2-41 (もしかして誰か殺したのか?)
第5章 それは追い詰められた蒸気のように
「凄い偶然があるもんだなぁ……」
郊外の研究所の中に入ったティナ・ホアンは、手に持ったチラシの赤文字に目を通しながらぼやいていた。チラシにも書いてある通り、あの女性は件のジャンヌと言う事になる。
あの写真はアンリに渡した物だ。それをこんな形で再び見る事になるとは、運命の歯車と言うものはどんな風に回るのか分からない。
「……ふう」
運命の奇怪さに思いを馳せていたティナは一度深い溜息を吐き、研究所に来たら毎回やる事をするべくデスクに向かった。
昨日は河原で同じくテントを張っている女性の愚痴を聞いていて研究所に来れなかったので、2日分溜まってしまった。
溜まったのは、ヴェンツェルの行動確認だ。
手駒に丁度良かった半グレ達が捕まったので代わりを探していた時、少年院を出所したヴェンツェルがこちらに来ていたので代わりにと声をかけた。誰でも良いから肝臓を引き抜きたいヴェンツェルと、ある人物を探し出したい自分の利害は一致していると言える。
だからある程度はヴェンツェルのフォローはするつもりでいるが、ヴェンツェルの出方によって対応を変える必要がある。同じ泥船に乗るつもりはない。
なので、ヴェンツェルの行動はある程度把握している。とは言っても損な時代で出来る範疇の事だ。
家庭訪問と称して家に行った時仕掛けた盗聴器と玄関ドア開閉記録機の精査。他には馬車も牽ける部下が、ゴミや大学の出席を確認しているくらいだ。長年少年院で過ごし世間知らずとも言える彼が、こちらが監視している事に気付いた様子はない。
「ヴェンツェルは本当に家から出ないねえ」
大学やアルバイトに行った日は、朝大学に行く時と夕方帰って来た時、夜アルバイトに行って帰って来る時しか玄関を開けない。
大学やアルバイトに行かない日は、1日1回弁当を買いに行く程度。
ゴードンとフレッドを切り刻んでいた時はそれ以外も出掛けていたが、自粛している今は引きこもりを極めている。
「……ん?」
と、思っていたら。
珍しく、一昨日土曜日の夜に出掛けていたのだ。記録を見る限り、43分間の散歩を霧の中していたらしい。
何をしていたのか気になって、波形グラフの反応を頼りにこちらで録音している音声を再生する。ヴェンツェルは独り言が多いので、声が残っていれば行動を把握しやすい。
『やっぱおっさんの肝臓は汚いなー……』
再生機からは思った通りヴェンツェルの独り言が聞こえてきて、呟きの内容に眉を顰めた。
(もしかして誰か殺したのか?)
開閉記録とこの独り言から考えると、そうとしか思えなかった。おっさん、と言う単語とタイミングから考えると、昨日発見されたという身元不明の中年男性だろうか。殺害手口は切り裂きジャックそのものだったが、ミトズロッドと全く関係が無いので模倣犯だと思っていた。
「殺したんだな……」
余計な殺しはするな、と釘を刺していたと言うのに。どうやらあの青年には少しの効力も無かったらしい。
一体誰を殺したと言うのだろう。何時も定位置に居る先輩が行方不明である今、あまり考えたくない事だ。
痛む頭を堪えるように眉間に指を当てながら、今後の事を考えていく。
「…………痛いんだよっ」
吐き捨てるようにティナは言い、ジャンヌから貰ったチラシをクシャリと握り締めた。
***
ルイリーフはエルキルスの地下鉄沿線での2駅隣だ。小さい山を拔ける為都市部から港町に一気に変わる。
ノア・クリストフはドミニクの家に帰るべく、人の往来の多い海沿いの道を歩いていた。
「霧が無いってさ~良いよね。海も綺麗に見えるし、すっごい平和」
蒸気船の汽笛も「潮風で洗濯物が干せない」という主婦の愚痴も、いたる所から聞こえてくるこの港町に、ドミニクは生まれた時から住んでいるという。
「同意、月曜日だからか改めて平和だって思っちゃうな」
「ね。でもさー、こんな日でもどっかでは人が死んでるんだよ。なんか不思議な気分」
垂れ目を細めて笑うドミニクは、不意にシワシワのお爺さんみたいな事を言い出した。横目で隣の少年を盗み見ると、ドミニクは遠くの海で黒煙を吐き出している蒸気船を見ていた。夕焼け空を反射した海は、人を何時もより感傷的にさせる物らしい。
昨日またエルキルスで何処かの誰かが殺されたらしいので、何か思うところがあるのだろう。自分も何時も以上に周囲を見てしまう。
「そーだな」
簡潔に返し、自分も同じように海を見た。
ルイリーフの歩道に居る人は、エルキルス駅前で急いでいるサラリーマン達とは全然違う。
港があるからかトランクを引いている老夫婦も居るし、安くて新鮮な魚を求めに来たような人達も居る。ルイリーフ医科大学から出て来る大学生も多い。駅に向かう人並みは、バーバーエルティボに向かっている自分達とは進行方向が逆だ。
エルキルスよりスーツ姿の人は少なく、蒸気船を見て喜んでいる子供が多い。幼い頃自分も祖父母とルイリーフの港に来て、航海帰りの両親を良く迎えに来た物だった。
「俺等はインターン生として──」
ドミニクとの会話が珍しく途切れたタイミングだからか、すれ違った大学生達の声がくっきりと聞こえて来た。社会人と大学生の中間を生きているらしい彼等の眼差しは力強い。
──何故かその光景に、深爪の時のような小さくて確かな違和感を覚えた。
「…………あれ。うーん……」
それが何だか言葉に出来ない。闇に溶け行く蒸気のように、確かにそこにあるのに掴めない。
「どした?」
「いや、なんか……」
「えっなになに本当にどしたの? ちょっと怖いんだけど。誰か居る?」
俯き唸りだした自分を見てドミニクが眉を顰める。煮え切らない自分に、親友が不安げに周囲を見渡しだした。
「やっ、そーいうんじゃなくて……悪ぃ、なんか今思い出しかけてさ」
「ん? 何を?」
周囲に切り裂きジャックが居ると思っているらしい親友に謝るも、自分が何を気にしているか言語化出来ない。何かを思い出したい事ははっきり分かっているのに、肝心の内容が霧がかって思い出せない。齢16歳にしてこんな思いをしている自分に恥ずかしさすら感じる。
「わかんねえ……」
肩を落として言うとドミニクの目がおかしそうに細まった。
「なにそれ。じゃあ思い出さなくても良い事なんじゃない?」




