2-40 「そろそろミトズロッドの再開しようかな……」
少年は、少女から肝臓を取り出そうとした瞬間を押さえられたのだ。事件自体は嘱託殺人ではあったものの、「少女の肝臓が見たかった」と言う理由で摘出を決めた、と。
──あの人幾つ? って──
ずっと引っかかっていたのだ。
どうしてヴェンツェルが自分の年齢に興味があったかを。
あれは自分が老けていたからではなく、確認しておきたかったからじゃないのか。
もっと早く気が付けば良かった。エルキルス署には自分しか同郷は居ないと言うのに、すっかりこの情報が抜けていた。
「……なー、ノアのお隣さんのヴェンツェルさんって幾つだっけ?」
急に脈絡の無い質問をしたからか、猫背の後輩に少し間があった。
「…………20、だけど」
一拍後、不思議そうに返された数字を聞いて肩に力が入った。
計算的には合ってしまう。
嫌な数字が一致した事に「はあああ」と深く溜息を吐く。どうやら今日は仮眠室で寝る事になりそうだ。
「悪い、ちょっと調べ物がしたくなった。下水の方はお前が思った方向で調べておいてくれ」
デスクチェアから立ち上がった自分をクルトはじっと見た後、首を縦に振り同じように椅子から立ち上がり課長の元に向かう。
「んじゃ仕事するかな、っと……!」
伸びをするように両腕を首の後ろで組んでストレッチをすると、刑事課の部屋に染み付いた煙臭い空気が肺いっぱいに広がった。
***
『夕方、エルキルス駅の路地で男性の他殺体が発見されました。死体は損傷が激しく、警察は現在身元確認を急いでいます』
食卓の上に置いているラジオから、昨夜自分が行った殺人についての報道が流れて来た。
女性アナウンサーの凛とした声を聞きながらヴェンツェル・ラグナイトはにんまりと頬を持ち上げる。切り裂きジャックとの関連を直ぐに報じない辺り、模倣犯に見せかける事は成功したのだろう。
「良かった良かった」
ホルマリンを入れた瓶──勿論エンリケの肝臓を浮かべている──を手に持ち天井の照明に透かしているので、今自分は笑顔だったと思う。
夜は室内に光が入って来ないので家の照明だけで肝臓が見られて、それもまた楽しかった。
「やっぱおっさんの肝臓は汚いなー……」
定位置から動かない事が多かっただろう人だ。運動不足だった事は容易に想像が付くし、食生活にも気を遣っていたとは思えない。こんなに肝臓をくすませては、自分が殺さなくても数年以内に死んでいただろう。
「そろそろミトズロッドの再開しようかな……」
隣の家の明かりはずっと点かないが、明日月曜日が来たらノアは戻って来るだろう。その時、また適当な事を言って家に連れこめば良い。
そう思うと明日は頑張ろうと思えるから不思議だ。
***
ジャンヌ・ニューフィールドは40年間独身を貫いて来た。
自分の激しい性格は分かっている。だからなのかそんな自分に近寄って来る男性は居らず、ただただ自分を慕ってくれる愛犬ココを可愛がって来た。
しかし。
命よりも愛しい存在が先日、腹を裂かれて殺されたのだ。
「許さない……っ!!」
カラスに突かれた死体を思い出すと目頭が熱くなる。歯を軋ませずにはいられなかった。
ココを殺したらしい男の写真は手に入れた。
アンリは高校生の時不良だった分、グレーな友人も多い。そんなアンリが念押しして渡してきた違法写真なら、それは警察よりずっと信用出来るだろう。
見付けたらココと同じ方法で殺してやりたかった。どうせ、自分には何も無いのだから。
「すみません、少し話を聞かせて頂けますかっ!」
だから今、ジャンヌは家の外で写真とチラシ片手に聞き込みをしていた。
殆どの人が一瞬だけこちらを振り返るも、「おばさんがチラシ配ってる」と認識するなり興味を失くし、また前を向く。
人がこんなに必死なのにその態度は何だ、と思わなくはなかったが、時間が勿体無かったので突っかからず次の人に話しかけた。
「すみません、少し話を聞かせて頂けますかっ!」
駅に向かって歩いていた男性に話しかけるも、これも無視された。
「ああもうっ!」
小声で苛立ちながらもめげずに次の人を探す。郊外だけあり、この辺りはエルキルス駅前よりずっと人が居ない。
と。
綺麗な女性の姿が目に留まった。
金色のショートヘアも黒スーツスタイルも似合っている、20代後半と言ったクールな女性。無視されそうではあるが、話しかけない理由にはならないと思った。
「すみません、少し話を聞かせて頂けます!?」
「はい?」
女性が居る郵便ポストまで近寄り声を掛けると、低い声の女性は驚きつつも応じてくれた。無視されるかと思ったがそんな事は無かった。初めてのマトモな反応が嬉しくて、表情を明るくさせながら矢継ぎ早に続ける。
「人を捜しているんです。この写真の人物をご存知ありませんか?」
女性の青い目を見ながら言い、アンリから貰った写真を見せると「……これは」と瞠目していた。
「あの、この青年がどうかされました?」
「命よりも大事な私の愛犬を殺したんですっ! だから見付けてやりたくて!」
「それは……」
きちんとこちらに向き直った女性がそっと目を伏せる。その表情は驚いている、と言うよりも何事か考えているように見えた。
──もしかしてこの人は何か知っているのではないか。
興奮に鼻息が荒くなった。
「で、ご存知ありませんか? どんなに些細な事でも、なんでも良いんです!?」
女性の肩を掴まんばかりの勢いで詰め寄る。
と、女性は青い瞳をじっとこちらに向けながら尋ねてきた。その表情は何処か悲しげだ。
「私も大切な人を失った経験がありますので、お気持ちは痛い程分かります。お聞きしたいのですが、この青年を探し出してどうされるおつもりですか?」
「殺すに決まってるじゃないですかっ! ココちゃんと同じように腹を裂いてやるんです!」
この目の前で嘘を吐いてはいけない。そう思ったからこそ正直に話した。
「そうですか」
女性は感情の読めない声で呟いた。
それでこの青年の事は知っているのか──そう詰め寄ろうとした時、女性の首が縦に振られた。
「この青年、心当たりがあります。凄い偶然だと驚いています」
「本当!?」
やっぱり思った通りだ。この女性は何か知っている。詳しい事を聞かせて欲しい。
そう思って女性に詰め寄った。殆ど壁に追いやっていて、まるで後輩社員を虐めているお局だ。しかし女性が意に介した素振りはない。それどころかニコッと笑いかけてきた。
「すみません、ただ今は仕事中でお話する時間が……今も抜け出してきただけですので、改めてまたご連絡致します。あ、私はメアリーと言います。チラシ、1枚頂いても宜しいですか?」
そう言い女性は、黒い手袋を嵌めた手をこちらに差し出してきた。女性の目が笑っていない事には気付いていたが、それが何の意味があるのかまでは興味が無いので気にならなかった。
「よっ宜しくお願い致します!」
慌ててチラシを渡すと、女性は自宅の方角へと歩いていく。
ジャンヌはメアリーから連絡が来る事を祈りながら、遠ざかるその背を縋るような思いで見送っていた。




