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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第五章 工業区

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1-36 「ノアさん……どうする?」

 アンリがもうすぐ焼き上がるチキンソテーの横で皿を三枚用意していると、さっきリビングを出たばかりのユスティンが部屋に戻ってきた。視界に入ったのは彼だけだ。イヴェットの姿がない事に軽く落胆する。


「イヴェットさん寝ているみたいなので、起こして来ませんでした。ルームプレートに就寝中って大きな文字で書いてありましたよ」

「そっか、まだ疲れてるんだろうね。……にしても、前ならお前構わず起こしに行ったのに今回は止めたんだ? この前の部屋に入るなって喧嘩、そんなに堪えたの」


 フライパンから目を離してユスティンを見遣ると、金髪の青年は誤って水溜りに足を突っ込んでしまった人のように苦々しく笑った。


「そうですね。昔は部屋に入っても怒られなかったので良い気もするんですけど……これ以上嫌われたくないですから。昨日貴方も嫌がられてましたし、あー、イヴェットさんも難しい年頃になってしまって私は寂しいです」

「うっさい一言多い! ったくほら、さっさと夕飯食べて教会行くぞ。夜の礼拝の準備しないと」


 昨日イヴェットに叱られた事を思い出し頬を引き攣らせる。焼き上がったチキンソテーを盛り付けた皿を、ゴンと大きな音を立ててテーブルの上に置いた。幼馴染み相手だと、口調も対応も雑になれる。


「はいはい。……やっぱりイヴェットさん起こすべきですかねぇ。ご飯、一人で食べても美味しくないじゃないですかっ」

「その意見には賛成するけど、嫌われたくないんじゃなかったっけ?」


 先程の言葉など忘れたかのように、幼馴染はそわそわとイヴェットの部屋の方を見ている。それを諫めつつ食前の挨拶を済ませて先にチキンソテーにフォークを刺す。

 幼馴染にはああ言った物の、正直自分もイヴェットに会いたかった。鶏肉を噛みながら、アンリは視線をイヴェットの部屋にそっと向けていた。


***


 いい案だ、と思ったものの、いざやって見ると引ったくり犯はそう都合よくやってこなかった。

 空もすっかり暗くなり、ノア・クリストフは買って来たフライドチキンを食べ終えてしまった。それは横の二人も同じで、加えてヴァージニアに電話を入れても問題ない位何もなかった。通りを歩いている人達も制服姿の人は減ってきている。

 イヴェットと、時たまクルトととも駐車場でとりとめのない話を続けていたが、次第に無言でいる時間が増えてきた。


「ノアさん……どうする?」

「待つしかねぇだろ」


 今から代替案は練り出せないので、不安を押して待つしか事件解決への糸口は見えて来ない。地べたに座ったまま頬杖を突き、ふうと息をつく。端から見れば自分達は家に帰りたくない不良学生だ。

 事が動いたのは、その時だった。


「っあ」


 ドカドカと慌ただしい足音が聞こえた次の瞬間、クルトが声を上げた。異変に気付きすぐさま正面を向くと、地面に置いておいたスクールバッグが帽子を被った人物に盗まれていた。


「おいこらざっけんな!」


 スクールバッグを盗った犯人に向かって声を荒げたが、その程度で足を止めてくれるわけがない。

 まだそんなに霧がかっていない。スクールバッグを持って逃げる人物の後ろ姿は見えた。

 犯人は帽子を被りワンポイントの太いベルトを締めていて、あの時イヴェットのスクールバッグを引ったくった少年と同じくらい体格がよかった。帽子から覗く髪も、苺オレのように鮮やかなピンク色で、すぐに犯人グループだと気が付いた。

 待ったかいがあった。思わず表情が明るくなる。


「追いかけるぞ!」


 いつの間にか立ち上がっていた二人を見て促す。二人は頷き、犯人の後を追いかけていった。いくら発信機が味方についているとは言え、百メートル以内限定である為自分達も適度に追いかける必要がある。


「足速ぇな!?」


 犯人もクルトも思っていたより足が早く、見失わないようにするのが大変だった。反対にイヴェットの足は遅いので、発信機が二つしかない都合、どうしても差が生まれてしまった。


「クルト頼んだっ!」


 イヴェットを一人にさせるわけには行かないので、犯人の追跡はクルトに任せ、自分はイヴェットの足に合わせた。


「ノアさんごめん……っ!」

「良いって。それより、行くぞ」


 人にぶつからないよう注意しながら、ズボンのポケットを漁って小型ラジオを取り出し、イヤホンを耳に装着した。犯人が近くに居るので、イヤホンからは雑音が聞こえてくる。音を頼りに街中に消えた犯人とクルトを追うのは、昨日よりもずっと簡単だった。

 その間、イヴェットはずっと傍で辺りを注視してくれていた。


「あっちの裏路地っぽいな、イヴェットは僕の後ろに居ろよ」


 一歩後ろで胸を上下させているイヴェットに近寄り声を掛ける。苺オレの髪をした人物が消えた道を進み、ラジオに耳を傾け、廃工場や倉庫を中心に探した。

 空がすっかり暗くなった頃、なんの反応も無かったラジオから音が聞こえた。


「あ」


 話し声が聞こえる、としか音は拾えなかったが十分だ。魚が釣り針に掛かった漁師が如くはっとしてイヴェットを見やる。


「どうしたの? 何か反応あった!?」


 自分の反応にイヴェットが何時もより早口で尋ねてくる。頷き、にぃっと口端を上げる。


「ああ、話し声が聞こえるからここらがアジトで間違いないだろうな。けどここら、隠れられそうな所ねぇな」


「架空の企業を隠れ蓑にしてる、とか? アンリさんがよくそういう手法があるって話してるよ」

「……なんであいつそんな事知ってるんだよ」


 アンリの変な知識に、追跡してから初めての笑いが零れた。自分が笑った事に安心したのか、イヴェットの表情も僅かに緊張が解れた物に変わる。


「ラジオ聴いてずーっと機械弄ってるからじゃない?」


 あー、と納得して肩を揺らし、改めて周囲を見渡す。霧が濃くなりだしたが照明が多い街中なので、周囲の様子が問題なく見えた。


「一本裏とか、あっちだな」


 頷くイヴェットと共に裏に回る。

 一本奥に入るだけで途端に雰囲気が寂しくなり、通りを歩く人の姿も白ずんで見えにくい。この道は馬車も通れぬくらい狭いから隠れ蓑に丁度良いのかもしれない。


「クルトさんももうここに辿り着いてるかな?」

「だと思う。足速かったし、ラジオもあるんだからな……っと」


 イヴェットと話しているとふと前方にぼやけた二人の人影が見えた。一旦足を止め、息を潜めて人影に注視する。


「さっきからなんだよっ!! ウロチョロしやがって!! 殴られてぇのかお前!!」

「いや、でもっ、えええ……」


 聞こえてきたのは荒々しい少年の声と、どもりながらもそれに応えるクルトの声だった。どうも一足先に犯人に追いついたクルトが不審がられてしまったようだった。犯人に絡まれてしまってはこちらの計画が水に流れてしまう。

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