07. 彼女の正体
残酷描写があります。
……壇上は血の海だった。
玉座によりかかるようにして、血まみれのルシアン王子が力なくこと切れていた。
そのそばに、同じく血まみれのカトリナが立っている。だが、婚約者の凄惨な姿に泣き叫ぶことも、取り乱すこともせず、ただ冷たい眼差しで見下ろしていた。
その目は翳りを帯びていたが、どこか愉悦に浸っているようにも見えた。
「うわキツ……」
聖女として修練を積み、メンタルを鍛えたイリスでさえ、ショッキングな光景だ。転生前なら倒れてたかもしれない。
歴戦の騎士たちにも動揺が走ったが、その中にあって眉一つ動かさなかったルドヴィクはさすがと言えた。
静かに佇むカトリナの両手は真っ赤に染まり、鮮血がポタポタと滴っている。その様子を見て、イリスは疑念を深くしていた。
この状況……王子を殺害したのは、彼女ではないか、と。
「ねえ、カトリナ。あなたが王子を殺してしまったの……?」
意を決してイリスが声をかけると、カトリナはゆっくりと顔を上げた。
王子を魅了した砂糖菓子のように甘ったるい表情は跡形もなく削げ落ちていた。目は冷やかに眇められ、美しい唇が酷薄な笑みを形づくっている。
「あら、イリスじゃない。思ったより早く戻ってきちゃったのねえ。せっかくあなたを王都から遠ざけたのに、ざーんねん」
「……あなた、本当にカトリナなの?」
女の周囲には、ひときわ黒々とした魔素が漂う。これほど濃い魔素をまとわりつかせて、平然と立っていられるなど、普通ならあり得ない。
おそらく目の前にいるのは、カトリナの皮を被った何かだ。そんなイリスの疑問に、女は嘲るように答えた。
「ふふ、あなたが疑ってるとおり、私はもうカトリナじゃないわ」
「じゃあ何なのよ。幽霊に取り憑かれたとか、そういうこと?」
「あのねえ、あんな下等な存在と一緒にしないでよね。私は魔族……中でも夢魔と呼ばれる一族。この娘とは、王子の寵愛を得られるように契約を結んでやってたの」
夢魔、と名乗った何かはくすくす笑った。
「王子ったら、少し色目を使ったらすぐこの娘に篭絡されて、"真実の愛"とやらを捧げちゃったのよね。願いを叶えてあげたから、約束通り体を明け渡して貰ったの。ふふふ、久しぶりの実体で楽しくて仕方ないわ」
「王都に魔獣を呼び寄せたのも貴様か?」
ルドヴィクの問いかけに、夢魔は「そうよ」と平然と返す。
「……私たち魔族って、人間を殺すほど力が強くなるの。もう正体を隠す必要もなくなったわ」
直後、カトリナの殺意が膨れ上がった。
「……人間に尻尾を振って、ペットに成り下がった竜の末裔。お前も私の糧におなりなさい」
カトリナの背中から蝙蝠のような翼が広がった。
翼を羽ばたかせ、天井近くまで宙を翔け上がった夢魔は、魔法の炎の矢を次々と放った。
さらに高窓が次々と割れ、ガーゴイル──こちらも蝙蝠の翼が生えた猿のような魔獣が侵入し、襲いかかってくる。
「イリス、お前は浄化を頼む!」
「わかりました!」
ルドヴィクに命じられ、イリスは手を組んで聖言を唱えた。一心不乱に祈りを捧げると、彼女を中心に、小波が立つように金色の光が広がり、王宮全体を覆っていく。
しかしあと一歩で上手くいかない。濃すぎる魔素が生き物のように暴れまわって、イリスを捩じ伏せようとしてくるのが、手応えとして伝わってくる。
「むぎぎ……」
イリスは歯を食い縛った。ありったけの力を術に注ぎ込む。
やがて……均衡は崩れた。
王宮が隅々まで浄化されていく感覚に、イリスは心から安堵した。魔素の影響で倒れていた人々もじきに目を覚ますだろう。
