好きと応援の境界線
翌朝、支度を整えると、部屋に入ってきたのはルーリではなくトルユエだった。
「おはようございます、トルユエさん。ルーリさんと交代ですか?」
私が眠っている間、寝室には侍女が1人、隣の控室にも別の侍女がいる。そして護衛騎士はそのさらに外で控えているため、誰かが交代しても私は気づかない。
「はい。ルーリは光騎士の試験も近いですから、なるべく日中の訓練には参加させたいので。夜の間に俺が代わりました」
侍女にお茶の準備をしてもらう中、昨日の訓練風景がよみがえった。
「……昨日は突然お邪魔しちゃって、本当にすみませんでした」
私が頭を下げると、トルユエは首を横に振った。
「教官の賛否は分かりませんが、俺が責任者の訓練なら、見学くらい構いませんよ。またいつでも見に来てください」
「……? 責任者は教官とは違うんですか?」
いまいち違いが分からない。普通は指導者=責任者なんじゃないんだろうか。
「厳密には違います。指導教官は別にいて、俺はただ突っ立ってるだけなんで。
昨日は、訓練の監視役でした」
教免を持ってるかどうかの違いって感じだろうか。でも確か……
「イオが、騎士見習いだった頃にトルユエさんが教官だった、って言ってたんです。
今も教官はされてるんですか?」
すると、トルユエの表情がピシッと固まった。
……あれ、何か悪いこと聞いた?
「……いいえ。今はもう指導教官はしておりません。俺の指導なんて……」
語気が弱まったところで、「お茶をどうぞ」と侍女に声をかけられてしまった。
その後トルユエに聞き直して良いものか分からず、結局そこで話は終わり、私はお茶を飲み込んだ。
今日は午前に講義があって、午後はまた魔法の練習だ。がっつり練習時間が充てられていて、思わず口角がひきつる。
……今日は上手くできるといいな。
すると昨日とは違う、わりと若い男性教師がやって来た。今日の講義は文字と一般常識だ。
教えてもらった文字には偏と旁があった。サ行なら左側にサの音にあたる子音の偏と、右側にアだとか母音にあたる旁を組み合わせる。
形は独特で見慣れないけど、考え方としてはローマ字みたいな表音文字だ。
良かった、これなら私でも頑張れば覚えられそう……!
文字の勉強の後の一般常識では、礼法やマナーについて教えてもらう。
ただ私は「神様」なので、何というか多少は目こぼしされるらしい。良かったと言っていいのかどうか分からないけど、でも周りに不快感は与えたくないので、メモを取りながら一生懸命に勉強する。
講義が終わると昼食の時間だが、空腹だろうトルユエの隣で1人食べるのは本当に申し訳なかった。
思わず「すみません」と謝ると、トルユエは「この後訓練場へ移動したら、スーウェンと交代するので」と、ちょっと不器用に笑ってくれた。
――騎士棟の渡り廊下を歩く。訓練中と思われる声があちらこちらから耳に入ってきた。
「騎士団員も大勢いますから、訓練場はいくつもあるんですよ」
先導してくれるトルユエの説明を聞きながら、私は後ろを歩くエフィナを振り返る。彼女は目は相変わらずきらきらだ。
「……昨日お邪魔したからね。今日は我慢しようね」
私がそう言うと、エフィナは「そんな……」とショックを受けている。まさにぴえん顔。
「訓練場内にわざわざ入らずとも、見える場所もありますよ。遠目にはなりますが、少し見ていかれますか?」
トルユエの提案に、「ぜひ!!」とエフィナが私より先に返事をする。
思わず苦笑し、「うーん……じゃあ遠目に、ちょっとだけ」と伝えると、渡り廊下の少し先まで、トルユエが案内してくれた。
そこは1階から3階まで続く、少し長い階段回廊だった。地面と高低差があり、見下ろすと訓練場がよく見えた。
「ああ、ちょうど下でやってます。ほら、」とトルユエが指さした訓練場に、たくさんの騎士団員たちの姿が見える。どうやら筋トレをしているらしい。
「……あ、イリサグさんだ」
集団の中に、ミルクティー色の髪をしたイリサグを見つけた。きついメニューをしたのか、腕を広げて仰向けにへばっている。
「あれは光騎士たちですね。
……ルーリとイオも、無事になれるといいんだがな」
後半は独り言のつもりだったのだろう。私は手すりに掴まりながら、顔だけトルユエへ向ける。
「光騎士の試験はいつあるんですか?」
「来月です。守星将も同席するので、余計に審査が厳しいんですよ」
ゴルジョは自分の側近たちにも同じ鍛錬を求めて、マッチョ化させてしまう人だ。審査ともなれば厳しそうな気がする、何となく。
「でもイオ様とルーリ様なら大丈夫ですよ。昨日もひと際お強かったですし!」
私の隣に並び、手すりを掴んでいるエフィナが快活に話す。
「ええ。俺もあの2人の腕前ならばと推薦したので、技術的には心配していないんですが……まあ、色々あるんですよ」
何か事情があるらしく、トルユエは言葉を濁す。
……なんだか大変なんだ。無事に合格できるといいな。
心配で表情が曇ってしまった私の顔を見て、エフィナがくしゃっと笑った。
「大丈夫ですよ! ルーリ様はもちろんですが、ナギノ様はイオ様のこと、特別応援していらっしゃるんでしょう?」
「……えええええっ!?
