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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第4章 それは止まれぬ蒸気のように

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2-31 「オレ家継がないよ。やりたい事があるんだ」

第4章 それは止まれぬ蒸気のように




 ミトズロッドの赤毛の男子生徒。

 リチェ達に言った事が、喉に支えた魚の小骨のようにずっと引っかかっている。

 イヴェットと別れたノア・クリストフは、ルイリーフの漁港や商店街に寄らず真っ直ぐドミニクの床屋に向かった。寄り道大好きな親友も、今日は自分の行動に異論を唱えなかった。


『じゃあ切り裂きジャックが捕まるか、ご両親が帰って来るまでうちに居なよ。何時も馬鹿息子と仲良くしてくれて有り難う!』


 そう豪快に笑うドミニクの父親は、自分に半額クーポンを使わせず無料で髪を切ってくれた。

 申し訳無いので床屋の手伝いをし──息子より真面目だ! と褒められながら──肉の多い夕飯を5人家族に混じって食べた今、ドミニクの部屋に居た。


「ごめんなノア、親も妹達も何時もよりうるさかったでしょ?」


 部屋に入るなりドミニクは疲れた表情で謝ってきた。ボードゲームが隅に積んであるドミニクの私室には、買ったばかりのアコースティックギターも机の横に置いてある。


「いやー、まあ確かに……散髪の時から……エネルギッシュだとは、思った、けど」


 ドミニクの両親も、一卵性双生児の小学生の妹達も確かに賑やかだった。家族が居る時に家に上がる事は思えば無かったので、今まで分からなかった。

 特に妹達。初対面の客に、ハンバーグのそなえつけであるパプリカを押し付けてくる程逞しかった。

 動かした口もついつい途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「僕の親そもそもあんま居ねぇし、居ても石像みてぇに静かだからさー、新鮮で楽しかったよ。明日はもっと仲良くなれる気ぃする」


 こんなにも賑やかな家族の一員であるのが、ドミニクが良く笑い人懐っこい理由なのだろう。


「あっはっは〜……良いよ良いよ、そんな気を遣わなくてさ。特に妹達、放って良いよ? オレはそうしたい」

「おいお兄ちゃん、妹とは仲良くしろよ。店継いだらいつか揉めるぞ?? 経営方針や土地の管理で」


 ――そう思って言ったのだった、が。

 青色の瞳と目が合うとふふんっとどこか得意気に鼻を鳴らされた。


「オレ家継がないよ。やりたい事があるんだ」


 思ってもいなかった返しに瞬く。

 蒸気が空に上がっていく事が当然なように、親友は卒業したら店で働くのだろう、と思っていた。あんなに誇らしそうだったから。


「へ、そうなの?」

「うん、留学したいんだよね。だから進学しようかな〜って思ってる。どこの国に行くとか、何を勉強したいとかはまだ決まってないから漠然と思い始めた段階だけどさ、どこか違う国に住んでみたい。だから継ぐ事は無いかなー、店はどっちかの妹が継ぐだろうし。あはは」


 後半は風が吹けばかき消されてしまいそうな程小さい声だった。本人も人に言うのは初めてなのだろう、見上げる表情も笑い方も気恥ずかしそうだ。

 少し腑に落ちた。他国料理が好きなのも、世界遺産が好きなのも、海外に憧れがあるからなのか。


「……」


 上手い言葉が思いつかなかった。手を伸ばしても届かない距離にいる親友に、何を言って良いのか分からない。

 損な世界と言われる今、将来何をするか。

 高校に入学すれば――勿論それ以前でも――自分の進路に思いを馳せるものだろう。しかし自分は「接客でもするんだろうなあ」「授業やっていけば決まるだろうなあ」とだけ思って、「まだ良いか」と後回しにしていた。

 将来どころか、自分と向き合った事すらそんなに無い。気分と直感で生きる事は、自分と向き合ってはいないのだから。


「え、なんか言ってよ。恥ずかしいんだけど」


 慌てて口を動かすドミニクを見てハッとする。頭が止まっていた。


「っあ、悪ぃ……。ちょっと驚いてた。進路、ちゃんと考えてて偉いな」

「いや~本当にざっくりとだよ、考えてないのと同じ。ノアは? なんか考えてる?」


 青色の垂れ目からそれとなく視線を外すように首を捻る。


「僕は本当に何も決めてねぇよ。だから余計びっくりっつーか……」

「まあまだオレら1年ではあるし、とりあえずフリーターって奥の手もあるしねー。それにノアは今進路どころじゃないもんねっ! 進学も就職も命あってこそだし、まずは事件が落ち着かないと」

「……そうだなー。あっ、やべ……忘れてた」


 一息ついたら思い出した。

 朝進学組のヴェンツェルと交わした、採血の練習台になるという約束の事を。

 どう先延ばそうか……と考える程気乗りしない約束だった為忘れていたが、約束は約束だ。


「ん? 家の冷蔵庫ヤバい?」

「いや、お隣さんと約束してた事があって。まあそれは平気かなー……」


 あれは今月中にやれば済むと言っていた。まだ2週間はあるのだし大丈夫だろう。変に不義理に思わなくても良さそうで表情が緩んだ。


「そ? なら良いけど。刑事さん言ってたけどお隣さん医大生だっけ? 上手くやれてる?」

「んー、まあ、……それなりに?」


 一緒にフレッドを発見したおかげかも――そう言うか一瞬悩んだが結局唇を結んだ。それを言ったところで、生活感のあるこの部屋の空気を悪くするだけだ。


「そっかそっか。じゃあさ、イヴェットさんについて詳しく教えてよ」

「なんで?」


 思わず素で返していた。どうしてこの流れでイヴェットの名前が出てくるんだ。


「良いじゃん、減るもんじゃないし。好きなの?」


 ニイッと細まった垂れ目がこちらをじっと見ている。何か言うまで逃がさない、とばかりに自分を捉えて離さない悪戯な瞳に頭を抱えた。


「だから~……っ」

「あっはっは、まあまだ聞ける機会は幾らでもあるし今度で良いや」

「そうしてくれー……」

「ぶはっ、何その顔っ!」


 疲れた、と顔に出ていたのだろう。自分の顔を見たドミニクが、目を糸のようにする。


「うるせー」

「あっはっは!」


 腹を抱えてくしゃくしゃに笑いだしたその顔は両親や妹達とそっくりで、「血は争えねぇな」とこっそり思ってしまった。


***


「あー……イライラする……」


 ヴェンツェル・ラグナイトはベッドにうつ伏せになり、苛立ちをぶつけるように黒いベッドシーツをどすどすと殴っていた。

 今日は大学で模擬手術は無かったし、移動中人にぶつかられたものの謝られなかったし、昼に食べた学食のチキンのトマト煮込みは美味しくなかったし、非常にイライラする1日だった。

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