雨降る日、髪を撫でる手
「――ナギノ様の日中の護衛ですが、今後はなるべくイオが担当します」
遅い朝食を終え、軽くシャワ―も浴びてさっぱりした頃。
部屋を訪れたス―ウェンは、開口一番にそう告げた。
「えっ。でも光騎士の試験が来月にあるから、日中は訓練に参加するんじゃなかったんですか?」
「それを言っていたのはトルユエでしょう。それに試験は延期になりました」
「延期!? どうしてですか?」
思わず、後ろに控えるイオを振り返る。だが彼は動じず、静かに話を聞いていた。
「帝国の動きが活発化しています。一部地域には避難命令も出ました。
同時期に行われる防衛演習のため、関係者も不在になります。試験は後日、落ち着き次第です」
「避難命令……」と呟いた。
……やっぱり本当に戦争なんだ。私の魔法、間に合うのかな。
胸の奥が冷たくなる。服の裾をぎゅっと握りしめ、気を引き締めて顔を上げた。
「……えっと。それで、イオの担当と、何の関係があるんですか?」
「上からの指示です。正確には"ご提案"ですが、問題なければその通り手配します」
上というのは、ゴルジョさん達のことだろうか。何でそんな提案をしてきたんだろ?
「私の方は問題ありませんけど……。ただ、護衛以外にも他の業務ってあるんですよね?
日中ずっとこっちに来ちゃっても大丈夫なんですか?」
イオは昨日まで別任務も受けていたし、ス―ウェン達も護衛に就いてない時は別業務をしているらしい。
「イオを専属護衛の筆頭とします。なので他の業務は免除し、夜間や休憩時間は我々が担当します」
今までは各業務の優先順位や稼働時間に応じて、みんなで変則的にシフトを組んでいたけれど、今後はイオが中心になるそうだ。
ちなみに休日は週1日だけ。……ブラック勤務な気がするけど、本当に大丈夫なんだろうか。
「……俺は構いませんが、夜当番をするス―ウェン様達にご負担はかかりませんか?
日中に仮眠が必要でしょう」
イオが気遣うと、ス―ウェンは変わらない無表情で淡々と答える。
「問題ない。ただしル―リは防衛演習に参加するため、基本は3人で回すつもりだ。
……イリサグは夜間のみ担当する」
あ、これイオが話していた護衛の1人だ。もう少し聞いてみようと「あの、」と口を開いた時、
「――防衛演習はどこで行われるのですか?」
イオが重ねられ、私の声をかき消した。
ス―ウェンは一瞬だけ私をちらりと見たものの、すぐに「マルダ河の中流域だ」と返事をした。
それを聞いて、講義で習った地名を思い出す。
「マルダ河って……国の東を流れる大河ですよね?」
西に聖サルフェリオ、東にガルメザル帝国。その国境をなす大河の名前だったはず。
「はい。帝国の渡河を想定した演習です。他にも夜間行軍や視認訓練が予定されています」
説明してくれても意味がよく分からず、とりあえず「へぇ……」と相槌を打つ。
「ともかく。護衛の件は、ナギノ様も了承されたと理解してよろしいですか?」
私が頷くと、ス―ウェンは小さく息を吐いた。
そしてイオに向かい、「報告は後でもいい。先に5分ほど休憩してこい」と指示する。
イオは了承し、足早に部屋を出て行った。
……休憩5分って。トイレ行ってお茶飲んだらもう終わりじゃないか。
仕事って本当に大変だなあ。私も社会人になったら、昼休み以外に休憩なんて無いのかな……なんて、のんきに考えていると。
「ところで、トルユエから聞いたのですが……。ナギノ様は、イオがお好きなのですか?」
――思考が一瞬で全て吹き飛んだ。
「は、はい……!? ととと、トルユエさん何言ってくれちゃってるんですか!?
そ、それはあれですよ、『推し』って意味ですから!!」
ス―ウェンが「推し?」と首を傾げるので、以前トルユエが説明してくれたように『応援する人のこと』と伝えると、ああ、と納得したように頷いた。
「そういうことでしたか。てっきり、違う意味なのかと」
違う意味って、つまりそれは恋愛的な意味だろうか。顔を真っ赤にさせながら、私は全力で首を横に振って否定する。
……私は伊織が前から好きだ。でも、伊織には好きな人が別にいる。
イオは伊織にそっくりで、優しくて強い。急に距離感を詰めてきてめちゃめちゃ翻弄されるけど、傍にいてくれると嬉しい。
……でも私はイオを見ているようで、伊織を見ているような気もする。
自分でもよく分からなくなってきて、う―んと考え込んでいると。
――ぽん、と頭に重みを感じた。
「え?」
突然、ス―ウェンが頭に手を置いていた。驚いて彼を見上げる。
相変わらずの無表情……と思いきや、ほんのりと目元を細めた。手はそのまま、ゆっくりと私の髪を撫でていく。
「……えっと。ス―ウェン、さん? どうかしました……?」
恐る恐る尋ねる。でも撫でる手は止まらない。
ス―ウェンは――わずかに口元を緩めて、口を開いた。
「……可愛い」
頭が真っ白になった。
入室を告げる鈴が鳴ったことにも気付けず――がちゃり、と扉が開く。
「失礼し、ま……」
入ってきたイオが、凍りついたように立ち尽くした。
ス―ウェンはすっと手を離すと、いつもの無表情に戻る。
「では報告してまいりますので、失礼します」
そう言って踵を返し、ぎこちなく扉の前から退いたイオの横を通り抜け、部屋を後にした。
…………え。今の、なに? 夢?
