2-6 「お隣さんが……出来た、っぽい」
そこには黒いボストンバッグを肩からぶら下げ、黄色いトートバッグを持ったドミニクが下り階段の前に立っていたのだ。引っ越しを自分よりも張り切っている姿に申し訳無くなる。
昨日ゴードンが他殺体――ラジオでも報道されていたが、20か所以上切り刻まれていたと言う――で見付かったので、メンタルが辛い人は高校を休んでも良いというお達しが出たのだ。
メンタルが決して強くない親友もそうなるかと思ったが、自分の引っ越しを手伝う為に家を出てくれたと言うのだから感謝しかない。
「悪ぃ! ちょっとボーッとしてた」
「あっははは、ちょっとじゃなかったよ」
「悪ぃって。行こっか」
黒いトランクケースを抱えながら、下り階段を共に降り外に出る。
あまり荷物は無いと踏んでいたが教材や衣類が思っていた以上にあり、荷造りを終えるとセール会場帰りの人のような鞄になっていた。
正面のエルキルス中央公園に見える、ガス灯のように生えている黒い蒸気時計。その上部が白ずんでいるのを、この位置から見るのも今日が最後だ。気を抜くと直ぐに感傷に浸ってしまいそうで、雑念を振り払うように首を横に振る。
「そう言えばさ」
施錠の確認をしていると横に親友が並んだ。その表情と声は暗い。
「同じクラスのフレッド、今日も休みだったでしょ? メンタル強いあいつが休むとは思えなかったから、気になって先生に聞いてみたんだ。そしたらあいつ昨日も家に帰ってないんだって」
「このタイミングで嫌だな、それ。まああいつならオールして休めるから休んだだけだろうけど……」
「やっぱりノアもそう思う? ね、あいつらしいよ」
話しながら橋へと向かう。
今日は風があるので霧は出ていないが、代わりに寒い。賑やかな赤髪のクラスメイトの顔を思い出している時も、ドミニクの茶色い髪が舞っていた。
「フレッドのガールフレンド就職組らしいし、どっか行ってんのかな」
24世紀の今、数世紀前から人口は減る一方。
今の技術では清掃ロボットは作れても複雑なロボットを普及させる事は出来ず、社会は猫の手も欲しがった。
いつからか慢性的な人手不足は学生に助けを求めだし、高校を卒業して働く方が進学するよりも多数派になった。社会のシステムも18での就職を後押ししている程で、進学組は勉強したい人間ばかりだ。
警察官ですらそうで、友達の警察官クルト――意外と大食漢だった――も警察学校を出た就職組だ。
「土産でも買って来てくれたら嬉しいんだけどな」
「それならオレ食べ物が良いな~。蟻が病気になるくらい甘いトフィーでも大歓迎だよ」
「そんなに甘いと人間だって病気になるぞ」
「ぶはっ、確かに!」
自分の言葉に口を開けて笑う親友は、夕焼け色に染まりつつある鉄橋の上を歩いていく。
そこから川沿いのマンションまで、オススメの雑誌や歌にラジオ番組、最近ドミニクが始めたというアコースティックギターの事等、次から次へと話題が変わっていった。ドミニクとの話は何時も、道路を駆けている馬車のタイヤのように目まぐるしく回る。
7階建ての青いマンションの敷地を3週間ぶりに踏み、そんなに広くないエレベーターに乗って5階に向かった。5階の1番奥にある角部屋。そこが自分の育った場所だ。
「――あれ?」
エレベーターを降りた瞬間、変化にすぐに気が付いた。
「どした?」
エレベーターを降りたドミニクが同じように足を止める。
「お隣さんが……出来た、っぽい」
奥から2番目の部屋。
この位置から辛うじて見える部屋の窓に、黒色のカーテンが掛かっている。3週間前どころか4年前から無かった代物だ。
見間違いかと思って近寄ってみたが、型板ガラス窓には確かに黒が透けている。「不審者がいる〜」とドミニクがケラケラ笑う声が後ろから聞こえてくる。
「そっかー……あーあ、嫌だな」
吸音シールという便利グッズを壁に貼れば隣の音は気にならなくはなるが、あれはラジオが聞こえにくくなったりと弊害も多いし、なんだかんだ結局隣人には気は遣う。
「お隣さんが居るってそんなに嫌? オレお隣さんと仲良いけど。小さい子が居てさ、可愛いんだよ〜」
「床屋とマンション一緒にすんなよ」
ドミニクの場合、店を兼ねている為ある程度理解だってあるに違いない。ポピーに住んでいた時、自分もそうだった。
でもここはマンションで、自分はただの学生――それも一人暮らし初心者――で、相手次第ではどんな言いがかりを付けられるか、考えただけで恐ろしかった。
「そういうもんなの? まっ、良い人だと良いね」
「だなあ。あー、僕も子供連れに当たりてー」
自宅のドアを久しぶりに開けながら零す。ポピーは子供の客が多く楽しかったので、こっちでも子供と触れ合いたい。
反面、それは難しいとも思っていた。
マンションは部屋により間取りや広さが違う事が多い。自宅は2DKだが、隣は1LDKだ。その広さで暮らす家族は少ないだろう。
「そうなる事を祈ってるよ」
ドアに先に親友を通す。自分も後を追おうと思ったが、どうしても隣室に視線が向いてしまう。
引っ越しが落ち着いたら挨拶に行くべきだろうか。そんな事を考えながら。
***
「土曜日の朝よ、ココちゃんが殺されたのは。それも腹を裂かれてっ! う、ううぅ……可哀想に……っ」
そう泣いているのは、ユスティンの父がエルキルスの教区を担っていた時からの信者ジャンヌだ。パーマを掛けた金髪ショートの40代女性は、号泣した為マスカラで目元が汚れている。
アンリ・アランコはそれを、夕日が差し込む一軒家で聞いていた。マシンガンのように捲し立てていたジャンヌは、今は食卓を挟んで号泣している。
ココ。
白いマルチーズで、何度も教会に連れて来てくれたぬいぐるみのような子犬。良くトリミングされた淑女を撫でる度、イヴェットが笑顔になっていたのを良く覚えている。




