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1.カレーなる幕引き

「うおっまぶしっ!」

 出口に差し掛かった瞬間、目を灼く閃光。それは魔物による攻撃――などではなく。

「朝日が目に沁みるぜ……」

 東の空低く、向かいのビルとビルの間から射しこむ朝日。それを真っ正面から目に捉えただけのこと。ネタ的な台詞が口を突いて出るのは、ほぼ徹夜明けのテンションのせいだ。

「やっと……デバグが終わるんやな……って」

 すでに発売日は二度延期していて、上からは「後は無いぞ」と釘を刺されている。発売してから修正パッチを配布すれば良い、という声もあったが、設定でオートセーブをオフにできる仕様上、さすがにラスダンの最終セーブポイント直前で『ハマる』可能性のあるバグを残すわけにはいかなかった。世の中には、より早く速くクリアすることに命でもかけているのかと疑いたくなるような人間が少なからずいるのだ。ラスダンなんて、パッチを用意する前に到達されてしまうことだろう。

 ……正直、サブイベなどにも力を入れたので、じっくり遊んで欲しいという思いは当然あるのだが、そう思いつつも、早解きもできるように敵やアイテムの能力や弱点、耐性なんかを何度もいじりつつ設定や配置をしてしまう辺り、俺らも根っこはやはりゲーマーなんだろう。

 ともあれ、今日になってようやく、問題のバグは取り除けたはずだ。隠しアイテムをクリア後ダンジョンに回すことになって、そこへ至る隠し通路を埋めたことが全然離れたところに影響するなんて、少なくとも俺にはすぐに思いつくものじゃない。ギリギリのタイミングだったとはいえ、その『ハマり』を見つけたテストプレイヤも大したものだが、バグの原因に思い至ったマップ班も大したものだ。プロデューサなんて肩書きをもらっても、3Dに関しては素人に毛が生えた程度の俺には、説明を聞いても何故そんなことが起こるのかまでは分からなかったから、まあ、餅は餅屋、というヤツなんだろう。

 ……なんてしみじみ思い返せるのも、やっと終わった開放感ゆえか。


 大学の卒業が迫るにもかかわらず就職を決められなかった俺だったが、運良く、趣味で作って公開していたフリーゲームがきっかけで、主に受託でゲームを開発している今の会社に拾ってもらった。そして、まだ新人といっていい頃、後に人気シリーズとなる『Dreamer’s Verse(ドリーマーズ・ヴァース、通称『ドリバー』または『DV』)』で、いきなりスタッフに抜擢された。それ以前に俺が『DV』のプロデューサとなる先輩に話したアイディアが買われて、バトルシステム担当を任されたのだ。当然そのまま使うというわけにはいかず、他のスタッフと共に試行錯誤はあったが、自分が目指した「打てば響く」バトルシステムはユーザからの好評を博し、続編『DV2』にも参加することになった俺は、バトルのみならず、世界観の構築や一部キャラやストーリィ設定にも関わることになった。

 ――おかげで、俺こと『相田そうだ おさむ』の名前は、苗字を「アイダ」と間違われる事がかなり少なくなるくらいには、ユーザも含めた関係者には覚えてもらうことができた。

 しかし、過去作の完成時にもそれぞれに感慨や達成感はあったけれど、プロデューサなんて任されてしまった今回の『DV3』は、今ようやくの完成を目前に、感じているのはただただ開放感、というのは、自分でも思っていた以上に重責と感じていたせいだろうか。

 ……いや。まだ世に出たわけではないし、出た後にも修正や調整作業が出てくる可能性は十分にある。責任ある立場だからこそ余計に、全てのことが手を離れるまで達成感なんて感じようもないのかも知れない。

 それでも開放感を禁じ得ないのは、四年近くになる開発期間の長さ、そしてその濃密さゆえだろう。

 本当に、いろいろなことがあった。実際に開発が始まって最初の頃は、とりまとめ役の難しさに直面して、向いていないんじゃないかと懊悩もした。それでもなんとかなったのだから、本当、先達や現場のみんなに助けられ、育てられたのだと実感する。

 これだけのビッグタイトルのプロデューサに若造を抜擢するなんて会社もずいぶんなギャンブルをするものだと思っていたが、開発中に三十を超え、いつまでも若造なんて言っていられなくなった。

