2-50 「イヴェットさん!? っ待って下さい!」
「あっごめんなさい!」
慌てて謝罪する。ノアでありますように、と祈ったがぶつかったのは作業服姿の青年だった。仕事終わりの通行人なのだろう。
「いったいなあ……っ」
至近距離だからこそ濃霧でもハッキリ見えた。毒づく顔を見た瞬間──言葉を失った。
黒い天然パーマに黒縁メガネ。
その人は先日スケアリーが同封してきた写真の人物だったから。
「ったく……」
青年はコンテナを乗せたキャリーケースを引きずり、駅の方へと姿を消していく。
「え……?」
呆然として固まってしまった。
あれはスケアリーだ。間違いない。どうしてこんなタイミングで会うのだろう。
同時に思い出した。スケアリーが手紙にこう書いていた事を。
──実は私は人殺しなんだよ──
あれが冗談ではなく、事実なのだとしたら。
「待って!!」
慌てて立ち上がり青年の後を着いて行く。この霧では探しにくい。
青年が辻馬車に乗り込み、行き先を告げている声が聞こえて来る。
「郊外のマギカルディって時計屋まで」
次の瞬間ピシャリッ! と扉がしまり、馬の嘶きと共に馬車が発車した。
「マギカルディ…………」
偶然聞こえた行き先にピンと来た。
これは直感だ。
スケアリーから貰ったあの写真も、マギカルディの近くで撮影されていたのだから。スケアリーはそこでノアを殺すのだろう。
「っ」
そう気が付き、猛ダッシュで教会まで戻っていく。敷地に入ると、一番に聞こえて来たのは慌てふためくドミニクの声だった。
「お兄さん、あの! 電話貸して下さい! 実はさっきまで一緒に居たノアが居なくて、切り裂きジャックに捕まったのかも……!」
「はい?」
叔父の声もする。牧師服を着たまま牧師館で仕事をしていた叔父は、大方自分を心配して外に出てドミニクに捕まったのだろう。
「叔父さん!! ノアさんはジャンヌさんの家の近くだよっ!」
叔父に届く事を信じて叫び、イヴェットは馬車を追いかけに再び走り出した。
***
ノアが消えた。ついさっきまで近くに居たのに。
名前を呼んでも反応が無くて、ドミニク・クロスの頭は完全に混乱していた。
「えっイヴェットさん!? ジャンヌさん家……?? え??」
しかしイヴェットは何か気が付いたらしく、一言言い残してどこかへ行ってしまった。
「イヴェットさん!? っ待って下さい!」
ユスティンも最初は困惑していたが、どんどん遠ざかっていくイヴェットの声に最終的には走り出してしまった。
「貴方は警察に電話しておいて下さいっ! 家上がって良いですから! ジャンヌさんの家は郊外のマギカルディと言う時計屋の近くですっ!」
「えええぇお兄さんっ!? おにいさっ……!?」
ユスティンは足が早いようであっという間に霧の奥に消えてしまった。
「えええぇぇ……」
教会なんて言う縁の無い場所に1人取り残され、無性に心細くなった。
ノアが居なくなったのも、元を正せばすっかり気が緩んだ自分が悪いのだ。
もしこれで親友の身に何かあったらどうしよう。一生自分を責めながら生きていく事は容易に想像出来た。その時の自分を想像すると胸がはち切れそうになって、グスッと鼻を啜る。
「とりあえず電話しなきゃ……!」
ユスティンに言われた事を思い出し、体の向きを変えて真鍮製の手触りがする持ち手を引こうとし──ガチャガチャッ! と音がするだけで鍵が掛かっている事態に直面した。
「えええぇ開かないよお兄さん何処から出て来たんだよっ!?」
ユスティンに鍵を掛ける時間なんて無かったのだから、こんな事が起こるわけが無い。
開けるドアを間違えているのか。早く電話をしたいのに。
「お兄さん〜っ!!」
上手く開かない事に苛立ちながら、もう一度ガチャガチャッと扉を鳴らした。
──と。
「あの、教会に何かご用事ですか?」
男性に声を掛けられたのだ。
自分以外誰も居ないと思っていたので、「うわっ!?」と肩を跳ねさせ勢い良く振り返る。
その人は顔が見える距離まで近付いて来てくれたらしく、辛うじて顔が見えた。
20代前半と言った青年だった。
黒だか焦げ茶だかイマイチ分からない髪色をして、頭にゴーグルを乗せている。作業服を着てて一見すると工場帰りの青年だが、わざわざここまで敷地を踏みに来たと言う事はそうではないのだろう。
救世主だ、と扉の持ち手から手を離して青年と向き合う。
「あっ! あの! お兄さん教会関係者ですか?」
「はい、事務員です。どうかしました? あっ、学生さん? じゃあイヴェットちゃんの友だ──えっ」
やっぱり救世主だった。イヴェットの事も知っているらしい。この人に頼るしかない。
その気持ちが先走り、青年の両肩をガシっと掴んだ。
「あのオレっイヴェットさんからクッキーを貰いに来たノアって奴の友達なんですけどっそのノアが今さっきまで確かに居たのにどこかに消えちゃって! 切り裂きジャックに狙われたんじゃないかって! イヴェットさんジャンヌさん家って言い残してお兄さんと消えちゃって! オレは電話使って良いから警察にって言われて置いてかれてでも扉開かないしもうどうして良いか分からなくなって!」
最初は困惑していた青年だったが、自分の話を聞いていく内に段々と真剣な顔に変わっていった。特にジャンヌ、と言う名前を出した時は思いきり眉を顰めた程だった。
「ジャンヌさん家、って言ったの?」
「はいっ、イヴェットさんノアが誘拐されたすぐ後男の人とぶつかったみたいで、そのすぐ後にジャンヌさん家って言い出して」
「男……ジャンヌさん家……」
「オレどうしたら良いかもう分からなくてぇ……」
先程の混乱を思い出したらまた泣けて来た。
涙を引っ込めたくて鼻を啜ると、それまでブツブツ言っていた青年がニコリと笑い掛けて来た。
「とりあえず通報しようか? ユスティンの馬鹿は住居スペースの電話を使っていい、って言いたかったんだと思うよ。ごめんね? そんなの分かるわけ無いよな。こっち来て」
やんわりと肩の手を外した青年はそう言い自分の腕を引っ張った。
何処に行くんだ、と一瞬焦ったが10歩左に引っ張られただけだった。
どうやら隣に別館があったらしい。ユスティンはここから出て来たんだと納得していると、青年は扉を開けて別館へ入っていく。
別館は、教会の敷地内にあるとは思えない程一般的な家だった。階段前に掛けられているカラフルなビーズカーテンに、一瞬上がって良いか躊躇う程だ。
「大丈夫。ここ俺も住んでるから」
そんな自分に気が付いたのか、焦げ茶色の髪を電気の明かりに光らせている青年が一度笑った。青年は引っ張っていた黒いキャリーケースをビーズカーテン前に置いた後、廊下を突っ切って電話があるリビングまで進んでいく。
その言葉に青年の正体にようやく合点がいった。先程ノアから聞いたばかりだ。
「あっ……この人過保護2号か……」
納得した後、自分も電話の側に行くべく駆け足で廊下を進んでいく。
これがノアの助けに少しでもなって欲しい。そう思いながら。
気付けば唇を噛み締めていた。