沈黙する室内。横目で見ると、エフィナが両手で口を押さえ、ぽかんと固まっている。
扉の前に立つイオは目を伏せ、ためらいがちに口を開いた。
「……俺は、急いで戻らない方が良かったですか?」
とても申し訳なさそうに言ったイオに、私は全力で否定する。
「全然そんなことないから!! 早く戻って来てくれてありがとう!!」
……何とも言えない空気の中、これからどう過ごすかを話し合うことになった。
一応、私が目覚めたばかりという理由で「今日は部屋でゆっくりした方がいい」とエフィナは気遣ってくれる。
……でも、さっき避難指示の話も聞いたばかりだし、のんびりしている暇なんてない。少しでも早く魔法を発動できるようになりたい。
だから「練習がしたい」と伝え、訓練場へ行くことにした。
廊下へ出ると、大きく開いた窓から外が見える。
雲は低く垂れ込み、雨がしとしとと落ちていた。遠ざかる雷鳴がかすかに聞こえ、嵐の勢いは過ぎたようだけど、それでもまだしばらく雨は止みそうにない。
「こんなお天気なのに、本当に練習しに行くんですか?」とエフィナが心配そうに声をかける。
確かに、この雨では外は無理かも……。
迷いつつも「外に出る頃には少しマシになってるかもしれないから」と答え、階下へ降りた。
玄関へ向かう途中、廊下の先に見覚えのある人影を見つけ――思わず「ひっ!」と短い悲鳴が漏れる。慌てて廊下の陰に身を潜めた。
突然の行動に驚いたエフィナが振り返る。その肩を、イオがさっと陰の方へ引き寄せた。
「統制院のジョア様です」イオは小さく告げ、唇に指を立てる。
「……向こうへ曲がるようですから、少し待ちましょう」
この世界へ来た初日に、気持ち悪い目で私を連れて行こうとした挙句、部下にイオを殴らせたおじさんだ。舐めるような視線を思い出すだけで、鳥肌が立つ。
幸いジョアはこちらに気付かず、途中で廊下を折れていった。
「……良かったぁ……」深く息を吐き、肩の力が抜ける。
「ごめんね、2人とも。あの人、本当に苦手で……」
「嫌な目に遭ったのですから当然です。気にしないでください」とイオは落ち着いた声で返してくれる。
「また会うかもしれませんから、早く外へ出ましょう」
その提案に私は勢いよく頷き、三人で足早に廊下を抜けた。
大聖院を出て中央庭園を望む。分かってはいたけど、雨が降り続けている。
「やっぱり無理かなぁ……」と弱音をこぼしかけた時――
「――おおっ、ナギノ様! もうご気分の方は大丈夫ですか!?」
耳にがんと叩きつけるような大声が響く。振り返るまでもなく、ゴルジョだ。
大聖院から大柄な側近を引き連れ、その中でもひときわマッチョな彼は、白い歯をきらりと輝かせてにかっと笑った。
「こんにちはゴルジョさん。……気分は大丈夫ですから、声を落としてもらえませんか」
案の定、彼の声で大聖院内の人々が一斉にこちらを見ている。正直、恥ずかしすぎる。
「はっはっは……! それは失礼しました!
ところでナギノ様はどちらへ? もしや訓練場へ向かわれるのですか?」
声を落としても、地声が大きい。もはや諦め、「……そうです」と私は答えた。
するとゴルジョは嬉しそうに笑い、イオに近付くと、その背を豪快にバンバンと叩いた。
「雨にも負けず練習に励まれるだなんて、立派な心がけですな! お前もそう思うだろう?」
鎧を着ているとはいえ、あの大きな手で叩かれたら衝撃で息が詰まりそうだ。それでもイオは苦笑し、「仰る通りです」と答えていた。
「そうだ!」ゴルジョがぱっと声を弾ませる。
「せっかくですから私も訓練場までご一緒しましょう! 雨など、鍛錬後のシャワ―と思えば何てことありません!
さあ、早く参りましょう! こちらの道なら屋根がありますよ!」
……身体だけでなく、めちゃめちゃ筋肉脳だ……!
もう色々と諦めた私は、「……はい。お願いします……」と白目を剥きながら答えた。
スーウェンの言動にびっくり。
そしてまたもや投稿時間が遅くなりました。明日からはもうちょっと早く投稿したい。
次は雨の中の魔法。




