無表情の護衛騎士
「……すみません、スーウェンさん。治せなくて……」
私は大きく息をお腹の底まで吐ききると、肩を落として落胆した。
――訓練場に同行したファレンは、部分的に緑化した地面を見て「素晴らしいですね」と感心した。しかし、サホノもかつてこれくらいの緑化はしていたことがあるらしい。
感心もそこそこに「じゃあ次は、怪我人を癒せますか?」と訊かれ、頬に切り傷のできていたスーウェンに同じ要領で「治りますように」と唱えてみたものの、光の粒が現れることはなかった。
結局、癒しも攻撃も発動せず、失望感たっぷりのファレンは大聖院へ帰って行った。
私はまた色んなお祈りスタイルで試しても何も起きず、まだ何となく頭がぼんやりしていたので、魔法だけでなく魔石の練習も今日はもうやめておくことにした。
そして今は訓練場を後にして、部屋へ戻る途中。
傷を治せなかったスーウェンを、私は申し訳ない気持ちで見上げた。
「私のことは構いません。
それよりも、原因を究明しましょう。何度か成功しているのですから、必ず何か理由があるはずです」
スーウェンは表情を変えず、淡々と話す。
「……何か違いはあるんだと思います。でも私、本当に特別なことは何も思ってないし、言ってもないんです。
さっきは何となく『治りますように』って口にしましたけど、そもそも1回目と2回目は何も喋ってもないですし。そうなると言葉じゃなくて、やっぱり気持ちの問題だと思うんですけど……うーん。真剣に、やってるつもりなんだけどなぁ……」
先導してくれるスーウェンの後ろを、頬を両手で覆いながらうーんと唸る。
騎士棟を出て、中央庭園を横目に見ながら、大聖院の方へ歩く。
ぴた、スーウェンが立ち止まった。「ん?」と私とエフィナも一拍遅れて立ち止まる。
「……ナギノ様の持つ本には、コバに関する記述は他にもありますか?」
「コバ? ……ああ、さっきファレンさんと話してたやつですね。ちょっと待ってくださいね」
ポケットから本を取り出し、私は2人から見えないようにぱらぱらとページをめくる。
「……いえ。ざっと見た感じだと、「コバの何々」みたいな記述はなさそうです」
私がそう言うと、スーウェンは「……そうですか」と短く言い捨て、再び歩き始めた。慌てて私も追いかけるように歩く。
「コバについて、何か気になることがあるんですか?」
すると再び、ぴたりと足が止まる。急に止まったので、ガチンと彼の背中に勢いよくぶつかってしまった。
「ナギノ様、大丈夫ですか!?」とエフィナが心配してくれる。鎧のせいで顔が痛い。
だが衝突されたスーウェンはなぜか後ろを振り返ることもなく、前を見ている。
「……コバは、私の生まれ故郷です」
呟くように言って、ようやく彼はこちらを振り返った。その顔はやはり無表情だ。
「痛……え、そうなんですか? あれ? でも確か……」
ファレンさんは「今はもうありません」と言っていたような……
「……はい。もう30年前に壊滅しました。
当時は公国跡が最も治安の悪い時期だったので、そこから流れてきた連中が山を下りて、村を襲ったんです」
スーウェンの話によると、この国の北部にある大きな山脈の麓にコバがあり、山脈の向こう側に「グラヴェリオ公国」という名前の国があったらしい。ファレンが話していた「聖サルフェリオ北部にあった国」とはこの国のことだろう。
「そうなんですか……その、皆さん、大丈夫だったんですか……?」
「故郷を失う」というのが分からず、かける言葉が見つからない。
「男はみんな死にました。女と子どもは……一部は生き残りましたが、大半は死にました」
途中言葉が詰まったものの、スーウェンの声のトーンはずっと一定で、淡々と話している。
「え、じゃあ……ご家族の……えと、お母様は……?」
「……死にました。姉は生きてたんですが、その後自死しました」
――ひゅっと喉が鳴る。訊いてはいけないことだった、とすぐに悟った。
「……そうなんですか。……あの、お悔やみ申し上げます……」