な、なに!? 急に何の話……!?」
エフィナのびっくり発言に、私は素っ頓狂な声をあげる。でも彼女は気にする様子もなく、「だって昨日、ずっとイオ様ばっかり見てらしたじゃないですか。うふふ」とにんまりした。
「違っ……! いや、確かに見てたけど……!」
「……ナギノ様はイオがお好きなのですか?」
「は、はいっ?! トルユエさんまで何言ってるんですか!?」
思いがけない人からも問いかけられ、もう頭が沸騰しそうだ。
「いえ、女性は自分の好きな『応援する人』ごとに派閥を作っているんでしょう?
イオは見た目もいいですから、そういう方はよく見ますよ。トルマティ様なんて、しょっちゅう騎士棟まで『応援』に来られますし」
どうもトルユエの言う『好き』は『推し』という意味らしい。そう考えると、初めのエフィナの言葉も、同じ意味なのかもしれない。
1人で勝手に上がったボルテージが、急激に冷めていった。
「……あ。」
頭の熱は冷めても顔の熱が引かないまま顔を上げると、訓練場のイリサグがじっとこちらを見上げていた。距離はあるけど、多分睨んでいる気がする。
私はぱっと手すりから手を放し、その場をそそくさと離れた。
練習する訓練場へ着くと――なぜか、イオが待っていた。
「えっ? ど、どうして……?」
確か事前に聞いていた話ではスーウェンがいるはずで、ここでトルユエと交代する予定だったはずだ。
「用事が入ったそうで、急遽代わったんです。用事が終わり次第スーウェン様もこちらへ向かうそうですから、それまで俺が護衛いたします」
目を細めて、穏やかに微笑みかけてくれる。私は気恥ずかしくて、目を逸らした。
「……お前は訓練があるだろ? スーウェンが来るまで俺がこのまま続けるから、お前はそっちへ行ってこい」
トルユエが眉間にしわを寄せ、ぐいとイオに近づく。
「いえ。スーウェン様の用事は長くかからないそうですから、間に合います。
トルユエ様はまだ昼食も召し上がってないでしょう?」
「飯くらい別に……」
トルユエは言葉を続けようとした――が、彼の方から「ぐぅぅ」と腹の虫の鳴く音が響いた。全員が、沈黙する。
「…………。……おう。悪いな。よろしく頼む」
失礼します、と私に声をかけると、トルユエはそのまま立ち去って行った。
魔法の練習を始めて、20分ほど経っただろうか。
――昨日に引き続き、変化の起きない状況に私は頭を抱えていた。
私の少し後ろにイオが控えていて、入口の所にエフィナと、記録係の統制院・職員が立っている。昨日といい、ずっと立って待っててもらうのも非常に心苦しい。
でもそれ以上に、さっきのエフィナとトルユエの会話のせいで、妙にイオを意識してしまって――頭をぶるぶる振り、必死に雑念をかき消した。
「集中集中……。頑張れ私、何が悪いか考えよう……!」
そうは言っても、正直もう結構お手上げ状態だ。標的の石をぐっと睨む。
「……逆ならどうですか?」
ふいに、イオが口を開いた。私は「逆?」と首をかしげる。
「ナギノ様は心優しい方ですから。攻撃ではなく、"癒し"で考えてみてはいかがでしょう? ……その、俺にしていただいたように」
なぜかイオは顔を逸らす。その横顔は、取り澄ました顔のように見える。
「……うん、やってみる」
何となくこそばゆくて、私も顔を逸らした。
昨日ファレンが破裂させた、黄色い花が咲いていた辺りを見る。もちろんもう花はなく、地面がえぐれた跡だけが残っていた。
その横にも別の、同じ黄色の花が咲いていて、そちらは花弁も葉も黒く焦げ、横倒れている。
……可哀想だな。名前は知らないけど、黄色いラベンダーみたいで可愛い花なのに。
……ラベンダーっていうと。エフィナの髪はラベンダーみたいな、いい香りがするんだよね。あれはヘアミストでもつけてるのかな?
私もラベンダーの香りが好きで、衣装ケースに匂い袋を入れてたんだよな。
「また後でエフィナに聞いてみよう」と現実に返ると、もう一度花を見据えた。
何となく両手を組み、そっと呟く。
「……治りますように……」
視界の端で、――ふわり、と光の粒が揺らいだ。
トルユエは多分朝ご飯も食べていない。
次はいい香り。