 開発中に入社してきた若手の中には面白いヤツらもいる。他のメーカに移った先輩からの誘いもあるが、今はこの会社で、そういったヤツらがもっと自由にやれるように、今回とは違う小規模な自社タイトルで、俺が成功例を作ってやりたい。未経験の俺にいきなり大作のプロデューサを任せるような会社だから、若手のチャレンジを上が渋ることはあまり心配しなくていいのかも知れないが、チャンスを与えられた時に若手ができるだけ萎縮しなくて済むように。そのためなら、二度とやりたくないとすら思っていたプロデューサの立場だって……まあ、吝かではない。

 ――そんな、これまでのこと、これからのことをつらつらと考えているうち、目的のファミレスに到着した。今は珍しい、二十四時間営業を続けていてくれる、“俺たち”のような人間にはありがたい店舗だ。

 

「お好きな席へどうぞ」

 店員のお決まりの声に軽い会釈で応えて、ざっと席を見る。

 入り口から見て左手、窓際の席の手前には、学生だろうか、男女二人ずつが黙々とノートに向かってペンを走らせている。

 さらに何席か離れた奥にはスーツ姿のサラリーマン風男性。微かなコーヒーの香りはこちらからのものだろうか。

 店の奥側、パーティションの向こうからは若い女性たちのものと思われる話し声が漏れ聞こえているが、騒がしい感じはしない。

 ……店員を除けば、人の気配はその程度か。まあ、早朝のファミレスらしい、閑散とした、求めていた雰囲気ではあった。

 窓際の席から通路を挟んだ反対側、学生たちの席より一つ奥側に腰を落ち着け、メニュータブレットを操作する。

 ――ふと、ページを送る手が止まる。おそらくは一仕事終えた開放感がそうさせるのだろう、いかにも \冷えてまっせ/ といわんばかりの大ジョッキの写真が、俺の理性を破壊しにかかる。

 いやいや! まだ会社に戻って各所からの報告を待たなければならないのだ。今はみんなの好意が作ってくれた時間だ。ダメ。ダメだぞ。

 ……まったく、何という罠。いや、もはやこれはテロだな。良くない。良くないぞ。

 今、この誘惑を断ち切るためには、何かもっと強い刺激が必要だ。刺激……そうだね、カレーだね。

 ――そんなわけで、今、俺の前にはビーフカレー(辛口)が運ばれてきた。

「……やべぇ、腹減った……」

 学生たちの席からそんな声が聞こえてきた。

 すまん、学生たちよ。朝っぱらからこんな匂いをさせたら、そりゃ集中力も切れるわな。

 今度は俺がテロを仕掛ける側に回ってしまったことを心の中で詫びつつ、スプーンでライスとカレーの境界を攻める。まず最初はスプーンにライス少なめ、カレーたっぷりが俺のジャスティスだ。

 そのスプーンを口に含めば、まずビシッと舌を刺す辛みが、舌のみならず脳まで刺激し、寝不足の頭を叩き起こす。そこへ間髪入れず、煮込まれた具材たちが生んだ旨味の多重奏が襲いかかる。そして、噛みしめて際立つ牛肉のうまみ。米の甘みはしびれる舌を申し訳程度に慰め、次の一口への準備を整える。そこへ次いで放り込むのは、ジャガイモ単品だ。それが纏うカレーの“強さ”は、だが、口の中で崩れるジャガイモの素朴さを消してしまうどころか、むしろ引き立てさえして、ホクホクとした食感と共に、その優しい味わいが、米とはまた違う安らぎを口の中に与えてくれる。

 ……ああ。ありがとう、インド。ありがとう、イギリス。ありがとう、日本。

 カレーライスという奇跡を生んだ歴史への感謝を、この素晴らしい味わいと共に噛みしめる。


 ――そんなときだった。


 バガァン! と、ものすごい音が店の外から響き、反射的にそちらを振り向いた。

 瞬間、目に映ったのは、ガードレールなど無きが如く歩道を横切り一直線にこちらに迫る――タンクローリーの姿だった。

 ベットリと、重く、粘り、遅々としか進まない時間に纏わり付かれて、身動きできない俺の脳裡に、ふと、大学時代の光景が浮かんだ。

「あ、お前らさ、最後の晩餐、選べるとしたら何にする?」

 そうそう、柴田はそういう、突然の思いつきで話をぶった切るようなヤツだった。だけどなんか憎めない、そんなヤツ。

「俺は……カレーかな」

 だから俺も律儀にそんな風に答えていたっけ。


 ――だからって、こんな最期って、無いんじゃないか?


 そんな思いを最後に、俺の意識は途切れた。


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