力を失ったガーゴイルたちも、盛り返した騎士団に次々と討ち取られていく。
「やだあ、まだ力が足りなかったのね。もうちょっと人間を殺しておけば良かったわ」
「貴様……!」
肩を竦めるカトリナを、ルドヴィクが睨む。
彼はガーゴイルを部下に任せ、自身は夢魔と対峙していた。だが、ルドヴィクの攻撃魔法は夢魔にひらりひらりと躱され、なかなか仕留めきれない。
当たり損ねた魔法が、建物の天井や壁にボコボコと穴を開けていく。夢魔を倒すためとはいえ、いいのかこれ。
もしかして王家への憂さ晴らしか……とイリスはちょっとだけ仮初の夫を疑った。
……はは、いやまさか。そんなはずないよね。
でもその内、天井や壁が崩落するかもしれない。気をつけないと……と思った矢先。
「やっぱり、あなたが一番邪魔だわ」
頭上で声がした。
いつの間にか、夢魔が真上にいた。
空中からの攻撃に、イリスは無防備だった。鋭い鉤爪がすぐ目の前に迫る。
あ、まずい。終わった。
イリスは目を瞑った。
だが──最期の瞬間は訪れなかった。
え、と目を見開く。
黒い鱗が視界を覆っている。
それは初めて見る、竜という存在だった。
「うわ、ファンタジー」
思わず呆気に取られて呟く。
じゃれあう子犬のように、夢魔と黒竜が一塊になって戦っている。いや、子犬はあくまで例えで、実際はそんなかわいいものではなく、殺るか殺られるかの死闘だが。
ていうか、あの竜は……もしかしなくとも……
その時、パラパラと瓦礫が降ってきて、イリスはハッと天井を見上げた。うわ、本格的にまずい。
ドタンバタンともつれ合う竜と夢魔のせいで、謁見の間は崩壊寸前だった。
天井の亀裂がみるみる大きくなって、今にも落ちてきそうだ。
イリスは、ガーゴイルを掃討していた騎士団に向かって声を張り上げた。
「皆さん待避してください!!ここはもう危険です!!」
そして、イリスは真っ黒な竜を振り返った。
金色の目がイリスを一瞬捉える。竜は、「行け」と言うように顎をくいっと動かし、再び夢魔に襲いかかった。
イリスは後ろ髪引かれる思いを抱えながら、謁見の間を後にした。
◇◇◇
イリスはカロンの騎士団と共に、目を覚ました城の人々の避難を懸命に手伝っていた。
避難者はいったん王宮の中庭に集められた。広々とした美しい庭が、今や野戦病院のような様相を呈している。
先ほど、耳を塞ぎたくなるほどの凄まじい音が轟いた。おそらく、謁見の間の天井が崩落したのだろう。
それなのに、いまだにドゴンドガンと音がするのは、竜と夢魔の決着がついてないからだ。
怪我人に癒しの神術をかけながら、イリスは王宮の方をチラチラと気にかけていたが──ついに死闘の勝敗が決したらしい。
まず、王宮の上空に、大きな翼で翔け上がる黒竜が見えた。その口元には、ぐったりした夢魔が咥えられている。
そして竜は夢魔をポイッと放り出すと、王都じゅうに響くような力強さで咆哮した。紛れもない、勝利宣言だった。
よかった、ルドヴィク様……とイリスも胸を撫で下ろした。
途端に緊張が切れて、くらりとする。
限界を超えて神術を使ったせいだ、と気づいた次の瞬間、イリスはパタリと倒れた。
「イリス様!?」
「聖女様がお倒れになったぞ!」
周囲から悲鳴が上がって、イリスは自分がまた同じことをやらかしたのだと悟った。でも、こればっかりは性分だからなぁ……
王子とカトリナ以外、王都はおおむね無事そうだし、まあ、ここらで休んでもいっか……
後の事は、竜から人間に戻ったルドヴィクが何とかしてくれるはずだ。多分。
暗転していく意識を、イリスは抗わず、手放した。




