偽物を傷つけるもの、守るもの
魔石の件から、いつの間にか数日が過ぎていた。
何事もなかったように静かな日常が流れている。
あの日の場面を見た者は限られていた。
……だから多分、あの件は「なかったこと」にされたのだと思う。
夜。
私は机に向かい、かりかりとペンを走らせている。
「……今まで成功は4回。攻撃系は1回だけ、あとは回復系。
攻撃のときは必死で、回復は穏やかな気持ちで……2回は大聖院、2回は騎士棟で発動してて……」
小声でぶつぶつと呟いていると、後ろに立つルーリがくすっと笑った。
「ナギノ様、魔法の研究時間が増えましたね。素晴らしい心がけです」
「ううん、もう頭で考えるだけじゃ限界だから……」
ここ数日、夜になると魔法発動条件について、私はとにかく思いついたことを紙に書き出しまくっていた。
時間帯、場所、気持ち……発動した場を再現できる範囲で再現してみたり。
……結果は散々だが。
でも『圧倒的な魔法』の習得のためにも、へこたれていられない。
「そろそろお休みの時間ですよ」とエフィナに声をかけられて、ペンを止める。
この後ルーリは部屋の外へ出て、イリサグと交代する予定だ。
「……今日もやっぱり、イリサグさんには会わない方がいいですか?」
私の問いに、ルーリは困った顔で「ええ、そうですね」と答えた。
……あれ以来、イリサグとは顔を合わせていない。
どうやらスーウェン達が調整したようで、イリサグは夜中から早朝の護衛に回され、昼間は姿を見せない。時おり騎士棟で遠目に見かける程度で、全く接触がなくなった。
「……私、イリサグさんにちゃんと謝りたいんです。本当に、悪いことをしてしまったから……」
そう言う私に、ルーリは目を閉じ、首を横に振った。
「……今はやめておきましょう。
それに、ナギノ様が謝る必要はありません。……何もなかった、のですから」
何もなかったと聞いて、気持ちがずん、と重くなる。
「……そんなの、ただの権力の悪用だよ……」
消え入るように呟くと、ルーリは複雑な表情で私を見つめた。
翌朝、イリサグと交代したトルユエがやってくると、支度をして、早速訓練場へ向かう。
「今日は先に講義じゃなくて、訓練場なんですね?」
大聖院を出て中央庭園を通り抜ける時、トルユエが尋ねてきた。 最近は午前に講義・午後に練習、というのが定番になっている。
「先生の都合で今日は午後なんです。
すみませんけど、今日も一日よろしくお願いします」
騎士棟前でエフィナとトルユエが位置を前後入れ替える。私がトルユエに頭を下げると、彼は少し困ったように片手で頭を掻き、唸った。
「……前からずっと思ってましたが、ナギノ様は俺たち護衛に丁寧すぎます。
普通はもっと雑に扱いますよ」
護衛の名前を覚えない者もいるらしい。ただの警備員、という感覚なのだろうか。
「でも、トルユエさん達のおかげで安全に過ごせてるんですし。
でも正直、普段は全然危険なんて感じないんですけど、私ひとりだったら危ないんですか?」
「そうですね、色んな奴らがいますから。どいつも一枚岩じゃないですよ。
……ナギノ様も初日に、統制院のジョア様に嫌な目に遭ったって聞きましたが?」
……うわ、久しぶりに聞く名前だ。確かに危険だ。
久しぶりにその名前を聞いて、背筋にぞわりと悪寒が走る。思わず腕を抱いた。
トルユエの先導で騎士棟内に入り、渡り廊下を歩く。
もうこの廊下も歩き慣れたな、と思っていると、急にトルユエがぴたりと立ち止まった。
どうかしましたか、と言いかけてトルユエの背中から前方を窺う。
「……イリサグさん?」
つかつかと、渡り廊下の向こうからこちらへ歩いてくる、イリサグの姿が見えた。
私たちと目を合わせないようにしているのか、その視線は反らされている。
再び歩き出したトルユエに続き、私も歩く。
そしてイリサグとすれ違って――私はぐっと手に力を込めると、振り返って声を張った。
「……イリサグさん! 前は、本当にすみませんでした!
……ずっと私、ちゃんと謝りたかったんです。本当にごめんなさい……!」
頭を深く下げる。
つかつかと歩いていたイリサグの足音が、ぴたりと止まった。
「…………で?」
その声は低く、冷たい。
ゆっくり振り返ったイリサグの顔は、怒りを抑え込んでいる表情だ。思わず、全身に緊張が走る。
「私はその謝罪を受け入れればいいんですか? “何もなかった"ことにしたくせに、今さら何のつもりです?