こういう時は何て言うのが正解なのか分からない。お葬式にすら出たことがない私は内心、途方に暮れる。
「いいえ。もう昔の話です。
……久しぶりに名前を聞いたので、急に尋ねて申し訳ありません」
そう言うと、「お先にどうぞ」と私とエフィナに道を譲る。もう大聖院の入口の目の前だ。
理由はよく分からないけど、騎士棟では騎士が先導し、それ以外は侍女や文官が先導するものらしい。普通は護衛騎士は複数いるので前後に分かれるそうだけど、その辺の決まりはよく知らない。
エフィナがさっと前に出て、私も続く。スーウェンも後ろに続いた。
ずっとスーウェンの表情は、変わらない。
……表情があんまり変わらない所、ちょっとファレンさんに似てるなあ。
それでもファレンはまだ薄く微笑んだり、眉間にしわを寄せたり、まだ分かりやすい。
しかしスーウェンは、ファレンが部屋に突然やって来た時も、今の話の最中もずっと全く表情が変わらなかった。声のトーンもずっと淡々としていて、感情が読み取れない。
別に怖くはないし丁寧だけど、正直よく分からない人だな、と思った。
「……だめだ、何かすごく頭がぼんやりする……」
部屋に着いて、寝不足かな、と目をこする。するとエフィナが「横になりますか?」と気遣わしげに尋ねてくれた。
「うーん……そうだね、ちょっとだけ横になってもいい?」
そう伝えると、スーウェンは他の侍女と交代して部屋の外へ出て行く。そのまま私がベッドに横になろうとすると、「ちゃんと着替えてください!」とエフィナに叱られた。
寝間着に着替えて、まだ外が明るい中、天蓋のカーテンを開けたままベッドに寝転がる。
「……ねえ。何で私、魔法が使えないんだろ?」
私は寝転がったまま、傍に控えているエフィナに話しかける。彼女は椅子に座り、服の補修でもするのか針に糸を通している。
「あたしには分かりませんけど……でも初めの日と、次の日と、それで今日と出来たんですよね?
1日1回だけしか使えないとか、何か制限があるのかもしれませんよ」
何にせよナギノ様はよく頑張っていらっしゃいますよ、と笑いかけてくれるエフィナの言葉に、胸がジンとした。
「……ありがとう。今日は午前中に、久しぶりに頭をいっぱい使ったから、疲れたのかも。
少し休んだら、もうちょっと、頑張ってみるね……」
喋りながら、瞼がとろんと重くなってくる。思っていた以上に、眠い。
そのまま瞼を閉じると、私は眠りに落ちた。
***
聖サルフェリオの首都・エネイスから東の方向には、河が流れている。
これは首都北部に位置する山脈から流れる水が川となり、南の海まで注ぐ。東西の国境であり、最も川幅の広い場所で数キロメートルにも及ぶような河である。
この河の中ほどの位置に、静かな川辺のトー村がある。
トー村に漁師として住む、壮年の男――ロアンは、小舟を桟橋に括りつけていた。
「今年は水がえらく冷たいな。魚が深く潜ってしょうがねえ」
そう口ごちると、すぐ近くにいた老漁師の男が、ははっと軽く笑った。
「自然のもんだから仕方ねぇよ。今朝も霧が出てたしなあ」
思わずロアンは手を止め、「なに?」と老漁師を見た。
霧は川面と気温の温度差があると発生し、この辺りの川では秋によく深い霧が発生する。それ自体は珍しくないが、今はまだ夏の始まりだ。
「山の氷がいつもより融けるのが早いらしいぞ。おれの息子が山の湖を見に行ったって言ってたから、確かだろう」
老漁師はそう言うと、獲った魚が入った籠――魚籠を両手に力強く担いだ。もう歳は70を軽く超えているはずだが、衰えは全く感じられない。
ロアンは止めていた手を再び動かし、きっちりと小舟を括りつける。
「まあ、最近えらく暑かったしな。この前まで雨もよく降ってたし。
しかし、こんな時期に霧か。……季節外れの霧だな」
小舟に乗せていた道具と魚籠を抱えると、ロアンはさっさと舟から上がり、桟橋から去って行った。
スーウェンのお話。
次は出張しちゃう人。




