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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第2章 それはうそぶく蒸気のように

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2-16 『やあ。私だよ、スケアリーだ』

「いえ、ジャンヌさんみたいにお金がある信者に支えて貰ってもいますし、うちは恵まれている方ですね。ただ、確かに教会はもう時代遅れなのでしょう。私が80になった時、どれだけ教会が残っているか……私は神なんて信じていませんが、自分の基盤が淘汰されていくかと思うと寂しいです」

「そうだよねえ」


 そう言えば以前、叔父は神を信じていなくてアンリは神を信じていると言っていた事を思い出した。

 あの日のアンリは無神経で、叔父は優しかった。今では誰も守っている気はしないが、あの日の約束は良く覚えている──そう思ったら違う事も一緒に思い出した。


「そう言えばアンリさんは?」


 何時も通りなら、スケアリーからの手紙は今晩か明日には届いてて、アンリが受け取ってくれる。

 そのアンリが居ないのが気になった。今日バイトは無い筈なのに。


「さあ……夜には帰って来るとは思いますが。今日あの人仕事しないでブラついているんですよ」

「うちの教会時間作りやすいし仕方ないよー、それに何時もじゃん。アンリさん、そういう時ちゃんと夜に仕事してるし良いんじゃない? 会議とかはちゃんと出てるでしょう?」

「まあ出てますが、どうでしょう。結局昼寝が多いので、世話がないですよ」


 呆れたように言う叔父に笑い、違う事を考える。

 スケアリーからの手紙が来ないと、いつもそわそわして自己嫌悪に襲われてしまうのだ。

 何か変な事を言ってしまっただろうか。もっと短い文面の方が好みだったか。飽きてしまったか。

 と。


「イヴェットさん、最近アンリとこそこそやっていますが……変な事はしないで下さいね。私は心配です」


 考え事をしていると、叔父はこちらを見ながら唇を尖らせる。

 注意はすれど注意だけで終わる叔父は、思っている以上に自分を尊重しているのかもしれない。それはとても有り難い事だ、と思う。

 しかし。

 だったらノアへの態度も改めて欲しい。そう思うのは望みすぎなのだろうか。


「大丈夫ですー! あたし、部屋に戻るよ。お仕事頑張ってね!」


 返す声がついつい強くなる。これが反抗期というヤツなのか。だからこそ、自分は男になる事を求めているのだろうか。

 そう思い、桃色のチェックスカートの裾を翻しながら自室へと戻っていった。


***


 すっかり調子が狂ってしまった。

 1人で住むには少々広い1LDKの部屋、ヴェンツェル・ラグナイトは黒色のシーツのベッドをただゴロゴロと転がっていた。


「あーあー……」


 昼過ぎにマンションの廊下でノアと別れてから夕日差し込む今まで、冷凍食品を食べる以外どうもやる気が出なかった。保護観察官を騙す為にやっている工場バイトも休む連絡を入れた程だ。

 理由は分かっている。

 反応が見たくなってわざとノアに死体を見せた。少年院に入った事件の時は警察署を見る余裕が無かったので、改めて警察署に行ってみたかったと言うのもあった。

 だからフレッドの元に連れて行ったと言うのに。


 ──ヴェンツェルさん、今日は有り難う御座いました。


 なのに、感謝されるなんて。

 地球からまた石油が湧き出て来たかのような衝撃だった。


「ノア……か」


 みんな自分を馬鹿にしていると思っていたのに。自分に味方は居ないと思っていたのに。解剖する時が一番満たされていたのに。

 礼を言われては、自分に価値があるような気になる。

 嬉しいのに、しかし。


「あー…………でもイライラする……」


 聴取に当たった眼鏡が同郷なのが嫌だった。

 年齢から逆算すると自分が昔やった事件の事は、全国区の報道より確実に詳細を知っているだろう。少年法で守られている上あの白髪しか同郷は居ないらしいが、警察官相手に何処まで通じるだろうか。

 やはり姓だけではなく、名前も変えておくべきだったか。

 でも。


 ──ヴェンツェル、解剖上手だよね。


 あの子と過ごした頃の名前は残したかったのだ。


「…………あの子の肝臓、何色だったのかなあ」


 シーツに埋もれながらポツリと呟く。

 そんな事を延々と考えていたからか、気が付けばこんな時間になっていた。

 弁当でも買いに行くか……そう思い、ベッドから立ち上がって寝室を出た時。

 ──リビングの壁に取り付けた電話がけたたましい音を立てた。


「あ」


 リビングに鳴り響く大音量は、動物か人をいたぶっている時の悲鳴でかき消されぬように調節した結果。

 大学で友人なんて作っていないので、この家の電話を鳴らす人間は少ない。公的機関か、スケアリーだ。タイミング的にスケアリーが連絡をしにきたのだろう。


「はい……」


 その人物の金色の髪を思い出し、少々気が重くなりながらも受話器を耳に当てる。


『やあ。私だよ、スケアリーだ』


 思った通り、電話の奥から聞こえてきたのは義足の女性の低い声。

 外から電話を掛けているのか、蒸気機関車の振動によるガタガタと言う音が聞こえてくる。

 この前気が付いた。

 スケアリーの低い声を聞くと背中に汗をかく。理詰めで怒られているような錯覚に襲われるのだ。馬鹿にされているような気分にもなる。いや、実際しているのだろう。


『今日フレッド君の死体が見付かったそうだね、お疲れ様。と言う事は、もう次の被験者を見繕っているのかな?』

「それなんだけど……ちょっと暫く止めるよ。なんか調子が狂ったし、警察の出方も気になるから……」


 やっぱりこの女性の声は苦手だ。調子が狂う。今日はこんな事ばかりだ。


「……落ち着いたらまた動くつもりだよ。肝臓、見たいし」

『まあその辺は君に任せるよ。君のやりやすいタイミングでどうぞ』

「うん。そういう事だから、次の連絡は2週間後とかで良い。じゃ!」


 八つ当たるように言い、ガチャッ! と乱暴に受話器を置く。


「くそっ、どうせスケアリーもオレを馬鹿にしてるんだろうな……っ」


 ブツブツ文句を口にする。スケアリーから自分に連絡出来るのに、自分からスケアリーに連絡出来ないのが良い例だ。


「…………そうだ」


 暫く動かない気で居たが、隣人の──ノアの検査をするくらいは大丈夫だろう。面白い事にノアも候補なのだから。

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