ナギノ様は、冗談をほざくご趣味がおありなんですね」
冷や汗が背中を伝い、言葉に詰まる。
「おい、言葉が過ぎるぞ」とトルユエが咎めたが、イリサグは鼻で笑った。
「ええそうですね、ナギノ様は神様ですから。
……神様になら、例え敵意を向けられようと、殺されようと、全て受け入れますとも」
イリサグはそう言いながら私を見据え、ゆっくりこちらへ歩み寄ってくる。
咄嗟にトルユエが私の前へ回り込み、「おい、離れろ」とイリサグを制した。
「邪魔だ。……"どけ"」
イリサグがトルユエの手首を掴んだかと思うと、――そのまま渡り廊下の外へ、びゅんと横に放り投げた。
投げられたトルユエは何か叫んだが、そのまま中庭の向こうの壁に、勢いよく打ち付けられる。
頭を打ったのか、こめかみを押さえ、うずくまっている。
突然の出来事に「え…」と声が漏れた。
一瞬呆気にとられた私と、近くに迫ったイリサグとの間に、エフィナが割って入る。
「イリサグ様! おやめくださ……」
言い切る前に肩をがしりと掴まれたエフィナは、短い悲鳴とともにイリサグの後方へ放り投げ飛ばされ、転がっていく。
ほんの数秒の出来事。動けず立ち尽くした私の目の前に、イリサグが塞がった。
「……『敵意を向けられる』っていうのがどういうことなのか、教えてやるよ」
するとポニーテールに括った私の髪を引きちぎらんばかりに掴まれ、頭が跳ね上がる。
「痛……っ! は、放して!」
身長が190センチほどあるイリサグと私は、30センチ以上の身長差がある。私は必死に背伸びして、イリサグの手を放そうと必死に手を掴むが、岩のように固い。
「……怖いか? 自分が何をやったのか、分かったか?」
「わ、分かった、から……痛い、ほんとに痛い……!」
「……分かってないだろ。あんたは下手したらオレを殺してたかもしれないんだぞ。
巻き添えくったのが猫じゃなくて、あの侍女だったら?
吹っ飛ばされたのがオレじゃなくて、……大層ご執心なさっているイオだったとしても、あんた同じように、そんな軽く謝るのか?」
え? なに……?
痛すぎて声が出せない。でも私の声が聞こえたように、イリサグは言葉を続ける。
「うぜえよ。神様のくせに、普通の女みたいな恋愛脳しやがって。
……あんたなんか神様じゃない。認めない。この、偽者……!!」
固く握られたイリサグの手に一層力がこもり、更に上へ引き上げられる。
髪が切れる音が耳を刺し、視界が滲んだ。
もう限界だと思った瞬間――がくん、と衝撃が頭に加わると同時に、浮いていた足が地面に着き、どすんと尻もちをついた。
イリサグが後ろを振り返るより早く、背後から膝裏を蹴られて体勢を崩した。
直後、首の後ろから伸びた手が彼の身体を掴むと、そのまま後方へ勢いよく投げ飛ば下た。
投げ飛ばされたイリサグは、――私の前に立つ、イオを見上げた。
「……これは一体、どういうことですか」
私からは背中しか見えない。
でも……イオとしても伊織としても聞いたことのない、奥底に火を秘めたような低い声に、空気が張りつめた。
「お前、何で帰って……」
「説明してください。どういう状況で、どうして彼女に手をあげているんですか」
イリサグの問いに被せ、畳みかけるようにイオは鋭く言葉を重ねる。
受け身を取って屈んだ体勢だったイリサグは、睨みつけたまま立ち上がった。
「……その女は神なんかじゃない。オレを殺そうとして、そのくせ魔法は満足に使えない?
……偽者なんだよ!」
イオの手がぴくりと動く。わずかに、彼は息を吐いた。
「……例えどんな事情があっても。俺たちは、暗闇を照らす光である星――神を守る騎士です。
騎士ならば、いかなる辛酸万苦も受け入れ、命を捧げて盾となる」
淡々と話しているのに、他に有無を言わせないような、圧を感じる声色。
「……その盾が主を「偽者」だと疑い、ましてや傷つけるなど、許されるはずがない!!」
初めて聞くイオの怒号に、血の気が失せる。
もうみんなやめてほしくて、手を伸ばし「イオ」と声を発する。でも私の口からは、小さく掠れた声しか漏れなかった。
しかしイオは私を振り返ると、身を屈めた。
私がいまどんな顔をしているのかはよく分からない、けど。
イオは怯えた子どもを安心させるように、穏やかに微笑んだ。
「大丈夫。……俺が、あなたを守ります」
宙に浮かんだままの私の手をそっと握りこんで、自身の胸に押し当てる。
その行為に、どんな意味があるかは知らない。
でも、鎧越しに――イオの体温が、伝わってくる気がした。
「……なにお前? どういう立場? お前が神様面したいのか?
……場違いにもほどがある。邪魔だ!!」
苛立ったイリサグが剣に手をかけ、振りかぶる。咄嗟にイオは握っていた手を放すと、私を丸ごと抱きかかえて身を翻し、剣筋から逸れた。
だがイオの腕越しに、第2撃が眼前に迫り――その刹那、黒い影が、彼らの間に割り込んだ。
髪の毛引っ張られたら痛い。
次は収拾をつけます。




