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蒸気の中のエルキルス  作者: 上津英
第6章 蒸気は噴き出した

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2-53 「……俺、御者にちょっと言って来る……」

 まだまだ成長途中の高校生とは言え、ノアの体格はヴェンツェル・ラグナイトと変わらない。

 死角でコンテナに入れるのは骨は折れたが、作業も無事に住み満足気に呟く。


「はー、ツイてたなあ」


 教会前通りで辻馬車を拾えて。

 ドミニクと言うらしい友人が、しきりにこれから教会に行く事を教えてくれて。

 近くで荷物運搬業者が仕事をしていたおかげで、急いではいたものの難なくノアを詰め込む作業を終えられて。

 運命の女神が微笑んでくれているかのように順調だ。

 きっと研究所に着いてからもスムーズに事が運ぶのだろう。わざわざスケアリーからの電話を待って照合する必要もないのだし。


「ふふっ……」


 椅子に座りながら、ノアを詰め込んでいた時の事を思い出す。

 すぐ近くで作業をしていたと言うのに、ノアの友達2人は全く自分に気が付かず、全然違う方向を探していた。滑稽で、笑いを堪えるのが大変だった程愉快だった。


「ちょっと寝とくか……」


 重労働はこれからも続く。その前に少し休憩した方が良いだろう。

 そう思いヴェンツェルは、キャリーケースに積んだコンテナを見て笑みを深めてから目を閉じた。


***


 コーマス川沿いにある青いマンションの5階の廊下は、本来なら西日が牙を剝き出しにして襲い掛かってくる場所だろう。

 今日は霧が出ているのでそうでもないが、ここには住みたくないな……と、クルト・ダンフィードは思った。


「家宅捜索ってのは、容疑者が警官を殴れば即引っ張れるんだよ」


 隣に立って先輩風を吹かせているリチェが、何処か得意気に言う。

 今自分達はヴェンツェルの家の前に居て、声を震わせている女性管理人と課長が話し終わるのを待っていた。

 あれからヴェンツェルの家宅捜索令状が発行されるまで、少し時間が掛かった。

 今日が月曜日で裁判所も仕事が溜まっていた事、ヴェンツェルは真面目に大学に行くタイプなので火急ではないと判断された為だ。


「だから基本、本人の前でやった方が良いんだ。まー最中にヴェンツェルが帰ってくる確率は高いけど、今回は進行中の殺人事件で前科があっての本人不在、って言う珍しいケースだな。あーそうそう、家宅捜索は本人不在でも出来るんだ、今みたいに同居人や管理人さんに許可を貰い立ち会って貰えば良いから」


 依然先輩風を吹かせているリチェの言葉に頷く。

 初めての現場でゴードンのような死体に当たったり、初めての家宅捜索で珍しいケースに当たったり、どうやら自分は運が悪いようだ。


「と、じゃあ突入するよー。開始!!」


 リチェが話し終えた一拍後、鍵を開け終えた管理人を見て課長が周辺に呼びかける。エレベーターホールに居る他の住民達は今、どんな噂話よりも耳をそば立たせているだろう。


「お邪魔しまーす」


 そんな中課長に続いてリチェが、友人の家に上がるような調子で部屋に入っていく。それを機に皆部屋に入っていき、自分も一番最後に続いた。

 黒い家具しかない部屋は良く言えばシンプル、悪く言えば霊安室のように何もない寂しい空間だった。


「はは、何にもない部屋だな〜。生活ゴミや本はあるけど」


 壁掛けタイプのラジオや時計はあるが、ポスターや雑貨は無い。何も無いだけに、リビングの隅で顔を強張らせている女性管理人が良く見える。


「あっ、クローゼットにはある。良かった」


 クローゼットの中には何着かの私服やスーツ、鞄があった。多少の生活感があった事に少しホッとし、教えられた通りシャッターを切っていく。


「課長っ、今無線が入りましてっ! 何人かはもう行ってるそうですが応援が欲しいそうで、詳細は電話で聞いてくれ、っと!」


 階段を駆け上がって来たのだろう、息を切らした御者が部屋に入ってくる。


「了解了解。管理人室の電話お借りします、管理人さんは残っててください〜。何も無い部屋だからね、後はリチェとクルト君と鑑識組と検察官さんだけで大丈夫かな。他の人等は馬車乗ってて。リチェ達は終わったら課戻っててよー」


 それに応じて小太りの課長が指示を飛ばし、「宜しくー」と1人2人と部屋を出て行く。6人だけが残った部屋は余計寂しかった。


「えーっと……後は脱衣所、浴室、キッチンか」


 検察官が持つ書類を覗いていたリチェが呟き、「んじゃキッチンやるわー」とリビングの奥へ向かった。

 だったら自分は風呂を……と思い、年の近そうな鑑識に着いて来て貰うよう声をかけようとした時だった。

 バンッ! と。

 先輩が勢い良く冷蔵庫の扉を閉めたのだ。

 開けるではなく、閉める。何時もとは別人のような憔悴した表情で。冷蔵庫に何かあったのだ、とすぐに分かった。


「……すんません、すんません。あの、お姉さん? ちょーっとこっち見ないでて下さいね」


 女性管理人に念押しし背を向けさせたリチェの近くに行き、どうした、と視線で問う。


「凄いのが出て来たぞ。良いな?」


 小声で念押しして来た後、リチェが再び冷蔵庫の野菜室を開ける。

 ──と、赤黒い臓器が入ったガラス瓶が何個も陳列されていたのだ。


「っ……」


 今まで色々な惨い死体を見てきたが、様々な大きさのガラス瓶がたくさん臓器入りで並んでいる光景のインパクトは、珍しく自分の表情筋を働かせた。

 パシャッとシャッター音がすぐ近くからし、ようやく現実に戻って来れた気がする。


「これは、肝臓か? 切り裂きジャックの被害者より数が多いな……くそっ、もっと早く気が付けば良かった……」

「もう決まり、だよ……これ。課に戻るより、もうさ、ここで……ヴェンツェル待とう」

「ああ、それで確保が良いな」


 ひそひそ話を始めた自分達に、鑑識達も表情が固くなる。彼等も事態の深刻さを察したのだろう。


「……俺、御者にちょっと言って来る……」


 外に出て注目を浴びるのは嫌だったが、ここには自分より体格の良い人達が残っていた方が良い。


「気を付けろよ」


 外は寒い筈なのに、ガラス瓶の中身を思うと全く寒さを感じなかった。

 ふと隣の家を見る。家人がルイリーフに行っている今、当然無音だった。

 一度こっそりと息を吐いた後。被害者候補になり得るノアが今潮風に当たっている事を祈りながら、人混みを掻き分けて階段を下っていった。


***


「ん……」


 目覚めは突然だった。

 目覚めたという感覚があるのに、けれどノア・クリストフの視界は暗いままだった。


「ふー……っ?」


 上手く口を動かせない。おかしい。

 いや、これは。


「っ」


 切り裂きジャックに――ヴェンツェルにやられた、と考えるべきなのだろう。猿轡を噛まされ、後ろ手に拘束されている。

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