2-48 「なんだアンリ君、ティナちゃんの事狙ってたんか?」
準備を終え家を出てミトズロッドに向かう。ミトズロッドの周辺にはご丁寧な事に警察官が多いので、作業服を着て行った。工業区に近いのでコンテナをキャリーケースに乗せていても幸い怪しまれにくい。
ミトズロッドの前には本屋がある。雑誌を立ち読みする振りをしながら監視を続けた。
霧があるのでこの距離でノアを探せるか心配だったが、薄い霧だったので意外と問題無かった。
(やっぱりこの霧中途半端だなあ……どうする? ルイリーフまで尾行した方が確実かな。馬車代はあるんだし──お)
独り言を堪えて考えていると、視界に赤色の頭が飛び込んできた。
ノアだ。
顔は良く見えないが背格好があの少年である上、隣には茶髪の少年も居る。間違いないだろう。
本屋を出て尾行を開始しようと思い、目を丸くした。
(えっ!? そっちはルイリーフじゃないけど……!?)
ノア達は、ルイリーフとは反対側の工業区へ歩き始めたのだ。
予想外の行動に動揺してトランクの持ち手を握る力がギュッと強くなる。
(おいどこ行くんだよ! 今日は止めるか? だけどそれはスケアリーにまた詰られそうだし……今更他を見繕うのもな)
見失わないよう着いていきながら頭をフル回転させる。
色々な事を思うと今日ノアを誘拐したかった。あまり時間を掛けてはノアは両親が帰って来てしまうし、それも面倒だ。
歴史に残る殺人鬼は、不測の事態にも柔軟に対応してきた筈。この状況を打破する方法も必ずある。
「クリストフさん、早く教会行きたいですかーー?」
悩んでいる自分の耳に入って来たのは、茶髪の友達の不貞腐れた声。どうやら彼等は川沿いの教会に行くようだ。
──この辺りだと教会の前の道が、川と工業区と生活排気の影響で特に霧が出やすいんですよ。
その時思い出したのは、いつかノアに道案内された時に教えて貰った言葉。
ノア達はその道を行くのではないか。
そうだ、そうに違いない。
自分も何回かあそこは通った事があるが、あの辺は確かに霧が濃い。
(そっかぁ……よし、ならイケる。逃がしてやるもんか)
出口が見えてスッキリした。
赤い頭の後を追いながら、余裕が出てきたヴェンツェルはにんまりと笑みを深めていた。
***
シーソルト味。ビネガー味。ブラックペッパー味。
折角山程ポテトチップスを持って行くのだから、色々な種類を持って行こうと思った。
人間の味覚と言うのは昔から変わらない。最古の調味料と言われる酢が今も愛されているのがその証拠だ。
これだけロングヒットフレーバーを揃えれば、河原にいる人達もエンリケの事を忘れてアルコールを楽しんで貰えるだろう。缶ビールも、ビーフジャーキーも、毛布も揃えた。
幼馴染のキャリーケースを拝借しポテトチップスが砕けぬ程度に荷物を詰め込んだ後、アンリ・アランコは黒いキャリーケースをガラガラ引き、夕焼け空に変わりつつある中川沿いの道を歩いていた。
ティナに依頼した時も朝のこの道を通ったが、この道は何時通っても変わらず長閑だ。あの時と違う事と言えば空の色と、霧を裂くようにガス灯が働いている事だけだ。
「おっも!」
土手を下る階段が無い為、重たいキャリーケースを持ち上げて川沿いまで一気に下り、一番最初に視界に現れた中年男性──彼とも飲んだ事がある──に声を掛けた。
「こんにちは」
浮かない顔の男性は、自分の声に死神に声を掛けられたように肩を跳ねさせた。が、見覚えのある顔に見るからに安心したように目尻を垂れさせら。
「おー、アンリ君。久し振りだな。……エンリケの葬儀の営業にでも来たか?」
「来ませんよ、流石に。俺もショックでしたから」
表情の割に言葉に棘がある事に苦笑し、キャリーケースを脇に停止させる。
「今日はティナさんに用事があって来たんです。ティナさん居ます?」
義足の女性の名前を出した瞬間、男性はまた不安そうな表情に戻り首を横に振る。
「ティナちゃんなぁ…………実はティナちゃん、今朝テント片付けて消えちまったんだよ」
「え?」
消えた。
思ってもいなかった展開に何度も瞬く。
「朝の内にどっか行っちまったみてぇで、魔法のように消えちまった。ワンタッチテントだったし誰も気付かなかったよ」
ティナは自分が居ない可能性を確かに示唆していたが、それは単に日中居ないと言うだけの意味だと思っていた。文字通り居なくなるとは少しも予想していなかった。
どうしてこのタイミングで消えたのだろう。
このポテトチップス達はどうしよう。
頭どころか動きすら止まった自分を見て、男性が楽しそうに鼻を鳴らした。
「なんだアンリ君、ティナちゃんの事狙ってたんか?」
「違います! 仕事を頼んでいたんですよ。今日はその報酬を渡しに来たんです」
否定をしホラッとキャリーケースを男性に見せた。男性は自分の反応に可笑しそうに肩を揺らしていた。
「そうかい。に、してもティナちゃんどうしたのかねえ……。テントが無ぇっつっても、エンリケみたいに狙われたんかねー美人さんだったし」
「綺麗なのは確かですけどそれは無いでしょ、ティナさんですよ? あの義足だってどうせ改造でしょう? 最大限に脚力高めた義足で蹴られたら誰だって逃げますよ」
「それもそうだな、ティナちゃんだし」
言われてどこか腑に落ちたように男性が頷いた。どうやらティナの隙の無さはこの河原でも有名だったようだ。
「居ないなら仕方ないですね。じゃあ、これ代わりに貰っておいて貰えますか? お金は皆さんで分配して下さい。実はティナさんに言われていたんですよ、もし自分が居なかったらこれは河原の人に渡しておいてくれって」
「って事はティナちゃん、端から居なくなる気だったのかねえ。有り難く貰っておくよ」
良い返事が貰えたのでその場にしゃがみ込み、キャリーケースを開け中身を取り出していく。何も言わずユスティンの部屋から拝借したキャリーケースなので、置いて帰る訳にはいかない。
「どうでしょうねー……あの人の事は良く分からないです。男性的だったり女性的だったり、何考えてるか分からない不思議な人でしたから」
「確かに、ここじゃ居ないタイプだったな。つかこんなに何依頼したのさアンリ君」
ジャンヌからのお小遣いが1割入った封筒を見ながら目を丸くする男性にただ愛想笑いを返し、最後の毛布を取り出してキャリーケースを空にした。
***
「良いな〜ガールフレンドの手料理良いな〜」
じめっとねちっこく言うドミニクは、朝から下校中の今に至るまでずっとその話をしていた。
拗ねきっているのでしかも声が大きい。おかげでノア・クリストフはすっかりガールフレンドが居る人間に格上げされた。




