第5話 二回目のラブレター
翌日の日曜日も恭子は精力的に動き回った。
二匹の猫を自転車に乗せて、隙あらば寝ようとするトラオの頭をはたきつつ、猫に指示されるまま根気よく穴の気配を求めて、町のあちこちを探して回った。
しかし、努力も空しく、それらは全て空振りに終わった。
自転車の狭い前かごで、トラオはミースケの隣で大欠伸をしながら恭子を振り返った。
「ふぁー、まあ気にするなよキョウコ。また出直しゃいいだけさ」
「それはいいんだけど、あんた本当にアンテナ張ってくれてる? 後ろから見てたら、いっつもウツラウツラしているみたいに見えるんだけど」
「目を閉じて全神経を集中しているのさ。信頼してくれていいぞ」
「頼むわよ。ホントに」
そして月曜日。
二日間、自転車で走り回った恭子は、はっきり言って疲労困憊だった。
しかし、その体の疲れとは対照的に、頭の中は冴え渡っていた。
そう、もうすぐ私は生まれて初めてのラブレターをもらう。
まあ、タイムリープしているので、前回のイベントでも同じことが起こっているわけだから、それをカウントするなら二回目となる。
踵を揃えて並べてある右側のスニーカーに、それは入っているはずなのだ。
そしていよいよ、イベントの起こる時間がやって来た。
放課後の靴箱の前。
少し生徒たちがまばらになりかけた時間帯。
恭子は大きく深呼吸をひとつして、スニーカーの中に手を伸ばした。
指先に触れる感触……。
「えっ!」
恭子はスニーカーを鷲掴みにして、その中身を覗き込んだ。
「無い!」
ときめいてたものが吹っ飛んで、とにかく恭子はその場であたふたしていた。
どうして? 前回はここに入ってたはずだよね。起こるはずのイベントが変わってしまってるってこと?
確かに今回のタイムリープで、恭子は前回と同じ行動をとっていない。忠雄の無事を確認したくて、先週、事故のあった日に、図らずも彼と接触してしまっていた。
ほぼ頭の中が真っ白になった状態で、もう一足に手を伸ばした時、指先に触れたものがあった。
「こっちか!」
思わず大きな声を上げて、恭子は左側のスニーカーの中に入っていた小さく折り畳まれた紙を手に取った。
どうやらミースケの言っていたことが今起こったみたいだ。
つまり、恭子の行動によって、起こるはずのイベントに差異が生じたとしても、大筋は前回起こったシナリオ通りに進んでいくみたいだ。
折りたたまれた紙を開いてみると、そこには前回もらった手紙と一言一句同じ内容が、丁寧な字でしたためられてあった。
片瀬恭子様。
突然このような手紙を書いてしまい申し訳ありません。
どうしてもあなたにお伝えしたいことがあります。
宜しければ放課後、生徒会室に来て頂けないでしょうか。
お待ちしています。
ショックのあとの深い安堵感を味わいながら、恭子はこの後どうしようかと思い悩む。
このあと、呼び出されたとおり生徒会室に行ったら、そのまま隣の将棋部の部室で野村君とお茶をするわけだ。
今までお互いに知らなかった者同士が、これをきっかけにどんどん親しくなっていくのよね。
どうしよう。ここで私がすっぽかしたら、野村君は私を諦めてくれるかしら。そうなれば、彼との接点は無くなって危険なことに巻き込むことは無くなるんじゃないかな。
でも……。
足元に置いたスニーカーの前で、恭子の頭の中で理性と感情がぶつかり合っていた。
しばらく立ちすくんだまま考え込んでいた恭子の背中に、聞き覚えのある声が掛けられた。
「恭子、待っててくれたの?」
振り返るといつもの気さくな感じで、島津美樹が恭子に手を振っていた。
美樹は友人がそこで立ち往生していたのを、いいように受け取ったようだ。
さっさと靴を履き替えた美樹は、上履きを履いたまま立ち尽くしている恭子の肩を叩く。
「なあに? さあ帰るわよ」
「えっと、そうね。帰ろうかな……」
先にガラス扉を出ていこうとする美樹を、恭子は慌てて追いかける。
その時、廊下側から女の子の声が聴こえてきた。
その特徴的な声には聞き覚えがあった。
涼やかな笑いを交えながら、靴箱の前に現れたのは、あの如月カトリーヌだった。
カトリーヌはいつも一緒にいる三宅詩音と、何やら可笑しそうに話し込んでいたが、靴箱に差し掛かった時、エレガントに手を振った。
「じゃあね、詩音。また明日」
「またね、カトリーヌ」
三宅詩音と分かれたカトリーヌは、職員室にでも用事があるのか、そのまま行ってしまった。
「行くよ、恭子」
「う、うん」
まるで後ろ髪を引っ張られるような感覚を覚えながら、恭子は校舎を出た。
「ねえ恭子、今年の部活紹介って誰がするんだろうね」
「それは勿論……」
唐突にそう聞かれて、恭子は思わずサラッと答えてしまいかけた。
未来を知っている恭子には、自分たちが部活紹介に抜擢されるのが予め分かっていたのだ。
何か言いかけて口を開けたままの友人を、美樹はしばらく黙ったまま見つめていた。
「なあに? 当てずっぽうでいいからさ。言ってみなよ」
「えっと、やっぱり分かんないや。でも二年少ないし、指名されそうだなーって思っただけ」
「だよねー。指名されたらヤダなー」
美樹はおしゃべりが得意なくせに、部活紹介に関しては消極的だった。良くも悪くもこの友人は、責任が自分の身に降りかかるのを嫌う傾向があった。
「ああいうのって、はっきり言って苦手だわ。新入部員集まらなかったら、あとで先輩にグチグチ言われそうじゃん」
「まあ、そこまで言われることは無いと思うけど、責任は感じちゃうかな」
「恭子はそっちのほうか。あんなの派手なパフォーマンスで目立ったもん勝ちみたいなとこあるじゃん。ダンス部とか吹奏楽部とかばっかし目だってさ、ズルイっての。対抗して私らも水着で壇上に上がったほうがいいかも」
「前にも言ってたけど、それはパス。そんな恥ずかしいことできますかって」
「あれ? 前にも言ったことあったっけ」
うっかり未来に起こる会話の内容を、引っ張り出してしまっていた。
なまじ未来を知っていると、こういうことが起こってしまうようだ。
「ええと、一年の時にも言ってなかったっけ。まあ、指名されないことを願っておこうよ」
「あー、神様、どうか私じゃありませんように。お願いですから指名されるのは恭子だけでありますように」
「なによ。自分だけ助かりたいって了見なの?」
恭子は鞄で美樹のお尻をバーンとはたいてみせた。
そして二人は校門にさしかかる。
恭子は歩きながら校門の脇に視線を向ける。
そこはいつも少年が恭子を待っていた場所だった。
いつも先に来て、恭子が部活を終えてここを通るのを待ってくれていた。
そして恭子の足が止まった。
「どうしたの恭子?」
先に校門を出た美樹が、足を止めてしまった恭子を振り返った。
「ごめん……」
下を向いたままそう言った恭子に、美樹は首を傾げて様子を窺っている。
「なあに? 忘れもんでもしたの?」
美樹のそのひと言に、恭子は顔を上げて頷いた。
「うん。忘れものした。やっぱり戻らないと」
恭子はごめんとひと言付け加えて、踵を返した。
校舎に向かって駆けて行った親友の背中を見送り、美樹はボソリとひと言「へんなの」と呟いた。