2-33 『ココだよ、ココ。ジャンヌさんの件』
「むっ」
初めて会った時のノアは確かにそういうところもあった。しかしあの少年は自分やリチェを助けてくれたし、叔父にも言い返すようになった。
それを指摘すると、叔父が言葉を詰まらせた。本人もそこは分かっているのだろう。
リビングが一気に静かになった。ラジオは消しているので、カチカチと言う壁掛け時計の微かな音しかしない。
叔父が少しでも態度を軟化させてくれたら良い。
そう思いながら乾かし終えた髪から手を離し、ドライヤーの電源を切った時。
自棄になったような叔父の声がリビングに響いた。
「後イヴェットさんを取られるみたいで寂しいんですよっ!!」
「へっ」
突然何を言い出すのかと思ったが、案外これが叔父の本音であるような気がした。
娘の結婚に複雑な思いを抱く父親と言うのは、漫画や舞台のど定番だ。叔父も今そのような気持ちなのだろうか。考えたら一気に頬が熱くなる。
「もーっそんなわけないじゃん恥ずかしい事言わないでよっ!」
照れ臭さを誤魔化すように叔父からバスタオルを奪い、逃げるように背を向けて脱衣場に持っていく。しかし叔父の自棄になったような声は、少し離れていようが自分の耳に突き刺さった。
「いーえ言います! イヴェットさんは、私がイヴェットさんにどれほど救われたか知らないだけです!!」
自分が叔父を救った。
以前アンリもそのような事を言っていた。全く覚えが無いが。
「だから〜っ!」
顔の熱が一向に引かず、脱衣場から出るに出られない自分が居た。
どうしようかと思っていると、リビングから聞こえてくる叔父の声が少しだけ小さくなった。
「ただ……そんなイヴェットさんを、あの人が助けてくれたのは理解しているんです」
今までとは違い、若干落ち着きが戻った声。
そんな声で紡がれる言葉に、やはりどのような表情をして良いか分からない。
俯いて脱衣場から出ようかと思った時。
「最近イヴェットさんがこそこそ楽しそうなのは、あの人あっての命だからなんです。分かっていますよ、ええ! 分かっては!」
先程の落ち着きは何処に行ったのか、再び自棄になったような叔父の声がリビングから聞こえて来た。同時に、椅子から立ち上がったような衣擦れも聞こえ、ビクッと緊張する。
「……さて、私は寝ますよ。変な事を言って申し訳ありませんでした。イヴェットさん、クーポン有り難く使わせて頂きますね。お休みなさい」
足音と共に叔父の声が近付いてくる。このままでは確実に横を通る。
一瞬悩んだが、少し顔を出す事にした。叔父がノアに理解を示そうとしてくれているのが嬉しかったから。
「……お休みなさーい……」
ひょこっと脱衣場から顔を出し、横を通ろうとしていた叔父に小声で挨拶をする。
自分が顔を見せるとは思っていなかったのだろう。叔父は虹を見た時のように嬉しそうに笑いかけてくる。
「はいっ、お休みなさい! 良い夢を!」
そう言い叔父はビーズカーテンをカラカラと鳴らし、足音を立てながら自室のある2階へと上っていった。
「私も寝ようっと」
何処かすっきりした気持ちになりながらリビングに戻り──叔父を見直した事を後悔した。
テーブルの上にドライヤーが出しっぱなしだったのだ。
「もー! ドライヤーしまってよー!」
むすくれながら2階に向かって声を張り上げたが、返事は無かった。
「まったくもー……」
ぶつぶつ言いながら定位置にドライヤーを戻す。「そう言えばノアさん、暫くその家に厄介になるみたい」と、叔父から返事があったら言おうと思っていたが、思うにもう言わなくても喧嘩したりはしないだろう。
ポピーでは住み込みバイトをしていたとは言え床屋にも出て来るか分からないし、叔父だって人の店で喧嘩は多分吹っ掛けない筈だ。
そう思いながら、イヴェットは自分も寝ようとリビングの電気を落とした。
***
ティナからの電話をアンリ・アランコが受けたのは、エルキルス駅から本日初めての蒸気機関車が発った瞬間だった。
「なんだようるさっ……」
こんな早朝に教会の電話を働かせる不届き者だ。無視して布団を被り直したが、2分後も鳴り続けるコール音に負けて子供部屋を出て子機を耳に当てた。
「はい……エルキルス教会です…………」
『アンリ君? 土曜日のこんな時間にすまないね、ティナだ』
不機嫌なのを隠さずに応じると、返って来たのは少しも悪びれていない女性の低い声。河原に住む美人からの物だと気付き、眠気が一気に飛んだ。
「えっティナさん? こんな朝にどうしたんですか?」
『こんな朝に、って早朝の連絡を望んだのは君じゃないか』
「……えーっと……?」
『ココだよ、ココ。ジャンヌさんの件』
その名前で一瞬で全てを理解した。
ティナに頼んでからまだ一日だ。
(まるで最初から犯人でも知ってたかのような早さだな)
早すぎるとは思わなくもないが、確かに早朝の連絡を望んだのは自分だ。
「そうでした、すみません」
『良いよ。で、こんな早いのにも理由があってね。出来れば人に聞かれたくないからなんだ』
人に聞かれたくない話。
動物の首が飛んだ事件だ。その調査に協力して貰っているのだから、太陽の下で話しにくい事だって当然あるだろう。この人は公衆電話から掛けているだろうし尚の事。
『ココを殺したと思しき犯人の写真を入手したんだよね』
「え」
あまりにも順風満帆な話だった事もあり息を呑む。
どうしたら写真まで入手出来るのだ。あの辺には防犯カメラは無いと言うのに。
やはり犯人を知っているのか。それならどうして自分に教えるのだろうか。何らかの規制技術を使ったのだろうか。
自分が疑問に思っている事が電話の向こうにも伝わったらしい。ティナがふふっと得意げに笑った。
『ジャンヌさんの家の近くには違法監視カメラがあってさ』
その言葉に目を見張っていた。
違法監視カメラは規制技術や分解した精密機械から作られる、文字通り違法の物だ。
違法監視カメラは犯罪者に優しい。違法監視カメラに撮られたとしても同じ闇に生きる者同士、見ないふりしてくれる──弱みを握れるし──事のが多いから。違法監視カメラを気にしない犯罪者はそれ故多いと聞く。
「……あんな端にそんな物あったんですね」
意外な視点だったのもあり、感心しきった声が漏れた。
どうしてこの女性はそんな情報を把握しているのだろう。本当にどこかの組織の一員なのか。河原に住んでいるのもやはり――。
『のようだね。それで、写真を渡す前にお願いがあるんだ。写真の入手経路はジャンヌさんにも秘密にして欲しい。もしも警察にバレたら犬どころじゃない騒ぎになるから。君だってそれは嫌だろう?』




