2-34 「それが知ってるんだ、でも教えないよ」
ピクリと眉間に皺が寄った。
規制技術を作る罪は重く懲役30年だ。発症日後、そもそも世界は戦争を避ける為に文明レベルを落としたのだから当然だろう。
「まあ……そうですね。ジャンヌさんにも言っておきます。ティナさん、写真は何時受け取ったら良いですか?」
『それなんだけど、今会えるかな?』
「構いませんが、ティナさん今何処に居るんですか?」
『工業区の公衆電話からだよ。ここからなら数分で教会に行ける。じゃあ、宜しく。教会には入りたくないから外に出ててくれよ』
ティナはそう言うなり、こちらの返事を待たずにブツリと電話を切った。
「もっと寝たかったけど……仕方ないかー」
ぐだぐだ言いながら伸びをし、必要最低限の身だしなみを整えて外に出た。
「さむっ」
自分には無関係であると信じているが、もうヒートショックが心配な季節だ。スウェットにジャケットを羽織っただけで出て来た事を後悔した。
足踏みをしながら教会と道路の境目でティナを待つ。早朝なので霧は濃く、蹄の音も馬の臭いもしない。
そう言えば春も、ティナとこうして待ち合わせて外で密談をした。集会室のが話しやすいのではと提案したが、「教会は嫌いだから」と断られた物だった。
あの女性が、異性と屋内で2人きりになるのを避けようとしているとは思えない。本当に教会が嫌いなのだろう。なのに教会で働いている人間に協力してくれて有り難い限りだ。
「アンリ君?」
吐息の白さをただ眺めていた時、工業区へ行く方角から女性の低い声がした。
金色のショートカットに黒いコート。義足をカバーするようなゆったりとしたシルエットは相変わらずだ。
「ティナさん、お早う御座います」
「お早う。作業着じゃない君は初めて見るな。印象が違くて、一瞬誰かと思ったよ」
「着替える時間が無くて。こんな格好で失礼します」
「構わないよ。と、はい」
そう言い早速写真を受け取る。違法監視カメラによる写真を見るのはこれが初めてだ。
天然パーマの黒髪。
青い三白眼。
姿勢は悪い。
写真の隅には撮影した日時の印字。中央やや上部に写っている青年の顔がハッキリと写っていた。
信者の家がある関係、あの辺は何度も訪れた。首を跳ねている瞬間では無いものの、夜にこの道を通っている。それはこの青年が犯人である事を雄弁に物語っていた。
「若いですね、20歳くらいかな。誰だか知ってたり……しません、よねえ?」
一応聞いてみるか、と思った自分に、しかしティナはスケアリースマイルが如くにんまりと笑った。
「それが知ってるんだ、でも教えないよ」
「え」
どうしてこの人物を知っているか、気になるところではあるが。本人も言っている通り、これ以上詮索してはいけないだろう。
普段は気にならないティナの義足に視線が行くのも、きっと脳が警鐘を鳴らしているからだ。
「……」
これだけ犯人がハッキリと写っていればジャンヌも満足するに違いない。なにせ、警察より分かれば良いのだから。
「……ティナさん、ご協力有り難う御座いました。報酬は俺もまだジャンヌさんから貰っていないので渡せないのですが、貰ったら河原までお届け致します」
「ん……? うん、そうさせて貰うよ。ああ、私が居なかったら他の先輩に渡しておいてくれると嬉しいよ」
あっさりと自分が引き下がったからか。ティナが意外そうに瞬いた後ふふっと目を細めた。
「じゃあ」
そのまま駅前に歩を進めた女性の背中を見送り、アンリは受け取ったばかりの写真を見下ろし、仕事が立て込んでいるジャンヌに何時渡そうか考える。タイミングも良いし明日の日曜礼拝の時だろう。
欠伸を噛み締め──心に決めた。空はまだ暗い。
「とりあえず……午後昼寝しよっと」
***
『ちゅうしゃやだあああああああああっ!!』
あれは5歳の時だった。
何処か緊張した面持ちで注射器を持った青年を前に、身体を強張らせたノア・クリストフが病院の椅子の上で泣き叫んだのは。
『ノア君っ大丈夫だから! ご、ごめんなさい……!』
『も、申し訳ありません……! 採血習ったばっかで! 痛かった、よね……!』
『ちゅうしゃもううたないいいいい!!』
実習生が採血に失敗し、もう一度注射を打たないといけない時があったのだ。
しかし5歳の自分にそんな事情が理解出来る訳がない。もう一度あんな世界で一番痛い事をしないといけないのがストレスで、ただただ泣き喚いていた。
横に居たヴァージニアがあまりにも周囲に謝るし、注射を打った青年は緊張のあまり子供相手にかしこまる。
なんでこんなに大人が謝っているんだ──それも理解不能で怖かった。
『もううたないいいいいっ』
『ノア君これ終わったらソフトクリーム食べて帰ろうっ? ね? だからちょっと我慢してっ!』
『やだああああああ!』
目の前の光景が処理出来なくて泣き喚いた。
あの頃「注射はもう打たない」と連呼したのもあるのだろう。だから自分は注射が嫌いで、出来れば避けたいのだ。
「はあ……」
土曜日な上破格のクーポン効果で、待機中の客が多いバーバーエルティボ。
その白い床に落ちた黒髪を掃きながら、ノア・クリストフは5歳の時の記憶を思い出していた。
記憶の片隅で圧縮されていた昔の事を思い出しているのは、「採血させて」とヴェンツェルが頼んで来たからだ。隣人の頼みなのに素直に頷けない自分が格好悪くて、床掃除や剃刀の消毒をしている合間合間に溜息を吐いている。
昨日「店を継がない」と言っていたドミニクも、今日は店に立ってレジや洗髪に動き回っていた。
午後の気怠さが若干漂う店内、カランカラン、と出入り口のドア上部にあるチャイムが鳴り、パッと顔を上げる。
「いらっしゃいませー」
1ヶ月お世話になるのだからちゃんと働く──そう思っていたノアの動きを止めたのは、店内に入って来た青年が自分の名前を呼んだからだった。
「っノアさん!?」
「へ」
そこに立っていた金髪の青年はユスティンだったのだ。




