第四章 齟齬(8) 時と共に(3)
裂け谷の奥の洞窟。その入り口を通ると川の水が一部盛り上がっているのが見えた。
「ウンディーネ。」
その水の瘤にシドが声を掛ける。
「あなたは・・・」
声を発しながら水の瘤が人の姿へと変わっていく。
「ずっとこのままのつもりか。」
「あなたは・・・」
もう一度言いながら、ウンディーネは、はっと何かに気付いたような顔をした。
それに向けシドが首を横に振り、今は若い女の姿になった水が軽く頷く。
「私と一緒に来ないか。」
シドのその言葉にはウンディーネは首を横に振り、何かを念じた。
水が球状に盛り上がる。その中には二匹の夜魔。
「サキュバスとインキュバスです。
私はこの二体を封じています。私がいなくなればこの者達はまた人の世に出、災厄をもたらします。」
「その程度の災厄など何ほどのこともなかろう。」
「ですが・・・」
「邪神は倒れたと聞いた。そうであればその二体の夜魔、夜な夜な人の精を盗むくらいのことしか出来まい。」
「闘いは・・・」
「終わった。」
二人が黙り込む。そして・・
「それではあなたと共に。
私の名はウィーナと申します。」
「どちらか・・替えの服を持っていないかな。」
シドはカチュとシルマを見た。
「水の精霊といえど裸で連れて歩くわけにもいきませんから。」
「この奥には魔物が巣くっています。外を通った方が。」
大きさが合うカチュの替えの衣服に袖を通しながらウィーナが言った。
「魔物ですか。」
カイが訪ねる。
「以前は餓鬼だけでしたが今はもっと多くの魔物の気配がします。」
「それは・・・」
カイが気を込めると目の前の土が盛り上がり人の形を採った。
「こいつではありませんか。」
ウィーナは静かに首を振った。
「なに・・なに・・その人。」
カチュが現れたヴァルナの周りを物珍しそうに歩き回る。
「私の召喚魔です・・実体を持たせてます。」
「魔物なの・・ヘンな顔。」
カチュは魚のようなヴァルナの顔を見てクスッと笑った。
「そのまま出現させていてはどうですか。
その方がいざという時に間に合います。」
カイはシドの言葉に頷いた。
「それに・・・」
シドは自分の馬の背の雑嚢から二本の剣を取り出し、
「コルブランドとキャリバーン・・双子の剣です。
これをあなた達に。」
それをカチュとシルマに渡した。
「くれるの。」
カチュが嬉しそうな貌をし、シドがそれに頷く。
「私の目的はウィーナを助けること、それが出来たお礼です。
それではこの洞窟を通ってテアルまで。」
「待ってください。もう一つ。」
カイは自分の召喚魔ピュトンとジンを呼び出し、比較的階位の高いジンを権能が高い巫女カチュに、そしてピュトンをシルマの召喚魔とした。
暗い足下を照らすのはカイの水晶の杖。その光が弱まる奥で小さな鬼がガサゴソと動いている。
「何・・あれ。」
「餓鬼です。」
「いっぱい。」
カイとの会話の中でカチュが不安そうな顔を見せる。
「すぐにやっつけます。」
「二十匹程度、修練も兼ねて皆で斃しませんか。」
呪を唱えるカイをシドが押しとどめる。
「でも多いよ。」
と、カチュが言う間にシルマはピュトンを呼び出した。三体のピュトンが餓鬼に向かう。
ピュトンと餓鬼の階位は遥かに違う。次々と餓鬼を斃していく。
「あなたも。」
ピュトンの後ろを追って餓鬼の群れに迫るシルマを見ているだけのカチュにシドが促し、
「さて私も・・・」
と手近な石ころを何個か手にした。シルマとカチュが危なそうな場面でその石を投げる。と、その石礫が過たず餓鬼の頭を砕き飛ばした。それは餓鬼がどんなに不規則な動きをしても変わることはなかった。
僕も。と歩を進めそうになるカイをシドがと止める。
「あなたはもうこんなに低級な魔物は相手にする必要はないでしょう。」
そして闘う二人にも声を投げかける。
「長柄で充分ですよ、あなた達の権能なら。」
龍の回廊・・内部から光を発するエメラルドに全てが光り輝いている。そこでピクッとヴァルナが反応を見せた。
「トゥナですか。ピュトンやジンでは相手になりませんよ。それが三体。
一体は私が斃します。後はカチュさんとシルマさんで・・・」
シドは笑いながらそう言った。
ウナギに人の手足が生えた様な奇妙な姿の凶龍トゥナ。右にカチュ、左にシルマとそれぞれ別れる。
「召喚魔って使っちゃいけないの。」
「階位が違います。あなたの召喚魔ジンではすぐにやられますよ。」
カチュの声にシドが笑いながら答える。
左のシルマは気を入れて念じ、手をぱっと開いた。するとトゥナの周りで花火のような火が幾つもはじけた。トゥナがそれに気を取られる隙に駆け寄りシドに貰ったキャリバーンで一気にその躰を斬り下げた。
「魔術を使えますか・・やりますねぇ。」
シドが感心したように声を上げる。その躰に突っかかってくるトゥナの頭をシドが軽く叩く。それだけでトゥナの頭部は消し飛んだ。
「すごい。」
カイが後ろで唸る。
もう一匹・・カチュは残った一匹に手こずっている。
「もう・・・ジン。」
遂に召喚魔を呼び出した。
「やられますよ。」
シドがもう一度声を掛ける。
「ジンって魔法が使えるんでしょう。
シルマのまね。」
ジンが炎の玉を吐き、トゥナが煩わしそうにそれを躱す。
「隙めっけ。」
炎の玉を躱すことに集中したトゥナをカチュが長柄で両断し、得意げな顔をした。
その後も魔物達が現れた。ある時は自身等の手で、ある時は召喚魔を使って魔物を斃していった。そんな中でシルマがピュトンを呼ぶとそれはいつも数体現れ、魔物と戦った。すると、
「私のジンは一人なのにずるい。」
カチュがだだをこねるように言った。
「ジンは四つの元素を持ちます。つまり四体。火と水の元素を持つものは剣を手に闘い、炎と水の魔術を使います。土の元素を持つものは槍を持ち、植物を動かします。そして空気の元素を持つものは弓を持ち冷気を操ります。
あなたが呼ぶのはいつも一つ、火の元素を持つものだけで、しかも武器は持っていない。それはあなたの固定観念がそうさせているだけです。それさえ捨て、自由に考えればあなたが呼び出したジンは四体に別れて闘ってくれます。」
「えっ、本当なの・・・今度試してみよう。」
カチュのふくれっ面は直り、喜色を表した。
「ですがカイは生まれつきとして、あなた達の霊力・・・」
シドはカチュとシルマを交互に見る。
「どこから・・・生まれつきのものとは思えませんが。」
「私達は巫女・・当然よ。」
「私は騎士です。」
「だって・・・ワーロック様の苦い水薬を・・・」
「ハイ、あれを飲んで飛馬騎士に成りました。」
「あなた方は始めからペガサスに乗れたんじゃぁ・・・」
「私は小っちゃい頃から乗れたけど、この子は・・・」
カチュはシルマを見て、
「ワーロック様の薬を飲んでから。」
「そうですか・・・ワーロック・・・今も・・・」
そこでシドは話を切り、先を急いだ。




