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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第一章 エルキルスの人々
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1-1 「ちょっ、引ったくりー!!」


第一章 エルキルスの人々



 目の前で犯罪が起きる。

 夕方、高校を終え家に帰ろうと蒸気時計がある公園脇の通りを歩いていたら、まず起こらない。

 そう思っていたからこそ、ノア・クリストフは今目の前で何が起こったのかを理解することが出来なかった。


「ちょっ、引ったくりー!!」


 青年と歩いていた所を狙われた栗毛の少女が、白い石畳の上にへたり込み叫んだ。


「そこの人、捕まえて!!」


 『少女の物と思しきスクールバッグを手に、全力疾走でこちらへ逃げてくる犯人を捕まえて』

 そう叫ばれている事は他に人が居ない事から理解できた。スクールバッグには色々な物が入っているので、それ目当てで引ったくられる事があると聞く。

 押さえなければ。分かってはいるが、苺オレみたいに鮮やかなピンク髪を乱し、脇目も振らず逃走している体格のいい少年を前に、どうにも足を動かせなかった。

 分かっている、分かっているのに。突然の事に、目の前の光景が現実の物とは思えなかった。犯人の体格がいいのも怖い。


「え、あ」


 目の前で落雷でも落ちたかのように動けずにいると、少女の隣に居た金髪の青年が、ふうと呆れたように息をついた気がした。青年は犯人を追い掛けるべく全力で駆け出してくる。


「動きましょうよ」


 すれ違う瞬間、冷たく囁かれた。


「わ、悪ぃ……」


 言い訳するように返し、青年が走り抜けていった方を振り返る。公園の角を曲がったようで二人の姿はもう見えなかった。

 情けない思いでいっぱいだった。まさか自分が、こんなにも頭が真っ白になって動けなくなるなんて思っていなかった。自分を殴りたい。


「いったぁ~っ……」


 その時、前方から少女の弱った声が聞こえてきてハッとした。ノアの中では数分にも思えた目の前の光景が、今しがた起きた事なのだと思い出す。

 犯人と青年が消えた今、通りに居るのはノアとこの少女だけだ。このまま何事もなかったように少女の隣を通って家に帰る事も出来たが、それはあまりにも目覚めが悪すぎる。

 目の前の犯罪には動く事も出来なかったが、目の前のへたり込む少女には声をかけたい。それが動けなかった事への謝罪になるのではと思った。


「大丈夫……か?」


 呆然と二人が消えた曲がり角を見ていた少女は、ノアの声に思い出したように顔を上げた。


「あ……っ」


 肩に付かない程の栗毛。長い睫毛に縁取られた緑色の瞳。初秋らしい半袖の白いブラウスに桃色の線が入ったチェックスカート。健康的な肌つやを持つ少女の服は、たしか近所の女子高の物だ。現実になったスチームパンクと言えど、服装は前近代の方に近い。

 少女はノアを映しきっと眉を吊り上げた。


「捕まえてよ!」


 桃色の唇から、怒りに満ちた声が飛び出した。


「あたしの声聞こえてたでしょ!」


 立ち上がって自分を責める少女はそう続けた。不甲斐ない男子生徒を責める女子生徒がまさにこういう表情をしている。


「……悪ぃ」


 少女がこんなに怒るのも無理もない。ノアは唇を噛み締め、砂利の目立つ石畳を見下ろした。


「……あっ、ご、ごめん……。別に警察じゃないもんね、君……」


 ハッとした少女が一転して大人しくなる。言い過ぎたと思ったのだろう。


「見たところあたしと同じ高校生? 困る、よね、いきなりそんな事言われても」


 顔を上げ、眉を下げている少女を見て首を横に振る。


「怒って当然だろ。捕まえるのに一番いいタイミングだったんだから。……悪かった、取られたら痛いよな、あれ」


 謝罪をし、犯人と青年が消えた方を見遣る。石造りの雑貨屋の奥に見える角はうんともすんとも言わない。


「ううん。叔父さんならきっと捕まえてくれるよ、足速いから!」


 だから心配しないで、と少女が笑みを浮かべる。励ますような言い方に、どれだけ悲痛な表情を浮かべていたのかと反省する。


「おじ、さん?」


 少女は多分、犯人を追い掛けた青年の事を言っているのだろう。一瞬顔が見えたが、二十代に見えたのでおじさん呼びを不思議に思い首を傾げる。


「あっ、あの人歳の近い叔父さんなんだ。ああ見えてエルキルス教会の牧師なんだよー」


 エルキルス教会と言うのは、川の近くにある街で唯一の教会だ。叔父の事を語る少女は誇らしげだった。きっと自慢なのだろう。


「なるほど……」


 少女は青年の後を追い掛ける事はせず、ここで待つ事にしたようだ。立ち上がったっきり、この場を動こうとしない。

 思っていたより少女は元気だったし、犯人が戻って騒ぎを起こす事も有り得ない。いつまでもここに立っているのも変な話だ。もうこの場を後にしてもいいだろう。


「あ、叔父さん!」


 それじゃあ、とこの場を離れようとした時、ノアの後方を見て嬉しそうに少女が声を上げた。犯人を追っていたあの青年が、おそらく良いニュースを持って戻って来たのだろう。

 振り返ろう、と思ったが躊躇してしまった。すれ違いざまに言われたあの言葉の冷たさを、思い出してしまったから。


「あー……荷物は取り返しましたが、犯人には逃げられてしまいました。申し訳ありません」


 言葉通り申し訳なさそうな口調で話し、青年はノアと少女が居る方に近付いてくる。


「彼はきっと、工業区に巣食っているという不良なのでしょうね。川を挟んで隣ではありますが、危ないですし工業区には極力近寄らない方が良いですよ。はいこれ、イヴェットさんの鞄です」

「有り難う、叔父さん。あーっ、叔父さん手怪我してる!!」


 イヴェットと呼ばれた少女は礼を言った直後慌て出した。何時までも向き直らないのも不自然なので、意を決して振り返る。

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