2-28 「いやいや、俺神様信じてるからね?」
初夏のエルキルスは19時台でも空が明るい。敷地内に敷かれた白いタイルすら、今は敵に見えた。
鍵を使って教会に入り玄関ホールを抜けて、倒れ込むように蒸し暑い礼拝堂に滑り込んだ。空が明るいせいで、礼拝堂の中は中途半端に暗くて中途半端に明るかった。
「ふ、うぇ…………っ」
長椅子と長椅子の間の床に座り込むとハーフスウェットパンツから出た足が、ウッドフローリングにべたりと張り付いた。
「ば……かぁ……嫌い、大嫌いっ……!」
不快感に毒づきながら、ただ頬を涙で濡らしていた。
何が馬鹿で、何が嫌いなのか。
それすらも分からないのに、一度溢れた涙は止まる事を知らなかった。ただただ悲しくて、悔しくて、惨めだった。
「う……うぅ……っ」
灰色のスウェットが涙で濡れて濃いシミを作った時、バタッと玄関扉が開いた大きな音がした。
「イヴェットさんっ!」
バタバタと大きな音を立てて礼拝堂に入って来たのは、先程よりも髪を乱したユスティンだった。
「イヴェットさんっ大丈夫ですか?」
叔父は礼拝堂の明かりを点けてから自分の近くに来ると、床に片膝を突いてこちらの様子を窺って来る。
腕で涙を拭いながら、ただただ首を横に振った。
叔父は見た目程格好良い人でも無いし、偏向的ではある、が。悪い人では決して無いし、大抵は自分の味方をしてくれる。
その姿に再び目頭が熱くなる。
「っ、無理……っ」
「……そうですよね。私も初めて知ったので驚いています。お父さんも何も夕食中に言う事無いでしょうに。アンリだって、知っていたなら教えてくれたって……2週間も黙っていたなんて酷いです。大体無神経なんですよ」
ぶつぶつ言う叔父に、うん、と頷く。
叔父が代わりに文句を言ってくれたおかげで、少し気が楽になった気がする。頬は涙で濡れているが、チラリと叔父と視線を合わせられた。
「あの、泣かないで下さい。貴女にそんな顔は似合いません、少なくとも私は見たくないです……」
礼拝堂に響くのは、どこか困ったような叔父の声。眉も下がっている。
「うー……叔父さんー……あたし今そんな言葉聞きたくない……」
大好きな叔父を困らせる事は分かっている。
いや、叔父と言わず両親も祖父母もアンリだって困っているだろう。聞き分けの悪い子供だと、今頃溜め息を吐かれているかもしれない。
「えっあっ申し訳ありません。ええっとー……じゃあもう思いっきり泣いて下さい。怒って下さい。どうせ私しか聞いていませんし」
自分の言葉に叔父が予想通り狼狽えていた。その予想通りな反応に寧ろホッとして、叔父にそっと抱き着き開襟シャツに顔を埋める。
温かい。
頬に伝わる温もりは一瞬驚いていたが、すぐに自分を受け入れてくれた。
「……お母さん達と離れるの、寂しい」
「はい、ですよね」
「アンリさん、何で教えてくれなかったんだろ……」
「本人はサプライズとか思ってたのでしょう。アンリはそういうところ偶に良く馬鹿です」
「……受け入れなきゃ、とは思ってるんだよ」
「はい」
「あたし、教えたくないくらい手が掛かる子供って思われてるのかな……っ」
「それは無いと思います」
ぽつぽつと呟きながら、叔父のシャツを濡らしている事に気付いた。鼻水だってついているだろう。
でも叔父は少しも気にした様子はなく、自分の物よりずっと大きな手で背中を撫でてくれた。そのこそばゆい温もりに、少しずつ呼吸がしやすくなっていく。
「……ってか嘘。これ、神様も聞いてるよね。礼拝堂だし……」
だからか、少しずつ会話もしやすくなっていた。冗談を言う余裕すら生まれている。
「大丈夫ですよ、神様なんて居ませんから」
潜められた声はどこか突き放した言い方だった。
後数ヶ月で牧師になる人が言うには不適切な発言。礼拝堂に来てから初めて笑みが零れた。
「ふふっ、叔父さんって結構不信心だよね……?」
「まあ、見た事無いですし」
「おじいちゃんが聞いたら怒りそう。アンリさんもそういう事言いそうだけど……」
シャツに顔を埋めたまま口を動かす。
愛情の裏返しで息子には厳しい祖父の顔も。斜に構えた隣人がしれっと切り捨てる顔も。どちらも簡単に想像出来る。
——そう思った時。
「いやいや、俺神様信じてるからね?」
礼拝堂の入り口から、アンリの声が聞こえて来たのだ。
「えっ!」
驚きの余り叔父から体を離し、声がした方に顔を向ける。涙で顔は濡れていたが、もう涙は引っ込んでいた。
どこか気まずそうな顔で立っていたアンリと目が合う。罰が悪そうに視線を逸した焦げ茶色の髪の青年は、カツカツと礼拝堂の中に入って来ては一番にエアコンの電源を入れていた。
「居てくれた方が絶対面白いじゃんあんな奴ら。ゼウスとかエピソードすっごいし」
空気が動くのを感じながら、作業服の青年を目で追う。
「アンリ! 何時から居たんですか」
「どうせ私しか聞いていませんし、から。誰が馬鹿だ、馬鹿ユスティン」
隣人は言いながら、自分達のすぐ近くの長椅子に腰を下ろした。
では自分の取り留めのない呟きも聞かれていたのか。頬に熱が集まるのが分かった。
手に力が入る中、琥珀色の瞳がこちらを見下ろしてくる。
「イヴェットちゃん、ごめん。ユスティンはともかく、イヴェットちゃんの気持ちにもっと配慮するべきだったね」
「えっ、ううん……」
自分から素直に謝ってくるアンリは、流れ星と同じくらい珍しい。希少な光景を前に自然と目を丸くしていた。
「私にも配慮してくれません? 驚いたんですよ」
「やだよ面倒臭い」
ぼそっと恨めしそうに呟く叔父をアンリが一蹴する。その光景にクスッと笑いつつも、自分も同じ気持ちである叔父に加勢する。
「……事前に教えてくれてたら良かったのに、ってのは確かに思った」
「うん、ごめん。細部が決まってから言いたかったし、俺を入れた全員が集まるのご飯くらいしか無いから、って。軽率だった。言い方も悪かったね、まさかここまで傷付けさせるとは思ってなかった……ごめん」
言われてみると確かに、世代も肩書きも違う7人が集まるのなんて夕食くらいだ。アンリに至っては厳密に言えば牧師館の住民ですらない。
発表のタイミングにもちゃんと理由があったのだ。改めて申し訳無さが増した。
「アンリさんは……どうするの? おじいちゃんに着いていく、の?」




