、イオとジョアから数歩離れる。

 ばちゃ、と水たまりを踏んだ。じんわりと靴に水が染みていくのを、呆然と見つめる。


 ……『イリサグ』って人のこと、どうして思い出せないんだろう?


 頭の芯が痺れているようだ。

 時間が経つのを感じても、頭がうまく働かない。


「……ナギノ様」


 離れたはずなのに、いつの間に近付いて来ていたのか、気付くとすぐ後ろにイオがいた。

 熱を含んだような静かな声で、言葉が続く。


「俺は何度も、あなたの力を見てきました。

 少し上手くいかない時があっても、あなたなら絶対できます」


 そっと身を屈め、ジョアにも聞こえないくらい小さな声で囁いた。


「大丈夫、落ち着いて。……俺を信じて、ナギノ」



もうちょっといくか迷って、長いので区切りました。

次こそ雨の中頑張る。

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