第四章 齟齬(36) 新しいルミアス(5)
遺跡に着くまでに出現した魔物はナラシンハとアラストールがそのほとんどを斃したが、一部は訓練と称しイシューとフェイが相手をした。そうやって三日をかけ遺跡の下に着いた。
「ここから先には我等は入れん」
試しにナラシンハが手を出すとその手はバチッと音を立て弾かれた。
「見ての通り陰の因子を持つもの以外はここには入れない。無理に出入りしようとすればこの身体が崩壊する。」
「ならば・・・」
「お前達か・・・お前達、亜人族、人族の者は入れる。それは奴等の餌にする為だ。
陽の因子を持つ者は亜人族、人族の召喚魔として階位の低い者だけが入れる。つまり、お前に渡したケプリだ。」
「中に入ったら我々二人とそのケプリだけか。」
「ツクヨミが協力する。」
「闘いは苦手なんだろ。」
「ああ。
だが闘い以上に恐れなければならないことがある。」
「“遠くから働きかける者”ですね。」
「そうだ。
ヘカーテの魔術はお前等の精神を侵す。嘘をつき、猜疑心を起こさせる。
お前等二人の権能の源、神力が高ければそれに抗せようがヘカーテの魔力は強力だ。ツクヨミはそれからお前達の精神を護る。」
そこまで言ってナラシンハは自身の懐に手を突っ込んだ。
「中に入ればツクヨミの声が聞こえる。が、普通に念話で話せばそれもヘカーテに知れよう。」
ナラシンハはフェイの前に布に包まれた物を差し出した。
「貝・・・」
「それを通してヘカーテには知れずにツクヨミと話が出来る。我も中の様子はその貝で知った。
中に入ったらすぐにその貝でツクヨミに呼びかけよ。さすればツクヨミはお前達が私が頼んだ者だと知ろう。
後は頼んだ。結界が消えれば我もすぐに後を追おう。」
まずイシューが結界の中に歩を進め、その後をフェイが追う。それを外から見ていると濃い霧の中に消えるように見えなくなった。
「貝を。」
陰の結界に入るとすぐにイシューがフェイに小声で促した。
「ツクヨミ。」
フェイが貝に口を近づけ小声で呼んでみる。が、応答はない。
もう一度、そしてもう一度。すると貝から微かに悲しげな声が聞こえる。
「その貝が・・・ナラシンハは斃れたのですね。」
「そうではありません。」
フェイがその声に応える。
「ナラシンハが私達に託したのです。」
「では貴女は“人にあらぬ人”・・・」
「そうです私達はエルフ族です。」
「私達・・・他にも・・・」
「私の夫、イシューが一緒です。」
「二人で・・・」
「教えてください・・」
「この中の様子ですね。」
肯定の返事をするフェイにツクヨミガ語り出した。
× × × ×
ヘカーテの居所は最上階の玉座の間。そこには罠に落ちたアリアンロッドが囚われている。
アリアンロッドとヘカーテ、階位はヘカーテが上、アリアンロッドはヘカーテに騙された。ヘカーテの精神作用が女神アリアンロッドさえも侵したという。だが力の変わらぬツクヨミが陰の結界内に入ったことでアリアンロッドはツクヨミの結界に護られている。ヘカーテにとってこれは計算外だった。まずアリアンロッドを屠り、次に戦う力の弱いツクヨミを斃す。それがヘカーテの狙いだった。がツクヨミの防御力は思ったより高かった。百数十年の膠着状態。それが今も続いている。
ヘカーテ・・潰れた獅子の顔を持つ邪神。性別は女、豊満な乳房にくびれた腰、小さな尻とその豊満な乳房を小さな布で被っている。手には黒と黄色の段だら模様をした猛毒の海蛇の鞭を持っている。その尾は強靱で人と言わず魔物までの皮膚と肉を切り裂く。その鞭を逆に持てば鋭い牙を持った毒蛇の牙が襲いかかる。
だが今はそこ、玉座にヘカーテは居ない。イシュー達が北の谷にやってきたことで新たな獲物の存在を知り、いまエルフ達が創りあげようとしている国を偵察にでている。アンダラーに残るのは副官役のルキフ・ロフォカレ。ツクヨミの戦闘力ではこの悪魔を倒せずアリアンロッドの階位はこの魔物より低かった。
× × × ×
「どうすればいい。」
イシューが貝に声を入れる。
「ルキフ・ロフォカレは自身の快楽に貪欲で職務に怠惰です。まず最も階位の低いラクチャラングを倒し結界を成す像を壊しててください。像を一つ壊せば結界が弱くなり、ナラシンハは私の眷属を送り込むことが出来ます。
この遺跡の角は正確に東西南北を向いています。まず東の角を目指してください。
急がねばヘカーテが戻ります。そうすればルキフ・ロフォカレも自分の職務に忠実になり、各々の魔物に彼が協力し、事が難しくなります。」
「騒ぎは・・」
「起こさぬに限ります。騒ぎが起こればさすがのルキフ・ロフォカレも動きましょう。そうすれば視察にでているヘカーテが帰って来ます。」
遺跡の東の角、ツクヨミがイシューとフェイ二人だけに見せる光りの道を進む。その間にも極低位の魔物が現れたが遠くからのツクヨミの神力がそれを苦もなく倒した。
東の角に近づくにつれ獣族の出現が多くなる。それは東の邪像を護る凶獣ラクチャラングの影響であろうか。その魔物達から隠れるように光りの道を行く。時として邪魔になる魔物は、フェイはアポロンの弓で金の矢を放ち、イシューはガルバリオンを使うまでもなく易々とその魔物達を斃した。
二人の耳にゴウと吠え声が聞こえる。
「邪像のありかです。」
貝からも声が・・・
「今の声はグーロ、ラクチャラングの側に控える怪物です。」
山猫の顔をし、でっぷりと肥えた大型犬を五匹引き連れた鼻が短く耳も小さな、巨大な象の顔を持った腰の曲がった人。頭には羽根飾りを付け、手には槍を持っている。
グーロの相手をするのはイシューが呼び出した三体のケプリ。グーロが牙を剥き呻るのを意にも介さぬように、天魔は手にした槍でグーロを斃していく。
「手早く斃してください。あなた方にはその力があります。」
またも貝からの声。
「援護してくれ。」
イシューはガルバリオンを抜き放ちフェイの顔を見た。
グーロの断末魔の声が響く中をじりッとイシューがラクチャラングに近づく。それに向け凶獣が槍を繰り出す。
危ない。と声を掛け、放ったフェイの金の矢がラクチャラングを掠める。
ラクチャラングはそれをよけたが、大きな頭のせいかバランスを崩した魔物をイシューが斬り下げた。
ラクチャラングを斃したイシューが辺りを見廻す。
何も居ない・・・が、イシュー達の目の届かぬところに小さなインプが一匹。それが遺跡の中央に走った。
「大方、人供でも入ったのだろう。」
インプの報告を受けたルキフ・ロフォカレはそれを意にも介さなかった。
「グーロの餌食になるのが落ち、放っておけ。」
ラクチャラングが斃されたと尚も言い張るインプを、五月蠅い。と、ルキフ・ロフォカレがその頬を張ると、インプは跡形もなく消え去った。
「一つ、一つ五月蠅い・・・人の苦痛を楽しむ暇もない。」
ルキフ・ロフォカレは傍らに寝せられた裸の女に目を遣った。
「ヘカーテの目を盗んで久々に連れてきた人の女だと言うに・・・」
ルキフ・ロフォカレは指がそのまま硬化したような右手の爪を女の白い肌に宛がった。




