誕生日ケーキのあと、私は消えた
「……梛乃、今日はバイト休めなくてごめんね。明日、誕生日のお祝いしようね」
授業が終わり、教室内がバタバタと騒がしい中、隣の席の陽菜が、申し訳なさそうに声をかけてくる。それを見て、私ーー山下 梛乃は、慌てて首を振った。
「ううん、全然気にしないで! 明日のスイーツバイキング、すごく楽しみにしてるもん。全種類制覇するつもりだから、お腹いっぱい空けとくよ!」
明日はカロリーなんて気にしない!と2人で笑って合っていると、少し離れた席から男子の姿が近づいてくるのが、視界の端に映った。
「梛乃、早く行くぞー」
伊織に声をかけられて、私は鞄に荷物を詰めながら、「ん-」と返事をする。
「え? 2人、どこか行くの?」
「うん。地元の駅前に、大好きなケーキ屋さんがあってね。今日はそこのケーキ食べに行くんだ!」
だから今日もカロリーなんて気にしない!と宣言する私をよそに、陽菜は、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「……田畠くんと梛乃って、付き合ってないんだよね?」
鞄の中に手を突っ込む私の手が、ぴくりと止まる。けれど一瞬だったので、その動きには陽菜も気づいていない。
……残念ですが違います。
「――いいや、ただの幼馴染み。ほら梛乃、そろそろ行かないと、予約時間に間に合わなくなるぞ」
私が返事をするより前に、伊織がきっぱりと答える。その言葉に、一瞬くしゃりとしわが寄りそうになった心をぎゅっと押し込めて、「陽菜、また明日ね!」と笑顔をつくり、足早に教室を後にした。
外はじっとりと暑く、7月の太陽はじりじりと照りつけてきた。シュワシュワと鳴くセミの鳴き声が耳に染みて、余計に汗がじわりと浮かんでくる。
「ほんと暑いな……。腹も空いたし、倒れそう」
「ケーキ食べたら元気出るよ。伊織もいっぱい食べよう」
「いや、ケーキはご飯じゃないだろ?」
「ご飯じゃないけど、ご飯みたいなものだよ」
「なんだそれ」
軽口を叩きながら、伊織は頬に伝う汗を拭った。
ーー田畠 伊織は、私の幼馴染みだ。
幼稚園から高校、まさかの大学まで同じ学校。さすがに学科は違うけど、同じ総合環境学部の2年生。今日の3時間目は共通科目だった。
そしてすっきりした顔立ちで、鼻筋も眉もすっとしてるし、SNSに載せたらバズるんじゃないかと思うほど、とにかく顔が良い。
小学校からずっと続けている剣道では何度も全国大会にも出てるし、成績だって優秀。性格も穏やかで落ち着いていて、大人びている。
神様に与えられ過ぎていると感じるほど、まさに完璧な人物だ。
……それに比べて、私は他人から抜きん出たものが一切ない。ポニーテールにした髪はセットしても先端が勝手にはねるし、運動音痴だし。辛うじて頑張ってる勉強は、せいぜい“上の下“って感じだろうか。伊織の長所を、私にもほんの少しくらい分けてほしい。
駅に着き、地元へ向かう電車に乗り込む。車内はわりと空いていたので、2人並んで座った。
発車した電車に揺られる中、流れゆく景色をぼんやりと眺める伊織は、それだけで妙に絵になる。凡人としては、ちょっと悔しい。
「ねえ、伊織。予約時間は教えてくれてるんだから、現地集合でも良かったのに。教室から一緒に行くのは、その……目立つし、あんまり良くないんじゃない?」
「ん?なんで?」
伊織は外の景色を眺めたままこちらも見ずに、肩越しに返事をする。
「だって、勘違いされるでしょ。私はともかく、伊織はモテるんだしさ」
「別にいいよ。俺、遠距離だけど好きな人いるから。誰が何思おうが、気にしない」
……いや、私は気にするんだけども!? 私の都合も考えてください!
