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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第6章 蒸気は噴き出した

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2-58 「じゃあね」

「ヴェンツェル、起きた?」


 ふと、頭上から苦手な声が聞こえて来た。薄っすらと目を開けると、そこには思った通り金髪の女性――スケアリーの姿があった。

 スケアリーの脇にあるランタンの強い明かりしか、月明かりも届かぬこの谷底に光はなかった。おかげで、少しも悪びれていない表情が良く見える。


「ッケァ…………!」


 良く自分の前に顔を出せたな、と思った。2回も撃って、ゴミのように人を蹴っておいて。怒りで目の前が赤く染まっていくのに、体が動かせない。


「っ! げほっ!」


 名前を呼んだ際、息を吸い込んだのが不味かったようだ。激しく咳き込んだ拍子に、反射が残った背中が跳ねた。バシャバシャと冷たい水音が響き渡る。


「無理して喋るなよ、もう死ぬんだから」


 そんな自分を嘲笑うように、スケアリーはわざわざ耳に唇を寄せて囁いてきた。

 やはりこれは死んでしまうのだろうか。

 意識すると目の奥が熱くなった。


「ふんっ、助けないよ。嘘吐きは嫌いなんだ」


 すっと立ち上がりスケアリーはそう吐き捨てると、顔の向きを変える。


「ジャンヌさん! 居ました、こっちです! 生きてましたよ〜!」


 ジャンヌ。

 聞き覚えの無いその名前に何も思えぬ程脳が動かなかった。


「本当!?」


 パシャパシャッと水音を立てて視界に現れた女性は、全くもって見覚えのない人物だった。


「本当だ、こいつだわ……! 良くもココちゃんを殺してくれたわね!!」


 女性は鼻息荒く叫ぶと、持っていた鞄から明かりを鈍く反射させている出刃包丁を取り出した。


「ぅ」


 この女性が何者であるかは分からないが、今から何をしようとしているかは分かった。声はロクに出せず、ただただ背中の水を感じる事しか、もう自分は出来ないと言うのに。


「自分の肝臓の色を見せられなくて残念だよ」


 スケアリーの声が聞こえた気がしたが、良く分からなかった。


「殺してやるっ!」


 生物はいつか必ず死ぬ。だから自分もいつかは死ぬのだと理解はしていた。

 けれど。


「っ」


 こんな誰だか分からない人物に、こんな形で幕が引かれようとは思っていなかった。

 グザッ! と脇腹に出刃包丁が突き刺さった。電流のような痛みが走る。


「っ、っ……!!」

「じゃあね」


 何処か楽しそうなスケアリーの声が周囲の闇に響いた。

 同時に思い出したのは、幼い日に良く見た少女の笑顔だった。


 ――まだ、まだあの子の肝臓を見ていないのに。


 それがヴェンツェル最後の意識だった。


***


「……」


 ヴェンツェルは、自分の命がこんな形で潰えた事をどう思っただろうか。

 動かなくなった殺人鬼の腹部から噴き出した血が、ボタボタと浅い川に落ちて行く音を聞きながらティナ・ホアンは思っていた。

 見捨てた相手にこのような気持ちを抱く辺り、自分は二面性のある面倒な性格だとつくづく感じる。


「は……っ、メアリーさん教えてくれて有り難うね……っ!!」


 その時、自分の浅ましい感傷を吹き飛ばすように荒い声が聞こえて来た。

 そうだ、この人がまだ居た。まだやる事がある。聞こえないように小さく息を吐く。


「私今、久しぶりに凄く気分が良いのっ!」

「それは良かったです。お疲れ様、ジャンヌさん」

「有り難うっ! ココちゃんもきっと喜んでいるわっ!」


 頭から血を被った女性は、雨乞いの成功に沸き立つ狂信者のように両手を広げ歓喜にわななく。

 その背後に音もなく忍び寄る。ジャンヌはヴェンツェルしか見ていないので造作もない事だった。


「うんうん、じゃあ天国まで会いに行ってあげると良いよ」

「えっ?」


 何を言っているんだとばかりの声を出し、ジャンヌが振り返りかけた。

 その目が完全に自分を捉える直前。


「──っ!」


 バンッ! と。

 ジャンヌのこめかみに押し当てた拳銃の引き金を引いた。女性の返り血が掛からぬよう数歩後ろに下がり、発砲の衝撃で倒れ込んだ骸をただただ見下ろす。

 脈打っている者が自分しか居ない谷底は、血が水に落ちる音と葉擦れの音しかしなくなった。


「復讐を終え拳銃自殺……良くある筋書きだよね。自殺に見せかけて殺すのは、偽装工作の定番っと」


 拳銃をジャンヌの右手に握らせながら呟く。

 ヴェンツェルは彼女に始末させようと思ったのだ。死体が増えるのはどうかと思ったが、愛犬の復讐を願う彼女の気持ちを尊重したかった。ジャンヌの家で暫くお茶を飲んだ後、外の様子を見に行き「殺人鬼が谷底に落ちたから探しに行こう」と家に戻って声を掛けたのだ。


「お疲れ様でした」


 偽装工作を終え、帰ろうとした時。


「ティナお嬢様」


 ふと本名を呼ばれ足を止める。

 ランタンを声がした方に向け、思った通りの人物がランタンを持って近付いて来た事に目元を緩ませる。

 褐色の肌に乗馬服を着た黒髪ロングのこの女性は、ティナが主体として動いている組織で馬に鞭を振るっている人物だ。


「ねえ。だからお嬢様なんて呼ばないでってば。もう良い年なんだけど」

「失礼致しました。私にはお嬢様はずっとお嬢様ですので」


 何回目になるか分からないやり取りに「ふう」と溜め息を吐いて、1歳下の直立不動の人物に向き直る。


「それで? どうしたのさ、わざわざ降りて来て」


 ヴェンツェルを谷底に落としジャンヌの家に上がる前、彼女にはすぐ近くに待機しているよう命じていたのだ。なのに彼女がここに居る事が不思議だった。きっと悪い事があったのだ。


「例のお菓子の試作なんですけど、問題が発生しておりまして……ご判断を仰ぎたく」


 1週間雨が続いているかの如く辛気臭い表情を浮かべている女性の唇が、やはり悪いニュースを報せてくる。

 あまり聞きたいニュースでは無かった。はあ、と今日一番の大きな溜め息が出た。


「ああ、そっか……そっちのが大切だ。末裔を探すのは後回しにして、まずはそっちを片付けようか、戻るよ。あそこの研究所はヴェンツェルの写真からバレるだろうし捨てよう」

「了解致しました」


 ミトズロッドに居るところまでは突き止めたのだ。後は何とでもなるだろう。

 悪いニュースのせいで痛みだした頭にもう一度溜め息を吐き、最後に振り返って物言わぬ死体達を一瞥した。


「……」


 すぐに顔を背け、ティナは山道を登るべく足を動かした。

読んで下さり有り難う御座います!

面白かったら評価して頂けますとモチベになります。

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