第四章 齟齬(42) バルディオールの逐電(3)
無理に馬を走らせ三日、デヴィルズ・ピークを目の前にして馬は乗り潰された。
「サラスヴァティ、トリグラフ。」
デヴィルズ・ピークに踏み入るとすぐにバルディオールは大声を上げた。
「言葉が出るのは本物だったか。」
三つの頭を持つ陽の破壊神トリグラフがその声に応えて現れる。
「何の用だ。」
「助けて欲しい。」
「お前は我等を助けた者、我等で出来ることであれば。」
馬に乗り、そう言うトリグラフの周りには額にガーネットを持った栗鼠に似た聖獣カーバンクルやら、直立した蛙ヘケトが跳び回っているし、足下には人の姿の植物マンドレイクが頭上に美しい花を咲かせていた。
「この子を・・」
バルディオールは傍らの少女の頭を撫で、
「匿って欲しい。」
と、続けた。
「その子は。」
「この子の素性については何も訊かずにお願いできないか。
時が経てば私なり、私の仲間ロブロという者が迎えに来る。
それまで・・・」
「承知しました。」
トリグラフの後ろから美しい女の声。その声の主サラスヴァティの横には羅刹族の少女と言ってもいいほど若い女アグウィが立っている。
「ロブロという人の姿を思い浮かべてください。それを私の中に取り込みます。」
ジュリアをサラスヴァティに預けたバルディオールは、トリグラフの馬を借りそれから二日後にはロブロのところへ帰った。
そこでは戦いが起きていた。
追い詰められつつあるならず者達が大挙してロブロの隊を攻め、そこにダルスを主とする隊が集まり、白の司祭までが居た。
「なぜここに居る。」
バルディオールの顔を見た司祭の一言目がそれだった。
「人の兵がいる所には顔を出すなと言ったはずだが。」
逆らえぬ眼がバルディオールを睨み、バルディオールは戦況に関係なく自身の隊に退き上げを命じた。
均衡を保っていた戦場からワーウルフ、キュノケーの隊が消えると戦況は一気に動いた。ならず者達が辺り構わず暴れ回り、ロブロとダルスの隊は退却を余儀なくされた。
「なぜランドアナの人といた。」
大きく引き退いた軍の中枢部で白の司祭がバルディオールに最初に発した言葉がそれだった。
その言葉にバルディオールは困った表情を見せる。
「喋れば良かろう・・お前が人語を話せることは調べ済みだ。」
司祭がバルディオールを睨む。
その目には逆らえない。
「ロブロと会った・・昔の知る辺と・・・
懐かしさからか、つい話をした。
あいつには口止めしていたんだが。」
それは司祭が初めて聞くバルディオールの嗄れた言葉だった。
「他には。」
「他には何もない。」
隊を離れたことは知られてなかった。バルディオールはホッと胸を撫で下ろした。
「まあ良かろう。
お前には南の村を攻めて貰う。
賊も住民も全て殺せ。
それが次の作戦だ。」
試すつもりか・・バルディオールはそう感じた。
山裾の村、山の麓に大きな農地を抱え、北の森には清浄な泉を持っている。
一軒の館を中心に農奴が働き、一つの国家を思わせる。
村中には館の主が雇い入れた傭兵が屯し、しかもその傭兵と村人の間にはよくあるいざこざも少なかった。
その村はもう二百年近くもその地に存在するという。
平和に見える。
賊などは存在しないように見える。
そこを攻めろと司祭は言う。
バルディオールは戸惑いを覚えた。
小さな集落ではない。かなりの人が生を結んでいる。そこを根絶やしにする。何も考えぬキュノケー達は既にその村におめき掛かり、その村の兵士もどきと戦いを繰り広げている。
傍らのワーウルフの眼がバルディオールを見る。
仕方なく彼は拳を突き出した。
戦場となった巷を歩く。あちこちに死体が転がっている。それは戦闘員ではなく何の変哲も無い農夫の姿をしていた。
遠くからは女の悲鳴も聞こえる。声の方向に向け走る。キュノケーが二人ばたつく女の足を押さえ、もう一人が女の上にのしかかっている。
その男の頬桁をバルディオールの槍の柄が殴りつける。足を押さえていたキュノケーが吠え声を上げ立ち上がる。それもまた・・
殴りつけられた者達は壁際まで吹き飛び悶絶している。そしてまた一人。
戦いに気の乗らぬバルディオールは改めて辺りを見渡した。
そこにはならず者といえるほどの者はいない。そこにいたのは戦いもよく知らぬ兵士、農具を振り回す男達、恐怖に震える女、子供、老人。
バルディオールは凄まじい叫び声を上げた。
体中の筋肉が盛り上がる。
顔が獣のものに変わっていく。
三日月鎌の槍を握る手に力がこもり、ギリギリと音を立てる。
スッと槍を振ると近くにいたキュノケーの首が吹き飛んだ。
それからは味方を相手に怒りを叩きつけた。
武力に劣るキュノケーは言うに及ばず、狼の姿を採ったワーウルフ達までが叩き伏せられた。
小一時間・・・それで戦いの挙げ句七人となったワーウルフと二十人足らずのキュノケー達を皆殺しにしていた。