元来ぼんやりしていて忘れっぽい性格の私に、昔から伊織は「忘れ物は無い?」とか、何かと気にかけてくれた。家族と大喧嘩した時も、高校の先輩に告白して玉砕した時も、泣きまくる私を「よしよし」と言って慰めてくれた。もはや第二のお母さんだ。
だから、周りから「付き合ってるよね?」なんて言われたことは何度もある。
……私自身、伊織のことを意識したことは当然あるよ。
だってこんな良い人だし。好きにならない方が変だ。
そして「好きな人、いる?」と初めて伊織に尋ねたのは、小学校5年生の時だった。
「――いるよ。遠くに住んでて、大きくなったら会いに行くんだ」
その言葉を聞いた当時の私は言葉を失い、帰宅してから布団に潜ってわんわん泣いた。その後も時を変えて、何度か同じ質問をしたけど、返ってくるのはいつも同じ回答だ。そして、その度に私の淡い恋は、密かに、大失恋している。
……もう、諦める。もはや開き直るしかない。いいよ、幼馴染みのポジションで。
……とは言え、このままじゃ彼氏ができないから!と、自分から関わりを絶つこともできなくて。何だかんだ理由をつけては、ずっとこのぬるい関係性に、甘えている。
……私も性格悪いよね。
……でも、この時間が、ずっと続けばいいな。
「ーー梛乃も今日で20才か。そっか……」
がたごと揺れる車内で、外の景色をぼんやりと眺めている伊織が、ぽつりと呟いた。
「なにそれ、うちのお父さんみたいな言い方。伊織は4月生まれなんだから、とっくに20才でしょ」
私がからかうように言うと、伊織はクッと笑い、ようやく外の景色から視線を外して、私の方に目を向けた。
「そうだな。ちゃんと、お祝いしなくちゃな。ーーほら、降りるぞ」
全く気付いていなかったけど、なんともう地元駅に着いたらしい。慌てて立ち上がる私に、伊織は「落ち着けって」と笑って、停車の揺れでぐらついた私の腕を、さりげなく軽く引いて支えた。
「梛乃、誕生日おめでとう。さ、お好きな物からどうぞ」
店に併設されたカフェスペースで、伊織は宝石のようなケーキがいくつも盛られたお皿を私の方へ寄せてくれる。興奮を抑えつつ、私は「ありがとう!」と応えるなり、まずは7月の新作・桃のタルトにフォークを刺す。
「……うわあ、これこれ! これこそ、私が求めていた味! まさに至福!」
口の中に広がる桃とクリームの甘さに、一気にテンションが昇りつめ、心までとろけてくる。
「あはは。梛乃は本当に、ここのケーキが好きだな。今日は家でもケーキ食べるんだろ?」
「食べるよ。ここの苺タルト、ホールで買っといてってお母さんにお願いしといた!」
「……すごいな。本当にこの店のケーキ、大好きなんだな……」
伊織は驚きと呆れが混じったような顔をする。
誰に何と言われようと、この店『パティスリーミッシュ』のケーキが、私は世界中において、一番大好きだと自信を持って言い切れる。店には何種類ものケーキがあるけど、どのケーキも、筆舌尽くしがたい絶品なのだ。
本当にここのケーキは世界最高です。異論は認めない!
「あ~、幸せ。伊織、予約してくれてありがとう。私、もうこのまま死んでもいい」
「死ぬな死ぬな」
呆れたように笑いながら、伊織も桃のタルトにフォークを刺す。
「いま死んだら、来月からの新作ケーキも食べられなくなるぞ。それに、明後日提出のレポートもまだ途中だろ」
頬に手を当ててうっとりする私に、突然がつんと現実を突き付けてくる。…正直忘れてたけど、何もこんな至福に浸ってる時に言わなくてもいいと思います!
「……あとちょっとで終わるもん」
思わず伊織を軽く睨み、虚勢を張っておく。
「あー、はいはい。俺が言わなかったら忘れてただろ」
片肘をついて、少し口角を上げ、片頬笑む伊織。図星すぎて、ぐうの音も出ない。
「伊織様、いつもありがとうございます。あとでリマインダーかけときます」
「いや、今やらなきゃ絶対忘れるって。明日になってまた慌てるぞ」
俺が覚えてないと梛乃は大変だなー、とからかうように笑う伊織の言葉を後目に、私は再びケーキを頬張って、至福に浸った。
あっという間に閉店時間になり、私は立ち上がって伝票を取ろうとすると、伊織にすっと伝票を取られた。
「じゃあ俺、会計しとくから。梛乃は先に店の外、出てて」
「え、悪いよ。半分出すからーー」
「いいよ。今日は梛乃の誕生日だからな、俺の奢り」
そう言って私の肩に手を添え、くるっと出口方向へ私の身体を向けさせる。そして耳元で「いいから」と囁くと、背中をとん、と軽く押した。
……なんだかなあ。伊織のこういうところ、ずるい気がする。
「……うん、ありがと。じゃあ、先に出とくね」
ん、と返事してレジへ向かう伊織を振り返りながら、私は先にお店の外へ出た。
駅が近く、行き交う人は多い。7月の夕方はまだまだ明るく、涼しかった店内と打って変わり、じわっと熱い空気に包まれた。冷えた肌をじりじりと太陽が照りつける。
私はお腹も心も満たされて、ふうっと息を吐いた。
その時――ぴかっ、と宙に浮かぶ光の玉が、突然目の前に現れた。
発光した物体は、まるで懐中電灯を至近距離で顔に向けたみたいに、私を眩しく照らす。咄嗟に腕で顔を覆うーーが、そのまま数秒待っても、何も起こらない。
恐る恐る、うっすら瞼を開けて、腕の陰から様子を窺う。
……なに、これ?
火の玉みたいに、静かに宙を浮いている発光体としか表現できないけど、眩しくて、何かよく分からない。そして次の瞬間、発光体は更に光が強くなった。
「え? え……?!」
あまりの眩しさに、目が開けられない。ぎゅっと瞼を閉じて腕で遮っても目の前は真っ白で、更に光は強くなり、私は光に包まれてーー……
ーーそして光が消えた時、梛乃の姿も、その場から消えた。
これからよろしくお願いします!