2-51 「ヴェンツェル! 今日も遊びに来てくれて有り難う!」
第6章 蒸気は噴き出した
ヴェンツェル・ラグナイトが初めて人を殺したのは11歳の時、相手は同じボロアパートに住む少女だった。
周囲の大人には「頼まれたから殺した」と話し、周囲も簡単にそれを信じてくれたが、本当は違う。
あんなの嘘だ。
ああ言えば少年院もすぐ出られる──それくらいの知恵はあったから、吐いただけの事。あれは紛れもなく自分の意思で、大好きな少女の喉を切ったのだ。
観光地の隅で踊っているストリップ嬢の元に生まれた自分は、堕ろし損ねたから誕生しただけの祝福されない存在だった。
母親は自分をゴミのように扱い、出勤前面倒臭そうにカップラーメンを投げてくるような人だった。
母の腰を抱いてアパートに度々訪れる男性達も、自分を見下ろして鼻で笑ってくるばかり。飲んだ帰り、自分をポールのように蹴って怒鳴っていく人も多かった。
こんなボロアパートに好んで入居してくる人に、怒鳴り声がしようが咎める人は居ない。
怒られるのは嫌だと身に沁みた頃、小学校に通えると知った。
勉強が出来るのだ。図書室で本が読めるのだ。友達が出来るのだ。だから楽しみで仕方なかった。
しかし、いざ入学してみると。
「臭い」
「気持ち悪い」
「近寄りたくない」
勉強は楽しかったけれど、ヒソヒソ話すクラスメイトと目が合わないのは少しも楽しくなかった。自分が近寄るとクラスメイトが怒るのも嫌だった。
加えて不幸にも──これは不幸だったとしか言えないと思う──自分は少しばかり、人より器用だったのも良くなかった。
「お前みたいのがなんで上手く作れるんだよっ」
と虐められる事になったから。
当然母親は何もしてくれなかった。同級生の親も、心配そうに見てくるだけ。人手不足で忙しい担任は、自分の事を見て見ぬフリし続けた。
(小学校に行くの、楽しみだったのに)
仲良くなりたい人は逃げていく。偶に話しても喧嘩になる。怒られてばっかで毎日嫌だった。
1つ下の少女イーヴリンに会ったのは、そんな頃だった。
同じボロアパートに単身越してきた──今思えばあれは体のいい収監だった──病気の少女で、彼女もまた自分と同じ放置されている子供だった。
「ねえ貴方、いつも怒鳴られている子よね?」
廊下を歩いていた時窓越しに話しかけられてから、境遇が同じだけあってすぐに仲良くなった。前から自分と話してみたかったのだと言う。
イーヴリンはぬいぐるみの多い汚い部屋で、月に1回沢山のシリアルバーを持って会いに来る父親を、ただただ待っているだけの大人しい少女だった。
栗色の長髪は自分と違ってストレートで、緑色の瞳は綺麗ですぐに大好きになった。
いつも壊れた人形のように寂しそうに笑って咳をしていた。外に出る体力が無いから学校に行けず、せめて自分と友達になりたかったのだと言う。
「ヴェンツェル! 今日も遊びに来てくれて有り難う!」
少女にとって、自分はたった1人の友達。
それが堪らなく嬉しくて気持ちが良くて、決して怒らない鳥籠の中の少女と居るのは居心地が良かった。お互いの両親は自分達の関係を知らないのも、秘密を共有している優越感があった。
家でも小学校でも怒鳴られて虐められたけど、「ヴェンツェル」と嬉しそうに呼んでくれる少女の笑顔を思い出すと頑張れた。
「ヴェンツェル、台所にネズミが居たの。今日はこの子を解剖して遊ぼうよ」
イーヴリンは自身が病弱だからか、医学に強い興味がある少女だった。
最初は動物を触るだけで楽しかったのに、いつしか如何したら死ぬのか知りたくなって、最終的には内臓を見る事が楽しくなっていた。
イーヴリンが特に執心していたのが肝臓だった。
親が見立てただけらしいが、彼女自身肝臓の病気なのだと言う。
なにかを解剖する度彼女は肝臓を摘出し、「私の肝臓もこんな色なのかなあ」とぼやいていた。
「肝臓に色があるの?」
「うん。肝臓ってね、色とか大きさとか……人によって違いが出る臓器なんだって。前お父さんが言ってた。だから私の肝臓はきっと凄い面白い色をしてるんだと思う。そうじゃなきゃ病気になんかならないよ」
「へ~」
そんな話をしたのは、公園をうろついてた鳩を解剖していた時だった。
バタバタもがいていた動物が、喉を切れば糸が切れたように大人しくなって逃げようとしなくなるのが面白かった。
思えば腐っても小学生だったこの頃が、ヴェンツェルは人生で一番幸せだった。
「ヴェンツェル、解剖上手だよね。やってる時楽しそうだよ」
「うん、楽しいよ。何時か人でもやってみたい」
「そんな怖い事言わないで」
冗談だと思ったイーヴリンはクスッと笑うだけだったが、視線を上げて隣の少女を盗み見る自分の胸の内は違っていた。
本心だ。
この頃にはすっかり、イーヴリンより自分の方が解剖にハマっていた。
イーヴリンが言う通り肝臓はバリエーション豊かだし、疎まれがちな器用さを発揮出来る。それに今みたいに褒めて貰える。
もっと色々な肝臓を見たい。人の肝臓を見たい。――人を解剖してみたい。
虐められているのも忘れてそんな欲望を抱き始めた、11の冬。
その機会は突然訪れた。
学校帰り、隙間風で寒い部屋を訪れると少女が廊下で倒れていたのだ。
「っ大丈夫!?」
玄関を後ろ手に閉め慌てて駆け寄って顔を覗き込むと、イーヴリンの顔色は赤黒かった。
「イーヴリン!? イーヴリン!?」
「っ……ヴェン、ツェ……痛い、苦しいよぉ……っ」
初めて見る悲痛な表情。荒い息。
イーヴリンが軽い発作を起こす事は多かった。だからこれは重篤な発作が起きたのだ、とすぐ分かった。
「大丈夫!? とりあえず横に……っ」
こんな冷たい床に倒れ込んでいたら、治まる物も治まらない。
肩を貸そうと屈んだ自分に、少女の栗色の髪が左右に揺れた。
「ばかっ! ちがっ……きゅうきゅうしゃ、よんで……っ!」
それは確かに怒っていた。
どうしてそんな事も分からないんだと、周囲と同じように苛立っていた。
「──えっ?」
驚いた。
イーヴリンは自分を怒ったりしないと思っていたから。
どうしてだろう。その瞬間、自分の世界が反転した気がしたのだ。
「早く……っ!」
「……」
ドクンッと自分の心臓が跳ねたのは、友達の病状が心配になったからじゃない。ふと閃いてしまったからだ。苦しそうにもがいている物は、喉を切れば大人しくなる事を。それは中途半端に肩を貸したこの少女も同じだ。




