第9話 中途半端なやつ
小さくなった穴からにゅっと伸びてきた黒い物体は、一メートルほどの長さになってから、しなやかにこちらを向いた。
いや、その何かが体を向けたというよりかは、恭子たちに反応してグニャリとしなった。そういった感じだった。
「ミ、ミースケ、なんか出て来た」
「ああ、しかしまあこんな小さな穴から無理して……」
呆れたようにミースケは言ってから、穴から身を乗り出した黒い棒状のものに猫パンチを喰らわせた。
ミースケの一発で、黒いやつはそのまま動かなくなった。
穴からだらりと垂れ下がったまま、ピクリとも動かない異形のものに、ミースケは苦々し気に顔を歪めた。
「おいおい、そこで伸びられたら穴を塞げないだろ。全く中途半端で迷惑な奴だ」
「ねえ、ミースケ、こいつは何なの?」
「ああ、絶対者だよ。穴が小さいのに無理やり出てこようとしてスケールが小さくなった感じだよ」
ミースケは器用に腕を組んで、だらしなく伸びている絶対者を前に思い悩んでいる。
「波動でやっつけてしまう?」
恭子が提案すると、ミースケはブンブン首を横に振った。
「いや、それはマズい。こいつを波動で消したら、今こいつが挟まっている穴がダメージを受けてしまうだろう。修復不能なダメージを与えてしまうと、またあの狭間の怪物が簡単にこっちにやって来れるようになる」
「そっかー、じゃあどうするの? このまま放っては帰れないよね」
余計なもののお陰で、作業が中断してしまった。
美しく茜色に染まった空は、もうあまり暗くなるまで時間がないことを知らせていた。
「ふぁああーーー。よく寝た。おや? なんだ、変なのがぶら下がっているじゃないか」
トラオは大欠伸をしたあと、穴からだらりと伸びているスケールの小さい絶対者を興味深げに覗き込んだ。
「馬鹿だねー。無理して出てくるからあっさり返り討ちに合うんだ」
「ねえトラオ、何とかならないかな。もうすぐ日が沈みそうだし」
「そうだな……」
そしてトラオは、ある提案をしてきた。
「こいつは俺と同類だけど、知能は猿以下だ。特異点を排除することしか頭にない馬鹿な奴なんだ。そこでこいつをちょっとグレードアップしてみたらどうかなって思ったんだけど」
「んー、どゆこと?」
ちょっと言っていることが良く分からなくて恭子は聞き返した。
「俺は同類であるこいつとは、情報のやり取りができる。つまり短絡的に特異点を排除することに執着しないよう、こいつの頭の中を弄ることが可能ってことさ」
「んー、なんだか悔しいけど、もうちょっと分かり易く噛み砕いて説明してよ」
「簡単に言えば、仲間に引き込める可能性があるってことさ」
「ホントに!?」
これには流石に恭子も驚いた。
ヤバイ敵だと思っていた怪物が仲間に寝返るのだというのは、にわかには信じ難かった。
ミースケはやや渋い表情でトラオの話を聞いている。
「うーん。こいつに知識を与えるってことか。あまり気が進まないけど、引っ込むか出てくるかしてもらわないと、どうしようもないしな……」
「そうゆうことだ。ミースケと恭子が賛成なら、すぐにかかるけど、どうする?」
恭子は薄暗くなってきた空に不安そうな顔を向けてから、ミースケに目を戻した。
「私にはちょっと判断できない問題だわ。ここはミースケに任せるよ」
「そうか。じゃあミースケ次第だな」
恭子とトラオが見守る中、ミースケは閉じていた蒼い目を開いて一つ頷いた。
「トラオ、やってくれ。失敗したら俺がこいつを消し飛ばす」
「よし、分かった」
そしてトラオは恭子の前に出ると、だらりと垂れ下がったままの黒いやつに手を伸ばした。
トラオの手がにゅーと伸びて、黒いやつと重なった。
そしてトラオは沈黙した。
見た目では何にもしていないように見えるが、恐らく今、絶対者同士で何らかのやり取りをしているのだろう。
しばらく経ってからトラオは黄緑色の目を開いた。
「終わったの?」
「ああ。キョウコ。上手くいったよ」
トラオはそのまま両腕を伸ばして、中途半端に穴から出ている黒いものを引きずり出した。
そして一メートルほどの黒い棒状の物体を、鉄骨の上に無造作に置いた。
ミースケは警戒を解かず、波動を撃ち出す構えを作ったまま、事の成り行きを見守っている。
もぞもぞと動き始めた黒い塊は、ゆっくりと形を変えて、やがて見慣れた姿へと変貌を遂げた。
「まあ、こんな感じだ。キョウコ、これでどうだい?」
「うーん、そうね」
恐らくトラオが情報を与えてこの姿に擬態させたのだろう。
狭い鉄骨の上にちょこんと座り込んで黄色い目を向けていたのは、どこにでもいそうな黒猫だった。