1-20 「……んー? むっ、んー!」
「無い無い。けどさ、イヴェットちゃんが産まれたのは俺等が七歳の時で、お前に誘われて俺もお姉さんの病院に行って感動したのをよく覚えてるんだよ。そんな産まれた日から知っている子、お金で守れる物なら守ってあげたくなる」
アンリは当たり前のように言うしその気持ちも想像に難くないが、それにしても額がおかしいと思う。あの教会、実はイヴェット馬鹿がもう一人居たらしい。
「……まぁイヴェットちゃんに愛されるってのも楽しいだろうけど、イヴェットちゃんは俺よりも同世代の子のが好きなんじゃない? ねえノア君?」
安心したのか会話が増えた箱の中で目を細めて懐かしそうに言っていたアンリが、急に自分に話を振ってきた。
「は!? 知るかよ!」
「あっノアさん、朝イヴェットさんに会って何か変なこと考えませんでした!? 私はイヴェットさんと貴方がどうかするのはぜっっったいに嫌ですからね!」
「だから知るかよ! つか何の話してんだよ分かりにくいなこの姪馬鹿牧師っ!」
「言うのも嫌な話なんですよ、学生なんですから少しは自分で考えてください!」
突っかかられたので負けじと言い返す。手摺りに捕まっているのも忘れよろけかけたがグッと堪えた。
「二人ともさぁ、落ち着きなよ? あんまり大きな声出すと運転手さんに追い出されるよ」
しれっと常識人ぶるアンリの言葉ももっともなので、肩の力を何とか抜いてふいっと窓の外を見る。窓の外は煙突から蒸気の上がる工業区の景色が広がっていた。
もうすぐアンリが指定した交差点に到着する。恐らくこの箱の中で一番エルキルスの地理に詳しいのは自分だ。工場の多い街並みを眺めながら、この地域をどう攻略したものか考える。
「そう言えばノアさん、……来てくれて有り難う御座います。引ったくりを前にした時の貴方なら来なかったでしょうに、偉いじゃないですか」
一転して静かになった箱の中、ぼそりとユスティンが呟く声が耳に届いた。
確かにそうだ。
イヴェットが連れ去られそうになった時は一番に飛び出したし、アンリに着いて行く決断した。昨日の自分ならここまで出来なかっただろう。
「……おー」
それをこの牧師に指摘されたのもこそばゆくて、窓の外を眺めたまま相槌を打つ。視界に交差点が映り、馬車がゆっくりと減速を始めた。
***
何の前触れもなくふと意識が戻った。
が、自分が今どういう状況にあるか、イヴェット・オーグレンはすぐに把握することが出来なかった。
「……んー? むっ、んー!」
とりあえず声を出そうと試みたが、口を塞がれていて何時ものように話せない。暗いのも目隠しをされている感覚があるからだ。ビックリして立ち上がろうと思ったがそれも出来なかった。後ろ手を縛られているようだったからだ。
「!?」
焦ってじたばた身悶える。美味しい紅茶を飲み、時計を見て残念な気持ちになりながらポピーを出て、通りで季節の花を見ていた。するとノアが何かを叫んで──そこまでは覚えている。
それが今はこの状態だ。どう考えてもおかしい。
「んんんーっ!」
出せる範囲で声を上げる。とにかく何かに反応して欲しかった。
「チッ、もう目を覚ましたのかよ。薬切れんの早くね?」
「個人差があんだから仕方ねーだろ」
耳に届いたのは聞き覚えのない複数の男達の声。
一気に緊張が高まり爪先に力が入った。臀部から振動が伝わり、背中に冷たい物が流れる。この振動は馬車に乗せられているのだろうか。
一瞬でこんな状況に陥り、薬を使うような連中に捕まった。
考えたくないが、自分は連続連れ去り事件の犯人グループに捕まったのだろう。あの事件も複数犯による物だとラジオで言っていた。
「さっきも言ったけど慎重にアジトまで連れてけよ。あの人に指定された大事な商品なんだからな」
目隠しをされている所に商品と言う単語が聞こえ、一層恐怖が煽られる。この事件、被害に遭った女性がどうなるか未だ判明していないので、色々と想像してしまう。危害は加えられなさそうだが、そういう問題ではない。
「んんんーっ!」
動かせられる所は動かそうともがいてみるも、これといった成果を感じられない。
「学生ってのは元気だよなぁ、オレらとあんま変わんないのに」
頭上から降ってくる男達の薄ら笑いが怖い。
「もうすぐ工業区のアジトだ。樽に入れて搬入する準備を始めた方がいい」
「ほーい」
怖い以外、何も言えなかった。楽しかったあの時間からどうしてこんな事になってしまったんだと、涙が溢れてくる。
ノアとアンリはこのことに気付いてくれているはずだ。アンリが気付いているのなら叔父にも連絡が行く。あの三人がどうにかして自分を助けてくれないか、そう祈れるのがせめてもの救いだった。
助けてほしい。
為す術もないまま男達に樽に入れられ、イヴェットはいつも以上に祈りを捧げていた。
***
「捜索っても少しくらいは目星を付けておかないとなー」
馬車を降りた先輩はまず、そう口を動かした。
ここは様々な工場が集まる区域だけにあっちこっち人が居て、クルト・ダンフィードには居心地が悪い。
蒸気の排出量も多いし、初秋だと言うのを忘れる程暑い。今は前近代の頃に比べると高層ビルが少なく、日陰も少ないから余計そう思う。
こういう時、黒髪なのが恨めしかった。
白髪に近いリチェとじゃきっと太陽熱の感じ方が何倍も違う。泣き言が口から漏れそうになる前に、クルトは周囲に視線を巡らせた。
「こっちよりも倉庫が集まってる方が怪しいだろうな。そっち行くぞー」
先輩の言葉に頷き、クルトは人と目を合わせないように工業区を歩いた。警察官の制服を着ているので、大抵の人がそもそもこっちを見ないので有り難い。
往来の多い中、ふと箱馬車が横を通り過ぎていった。箱馬車は近くの角に停まり、中から数人体格のいい少年が出てきて荷を下ろす準備を始めていた。
馬車から樽が出てきてまず思ったことは、何が入っているんだろう、という普通のことだった。樽は、中に死体を入れられなくもない大きさだ。
とはいえ、ここが海ならともかく人が集まる工業区でそんなミステリーが起こるわけない。樽の中もきっと何かの部品や木材が詰まっているのだろう。そう思いリチェの後を着いていこうとした。
「っ!」
樽の中から微かな物音が聞こえたのだ。




