2-42 親愛なるノイへ。
「いーやそれは無い気がする……うっわ、なんか気持ち悪ぃ蕁麻疹出そう!」
喉元まで出掛かっているのに、完全には出て来てくれない。気持ち悪くて思わず地団駄を踏んでいたら、親友が声を上げて笑った。
「あっはっは! そしたら皮膚科連れてってあげる。まっ、そういうのってポロっと思い出すもんでしょ。コーヒーでも飲んでたら思い出すよ」
「ドミニクさ、それコーヒー奢れ、っつってる?」
「あっはっはバレた?」
「お前な~……ったく、僕も飲みたいし、お世話になってっから良いけどさ!」
呆れながらも結局は頷くと「やったー!」と親友がはしゃぎ、どこの飲食店に入ろうか腕を組みながら考えていた。その横で、自分はずっと思い出そうと記憶と戦っていた。
医大生と言うと自分にはヴェンツェルだが、彼の事ではないと思う。逃げてはいるが採血の事はちゃんと覚えている。
「あーっ本当に何だったかな……」
モヤモヤしながらドミニクおすすめのオシャレな喫茶店に入った。落ち着いた店内にはクラシックが流れている。
驚いたのだが、夜よりもこの時間の方がこの喫茶店は混むらしい。自習をする大学生達で回転率が悪くなるのと、船を降りた旅行客が一気に来る為だと言う。なので10月のテラス席に案内された。潮風は冷たかったが、海上の蒸気船が見えたのでテンションが上がる。
コーヒーとついでに地魚を使ったサンドイッチを食べても医大生を見た時のモヤモヤは思い出せず、余計頭を抱えた自分を見て一層ドミニクは笑っていた。
***
凄い偶然があったものだと、潮風吹く歩道の上ヴェンツェル・ラグナイトは衝撃を受けていた。
少年院を出た後に人を殺した時、初めて生で人間の肝臓を見た。あの時の衝撃と同じ、と言っても過言では無い。
なにせずっと会いたかった隣人が、向かいの歩道を友達と一緒に歩いていたのだから。
「…………ノア?」
ミトズロッドの周辺を物色しながら大学から帰ろう、と思っていただけに、ここでノアに会ったのは「次はノアにしなさい」と切り裂きジャックの幽霊に囁かれている気がした程だ。
ルイリーフはエルキルスほど建物が多くないので尾行が出来るか不安だったが、ノアは友人と店に入ったので簡単に後を追えた。それどころか、テラス席に案内されたおかげで死角で本を読む振りをしながら盗み聞きすら出来た程だ。
どうやらノアは今、この茶髪の友人宅でお世話になっているらしかった。だから帰って来なかったのかと納得する。
「あ、ねえ。明日は真っ直ぐうち帰って店手伝ってくれ、って親父が言ってたのノア聞いてたっけ? 予約が多いんだって、明日の夕方」
コーヒーの匂いが漂って来なくなった頃、ふとノアの友達が話題を変えた。
どうやらこの少年は店舗付き住宅に住んでいるらしい。なら少し物音を立てようと周囲は気にしなさそうで、無表情で本を読み続けるのが難しかった。
「えっ初めて聞いた。んじゃ明日は学校終わったらすぐ帰るかー。汽車乗る?」
「えっ良いよ歩こうよそれは勿体無い」
もう少し耳をそばだてていると、その店がバーバーエルティボだと分かり笑ってしまいそうになった。その床屋なら大学に行く途中にある。
「っ……」
笑い声で気付かれてしまっては元も子もないので、慌てて店の壁から背を離し駅に向かって歩いていく。
明日、ノアはバーバーエルティボに歩いて帰る。ここまでノアの動向を把握出来れば問題無いだろう。
ミトズロッドからルイリーフに行くまでに、ちょっとした山を越える必要がある。そこでなら友人が居ようがノアを誘拐するのはエルキルスより簡単だ。
やっぱりこれは、切り裂きジャックの幽霊が自分を応援してくれているのだろう。
「ふふ、ふふふっ」
ヴェンツェルは己の幸運を噛み締めながら、駅に向かう道すがら堪え切れず笑いを漏らしていた。
***
『親愛なるノイへ。
こんにちは、返信と写真有り難う。
実際見てみるとノイって本当に高校生なんだねえ。意外と格好良くてビックリ。ふふふっ。
そっかー……それは残念。でも、就職に向けて動き出すなら確かに忙しいよね。じゃあ、もし暇が作れそうなら教えてよ。そしたら、その時は一緒にオムライス(じゃなくても良いけど)を食べに行こう。
そうだ。
せっかく写真をくれたんだから、こっちも写真を同封しておくよ。家の近くで撮ったんだ。不意打ちだったからカメラ目線ではないのだけど。
メアリーなんて言っておいて男でごめん、笑って良いよ。
そうそう。
どうせ会うなら、こっちの情報をもっと出すよ。本当は会った時に伝えるのも良いかな、って思っていたんだけど。
実は私は、人殺しなんだ。
ノイだからこんな事伝えられる。勿論、初めて人に話すよ。
こんな事を伝えて、驚かせたらごめん。人殺しと会いたくないならそれで良いよ。
でも、どうしても伝えておきたかったんだ。ノイには嘘を吐きたくないから。
じゃあ、会う時に食べたい物でも考えておいてよ。それじゃあ、またね。
スケアリー・メアリーより愛を込めて』
***
「うう……」
イヴェット・オーグレンは、夜の散歩から帰ってきたアンリから渡された手紙を読んで、口から呻き声を漏らしていた。
「なんか……なんか……罪悪感が凄い……」
スケアリーが一片も自分を疑っていない事が、胃に鈍い痛みを走らせる。
人殺しなんておかしな事を言ってるのも、自分に断られて拗ねたからではないのか。
「ううう……」
呻きながらも、気になって写真に手を伸ばす。スケアリーは中性的であったが男性だったとは意外だ。どう考えても偽名ではあるが、メアリーとある分ついつい女性をイメージしていたから。
「あー……やっぱり大学生、なのかな」
写真に映っていたのは、黒い天然パーマの20歳くらいの青年。大学生だからこそ、ルイリーフ医科大学の記念切手を貼ってきたのだろう。
罪悪感はあれど、歳が近い事が純粋に嬉しかった。歳の近い青年に、男だと思わせた事に微かな達成感があったのだ。
「あれ?」




