エピローグ 新しい世界
ミースケが旅立ってしばらくして、トラオも姿を消した。
役目を終えたことでいなくなったのか、それとも旅にでも出て行ったのかは分からない。
ミースケに続いてトラオもいなくなったことで、賑やかだった毎日が急に静かになった。
恭子は淋しさと物足りなさを感じながら、またあの懐かしい姿を思い描く。
この世界から消えてしまったミースケのことは、誰の記憶からも消えてしまっていた。
あれだけミースケを可愛がっていた父や母でさえもだ。
まるでこの世界にもともと存在していなかったかのように、ミースケという存在は影も形も消し去られていた。
それは人の記憶に留まらず、スマホで撮ったたくさんの写真も全てどこかへ消えてしまっていた。
それでもたった一人。
あのおしゃべりな猫から、波動の流れを受け継いだ私だけが、ミースケのことを憶えていた。
忘れられるはずがない。
大好きだったあなたのことを、私はこれから先も毎日思い出すだろう。
それだけ気の遠くなるような時間を、私は共に過ごしてきたのだ。
今も部屋へ戻れば、甘えた声で出迎えてくれるような気がする。
ただ愛おしいと思える存在。
世界から拒絶されたモフモフの柔らかな存在は、私にとってただただ大切なものだった。
世界は時間を再開させ、本格的な夏が当たり前のように人々に訪れた。
夏休みに入っても部活は私を休ませてくれない。
黒く埋まった部活の予定表に追われてひたすらに練習に励み、ようやく八月の半ばになって、数日間のお盆休みがやって来た。
私は両親にくっついて、再びおばあちゃんのいる山口県萩市へと帰省した。
今年二度目となる里帰りに、ミースケの姿はない。
連れてきた猫を可愛がって、お刺身をたくさんご馳走してくれた祖母も、ミースケのことを憶えていなかった。
海水浴シーズンになったこの時期、昼間になれば、この透明度の高い海を求めて、遠方からも沢山の人々がやって来る。
私はまだ誰も起きていない早朝に目覚めて、歩いてでも行ける砂浜へと一人で足を伸ばした。
まだ誰もいない静かなビーチ。
穏やかな波の音と、ほんのわずかに髪を揺らす潮風。
まるで犬みたいに砂浜を駆け回っていたあの愛くるしい姿を、つい探してしまう。
ループから抜け出して迎える、また新しい一日。
正常に戻った世界が、こうしてまた見た事の無い景色を創り出し、私達はそれを享受している。
私にこの景色を見せるために、ミースケは私のもとを去って行ってしまった。
再び動き始めたこの世界にはもうミースケはいない。
それでも私は、もうこの腕に抱くことのできないあの柔らかさを、はっきりと憶えている。
遠い水平線に目を向けると、本格的な夏の様相へと変わった青い空に、目にも眩しい入道雲が高く伸びていた。
一人で波打ち際を歩きながら、ふと、あの五月の海で、蒼い瞳を遠い水平線に向けていたミースケを思い出す。
そして私はあの海で聞いたミースケの問いかけに今なら応えられる。
キョウコ、この世界は好きか。
あの時保留にした哲学的な質問に、今の私はこう応えるんだ。
大好き。
そう、だって大好きなあなたがくれたこの世界なんだもの。
そうでしょ。ミースケ。
にゃー
きっとあなたはどこかでそう応えている。
そしていつかまた、この世界の理を無視してフラリと現れ、私にすり寄ってくる。
そんな予感を感じながら、私は足跡のない新しい砂浜に、一歩踏み出した。
ご読了有難うございました。
私は夏が好きで、この物語も、生命感あふれる夏にさしかかった時点で、幾ばくかの余韻を残しながら完結しました。
「世界最強猫と私」という作品は、実際に身近にいたハチワレ猫をモデルにして、その面影を頭の中で描きながら、とにかく腕っぷしの強い、それでいてどうしても癒されてしまう、ミースケという特別な猫を際立たせた冒険物語としてスタートしました。
前半の物語では、個性ある登場人物? によって謎を膨らませ、後半の、リ・スタートで、すべての謎を明確にしていく、そんな構成になっています。
複雑に入り組んだように見える世界最強猫の世界も、実際はとても単純な動機に起因して起こった連鎖的な現象に過ぎない。摩訶不思議な物事の根底にあるのは案外そのようなものなのかも知れませんね。
世界最強猫が残した波動を受け継いだ少女は、最後にとても爽やかに世界に足を踏み出しました。
少女はきっと信じているのでしょう。
再びあの愛おしい存在に出会えることを。
そして世界の理に抗う力を持つ少女が、願い信じたとしたら……。
それではまた皆様にお会いできることを願って。
ひなたひより




