02. カロン辺境伯
カロン辺境伯領を目指し、パカポコと馬車に揺られること二週間。
ようやく目的地に辿り着いたイリスは、ほんっとぉーに、ここまで長かったなぁ……と遠い目になった。
カロンという土地は、聞きしに勝る辺境であった。遠かった。とても。
けれども道中、一度も魔獣に出会わなかった。魔獣の多い土地だと言われてるはずなのになあ、とイリスは首をかしげた。
単に運が良かったんだろうか。それとも時期的なものなのか。いや、それより……
「馬車はしばらく遠慮したい……」
移動中、ずっと座ってたせいでお尻が痛い。
自由の代償はお尻だったのか。ゴメンわたしの尻。
でも、窮屈な馬車旅もこれで終わりだ。
荷物を手に、よれよれと馬車を降りると──
目の前には、見上げるほど立派なお屋敷が建っていた。
「へえ、意外。大きなお屋敷だなぁ………」
噂と違って、カロンは案外、豊かな土地なのかもしれない。馬車から見えた風景は、広大な麦畑が延々続いていた。それなりの大きさの町もいくつかあった。
聖女としてひたすら働いて、突然王都を放り出されたイリスは、カロン辺境伯領についてほとんど知らない。
王都で耳にした噂と言えば、魔獣が多いこととか、領主の血筋がちょっと特殊なこと……それくらいだ。
けれど、なんだか思い違いがあるような気がする。
立派なお屋敷に気後れしていると、すぐそばで「期待を裏切って悪かったな」と声がした。
──金の瞳に黒い髪。
うげ、とイリスの顔がひきつった。おそらく、ルドヴィク・カロン辺境伯だ。
苦々しい表情を浮かべた長身の偉丈夫に、イリスは慌てて腰を落とし挨拶した。
「失礼いたしました……わたしはイリス・ウィンディットと申します。大神殿で聖女をしておりましたが、こちらに嫁ぐようにルシアン殿下に命じられ、参らせていただきました」
「そうか。俺がお前の夫となるルドヴィク・カロンだ。だが、俺はお前を愛することはない。この婚姻は《白い結婚》となるだろう」
キッパリ言われて、イリスは目を瞬かせた。
さっきのイリスの発言でヘソを曲げてしまったのか、それとも元から出鼻を挫くつもりだったのか。
どちらにせよ到底、好意的とは言えない。
さっきのはイリスの失言ではあるが、大変性格のよろしいことで、と胸の内で呟く。
とはいえ、この結婚は、彼にとっても不本意だったのだろう。
双方ともバカ王子の被害者ではあるが、ルドヴィクからすると、イリスが王子と上手いことやらなかったから、巻き込まれたとも言える訳で……
それらすべてを飲み込んで──元筆頭聖女、イリスは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「ハイ、喜んで!白い結婚に異議はありません!」
むしろその方がありがたい。
今日初めて会った嫌味な男と、真面目に添い遂げるなんて無理です。
笑顔で応じたイリスに一瞬驚いたルドヴィクは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「二年後には離縁となるのだぞ。本当にいいのか?」
白い結婚の場合、二年経てば離縁が成立する。
イリスの笑顔はさらに大きくなった。
「全然構いません!むしろ好都合です!」
「…………そうか」
「はいっ、二年間ご厄介になりますが、どうぞよろしくお願いします!」
「……………………うむ」
「その代わり、聖女としてお役に立てるように、精一杯頑張りますね!!」
「…………とりあえず屋敷へ案内する」
あれ、なんだかしょげてる?
気のせいかな?
首をかしげたイリスだったが、まあ何でもいっか、形だけの夫婦だし、と思い直して彼の後についていった。
◇◇◇
イリスに割り当てられたのは、日当たりのいい南側の客室だった。
そこに荷物を運び込んで、一息つく。
ベッドの上に行儀悪くゴロンと寝転がって、彼女は天井を見上げた。
──誰にも言ったことはないが、イリスには前世の記憶がある。ぼんやりとしか思い出せないけれど、彼女はかつて、地球に住む日本人だったことはうっすら覚えていた。
前世の自分は今よりもワーカホリックな社畜で、過労の末に倒れた後、プツリと記憶が途切れている。多分あのままポックリいって、この世界に転生してきたんだろうな、とイリスは考えていた。
三つ子の魂百までというが、生まれ変わっても、イリスの性格はあまり変わらなかった。ここでも社畜のノリを発揮し、がむしゃらに聖女の道を駆け上がって、馬車馬のように働いた。
挙句、バカ王子と婚約させられたのだが。
その疲労と心労が祟り、イリスは三ヶ月前に一度ぶっ倒れている。
心配したパルミラが医者や薬を寄越してくれたおかげで事なきを得たが、自分はまたも前世と同じ轍を踏むところだった。危ない危ない。
この結婚はきっと、「スローライフにシフトすべきだ」という誰かのお告げだ。
まあお告げだったとして、神殿の神なんか、イリスは信じちゃいないのだが。
「……感じ悪い男だったけど、ルシアン殿下と比べたら全然マシだよねえ」
ゴロンと寝返りを打ったイリスは、ふと仮初の夫となる人物を思い浮かべた。
ぐるっと部屋を見る限り、彼はあからさまな冷遇をするつもりはないようだ。
華美ではないが、ピカピカに掃除されているし、必要な家具もきちんと揃っている。
ルドヴィクががちゃんと指示を出した証拠だ。
それなのに、自分は不用意な発言をしてしまった。少し悪いことをしたな、と思う。
「ルドヴィク様かぁ。見た目は格好いいよねえ」
いかにも武人といった印象の、鍛え上げられた長身。顔立ちは野性的だが、かなり整っている方だと思う。艶やかな黒髪や、鋭い金色の目は、彼の精悍さによく似合っていた。
見目がよいだけでなく、彼は相当な実力者でもあるはずだ。頻繁に魔獣が発生するこの地を治めることは、国を守る重要な砦としての役割を果たす、ということでもある。
そこを任されているカロン一族は、王国貴族の中でもかなり特異な血筋と立場にあった。
カロンの領主一族は、竜の血を引く、と王国ではまことしやかに信じられている。
古き竜が王国と約定をかわし、この地を守る代わりに、王族の姫を妻にした……というお伽噺のような伝承があるからだ。
その竜の子孫が、カロンの血脈である。
竜は魔獣の一種でもある。
それゆえ、王都の貴族から蛮族だなんだと蔑まれがちだが、彼らが何度も魔獣の大発生を食い止めてきたのは紛れもない事実だった。
この世界ってほんとファンタジーだなあ、とイリスはつくづく思う。前世と違って、魔法や神術、魔獣といったものが当たり前に存在しているのだ。
魔獣とは、魔素から生まれる狂暴な獣。
ほかにも、滅多に姿を現さないが、人に祝福を与える精霊や、人の世界に混沌をもたらす魔族なども存在するという。神は知らんけど。
まあ、それはさておき。
さっき、辺境伯に白い結婚を言い渡された時、イリスはピーンと閃いてしまった。
カロン領は魔獣がやたら多いという。その討伐に貢献したら、白い結婚終了後もここで雇っていただけるのでは……と。
王都に未練はない。それよりも、これからの生活に、イリスはひたすらワクワクしていた。




