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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第2章 それはうそぶく蒸気のように

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2-15 「ははは……でも良い奴だな、隣がノアで良かったよ」

 ヴェンツェルはリチェに思うところがあるようだ。同郷なので興味を持ったのか、要らぬ話をされた事を根に持ちたいのか分からないけれど。

 この青年が人に興味を持った事が少々意外で、友人の文句を言われるのでは、と内心どきどきした。


「幾つ?」

「え」


 何かと思ったが、ただの年齢の話だった。少し安堵した。


「24ですよ。警察官らしくない奴ですけど、誰とでも話せる良い奴です」


 ホッとしたのもあり、あの青年の長所をさり気なく伝えておいた。

 が。


「ふーん。意外と若いんだな」


 ヴェンツェルはもうリチェの事はどうでも良くなったらしく、ぽつっと呟いてからは引いた痒みのようにスッと興味をなくしてしまった。


「えっ……と」


 あまりにもあっさり興味を無くしてしまったものだからか、逆に焦ってしまった。

 一体何だったのか聞きたいが、きっとヴェンツェルは答えてくれないだろう。隣人の癖が理解出来るようになったのは良い事かもしれない。なのでこっちもこの話は止める事にした。

 自分もヴェンツェルに言いたい事があったのだ。

 クラスメイトの死を早々に受け入れられたのは、見知った顔のおかげも大きいだろうが、先に階段を降り始めたマイペースな隣人のおかげでもあるのだろうから。


「ヴェンツェルさん、えっと……今日は有り難う御座いました」


 注意喚起のポスターが貼られている階段を少し遅れて降りながら言うと、面食らったように天然パーマの青年が挙動不審になった。


「え? いきなりなに? え、ええ?」


 素で驚いているその反応に、言葉足らずだった事に気が付いて今度は自分が慌てた。


「あっと! ほら、長い聴取も応じてくれましたし!」

「べ、別に良いよ……?」


 返すヴェンツェルは口が半開きになっていた。


「それに……ヴェンツェルさんがあの道行きたがらなかったら、フレッドが見つかってたのもっと遅くなってたかもしんねぇし……それは可哀想、です」

「えっ?」


 続けた言葉は一層意外な物だったようだ。

 先程から驚かれてばかりいる。

 階段途中で立ち止まられ、三白眼が見開かれる。3段上から見ているからか、キャパオーバーの物に遭遇した幼児のように見えた。


「なんか……そんな事で感謝されるの、初めて。寧ろ、変な物に遭遇させやがって、って怒られると思ってた」


 少ししてポツポツと返って来た言葉は、幼児のような素直な響きを孕んでいた。


「ノアって変わってるね……」

「初めて言われました」


 おかげでこちらも素直に頬を持ち上げて返す事が出来た。


「ははは……でも良い奴だな、隣がノアで良かったよ」


 目を細めたヴェンツェルがへらっと笑った。この青年のこんなあどけない表情初めて見る。

 サボりなんかよりずっと大きな事件はあったが、最初に思った通り。これを機に、ヴェンツェルとの仲が近付いたのはせめてもの救いだ。


「じゃ帰りましょうか」


 ノアはもう一度笑みを深め、隣人と帰路につくべく警察署を後にした。

 気が付けばもう太陽が頭上でふんぞり返る12時。ベンチやレストランが最も賑わいを見せる時間が近付いていた。

 自分の胃袋も隙間だらけになってきたが、結局昼は何も食べる気にならなかった。


***


「ただいま帰りました~! あっ」


 夕方。

 学校を終え牧師館に帰ったイヴェット・オーグレンが、玄関扉を開けて一番に目撃した物。それは受話器を耳に当てて誰かと話しているユスティンの姿だった。

 電話はリビングにあるので、扉が邪魔をして玄関からは普段は見えない。が、今は黒いカーディガンを羽織った叔父が扉を開けっ放しにしている為良く見える。

 叔父は自分に気がつくと上司と会議していたかのように張り詰めていた表情から一転、目元を和らげ受話器を耳に当てたまま「おかえりなさい」と出迎えてくれた。


「えっ、ただいまー……?」


 随分と堂々と話しかけてくる。どうやら通話相手は、そういう事をしても問題無い相手のようだ。


「ああ、イヴェットさんが帰って来たんですよ。では、そろそろ切りますね。ええ、はい、分かっています。では、失礼します」


 受話器を下ろす叔父を、少し離れた場所から見ながら尋ねる。


「誰から?」

「父からですよ。最近潰れる教会が多いから気をつけろ、って小言でした」


 叔父の父――自分の祖父。

 厳格な祖父が相手なら叔父の顔も厳しくなる。母から聞いた話、叔父は祖父に厳しく躾けられて来たそうだし。

 自室に鞄を置きながら、遠くに行ってしまった皺のある顔を思い出し目を細める。


「小言じゃなくて、息子を心配してるんだよ」

「あの人は息子の心配をするような聖人じゃなく、ただの圧政者です」

「さすがに息子恋しいんだって。おじいちゃん、あたしには優しいから人間らしいところあると思うけどなー?」

「でしょうね。さっきもイヴェットさんに切り裂きジャックに気を付けろと言っとけ、と言っていましたし」

「ふふっ、それは心配しすぎかなっ」


 先日センセーショーナルな死体が発見され一躍時の人となった殺人鬼、切り裂きジャック。ゴードンと言う高校生以外被害が出ていないのに、流石に心配しすぎだ。

 制服から着替えずにリビングに行き、食卓に広げたリングノートの前に座り直した叔父の隣に座る。礼拝で読み上げる原稿を、叔父はいつもこうしてノートに書いている。


「に、しても! 教会が潰れるって世も末すぎない?」

「世も末の方が人間宗教に縋りますから、寧ろ今が平和なんですよ。現に発症日から暫く、教会はライブ会場かってくらい人が押しかけたそうですから」


 発症日。

 数百年前──西暦2006年──石油が地上から消えた日の事を、人類はそう呼んでいる。

 教科書にも使われている程、すっかり定着した言葉だ。そんな言葉もあるのに、けれど人類は地球を労る事を忘れてしまった。

 ただ今の世界に目立った戦争は無い。あって紛争だ。


 だが。

 それも安全な場所で甘い蜜を吸えなくなるので、要人が戦争を起こさせまいと必死になっているだけだ。戦争を行えばバランスが崩れ物資が枯渇し、地球全体の生活レベルが更に落ちるのは目に見えているから。

 しかし何時の時代にも戦争を起こしたい人間は居て、社会は結果冷戦が続いている。超常現象支持派を煽るようなテロリスト行為も多く、数年前海外で教会が爆破テロに遭った事もある。


「ルターは教会が潰れる日が来るなんて思っていなかったでしょうねえ」


 叔父はそう呟き、はあと深い溜息を吐く。ね、と頷いた。


「あたし、おじいちゃんがそれをわざわざ言ってきた事がびっくり。うちは潰れるなんて、そんな気配少しも無いのに……実際大変なの?」

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