第49話 逃避行
怪物から逃げ出した恭子たちは、そのまま自転車で駅へと向かい、特急列車に乗り込んだ。
席に座った二人は、ようやく緊張を解いて、お互いの顔を見た。
「へへへへ」
ぎこちなく少年が笑ったので、恭子もそれにつられて、少し笑顔を浮かべた。
「ごめんね。野村君……」
また少年を巻き込んでしまったことに、恭子は後悔を感じずにはいられなかった。
そんな恭子の隣で、少年は、ぎこちない笑顔を浮かべたまま、膝の上のキジトラ猫に目を落とす。
「トラオって、片瀬さん呼んでたね。片腕が無くなってるけど、血も出てないし、どうなってるのかな?」
「えっと、トラオはね、猫っぽいけど猫じゃないっていうか……」
その時、携帯に着信が入った。
殆ど空席の特急列車を見回してから、恭子は「ごめんね」と断って電話に出た。
「恭子、なにやってんのよ」
「あ、そうだ、美樹と約束してたんだ」
「は? なに行方不明になってくれてんのよ。そんで今どこにいんのよ」
「今は、えーと……」
まさか特急列車に乗って、逃亡中だとは言えなかった。
「急用ができて、いま電車で移動中なの。ホントごめんね」
「急用って、身内に何かあったとか?」
ミースケは猫だけど、私にとっては家族同然だ。従って身内に何かあったというのは、あながち間違いではない。
「そう、そうなのよ。だからごめんね」
「そんなら仕方ないわね。また埋め合わせはしてもらうからね」
「うん。じゃあ電車だから、切るね」
「うん、じゃあね」
意外とあっさりと話がついて、恭子は大きく息を吐いた。
「もしかして、島津さん?」
「え? うん、美樹から。約束すっぽかしちゃった」
「仕方ないよ。大変なことがあったんだし」
少年はおかしな猫を膝に抱いたまま、なにも訊こうとしなかった。
少女のことだけを想い続けるこの少年は、前回のループの時も何も言わずに恭子を守り続けた。
「やっぱり何も聞かないんだね」
「え?」
「ううん、こっちの話。でも野村君に聞いて欲しいんだ。私とミースケとその、トラオのことを」
時間はたっぷりある。
恭子はことのいきさつを、少年に話しておいた。
つい昨日、記憶を飛ばされて事情を知らない少年は、少女の口から出た荒唐無稽な話を真剣に聞いていた。
特異点であるミースケが、あの空から現れたことで全てが始まったこと。絶対者トラオのこと。あの怪物の正体や、繰り返すタイムリープのこと。
多くの真実を語り終えた恭子に、少年は納得したように何度も頷いた。
「そうだったのか。片瀬さんがそんな大変な目に遭っていたなんて」
「信じてくれるの?」
「片瀬さんがそう言うのなら、疑いっこない。実際僕もアレを見たわけだし」
繰り返すループの中で、少年は少女の言葉を信じ続けてきた。
そして少年は、再びあの言葉を少女に告げた。
「ミースケのこと、僕も力になりたい。それと、これからは僕が盾になって片瀬さんを守りたいんだ」
「野村君……」
列車の車窓を、明かりが横に流れていく。
知らない土地に来てしまっていることも、少年がいてくれることで安心できた。
恭子は胸に手を当てて、まだ言っていなかったことを口にした。
「私と野村君ね……前回のタイムリープで……」
恭子の頬が紅くなる。規則正しく揺動を繰り返す列車の車内で、また少しだけもどかしい時間が過ぎていく。
やがて少し息を吐いて、気持ちを整えてから恭子はありのままを少年に告げた。
「お付き合いしてたの……」
そのひと言で、何かとんでもないものに出くわしたかのように、忠雄の顔が豹変した。
そのあと、顔が真っ赤に変わって、額に汗が浮かび始めた。
「き、聞き間違いかな。も、もう一度言ってくれる?」
恭子はもじもじと膝の上で絡めた指を動かしながら、同じことをもう一度言った。
「だから、野村君と私はお付き合いしてたの」
「ええっ!」
忠雄は思わず席から立ちあがった。
膝の上に抱いていたトラオが、ドサリと足元に落ちた。
「あ、ごめん、トラオ」
落下したトラオを、すかさず忠雄が抱き上げると、トラオはパチリと目を開けてグーっと伸びをした。
「あれ? もしかして起きてたの?」
トラオの様子から、恭子はなんとなく、しばらく前から起きていたのではないかと勘ぐった。
「うんにゃ。いま目が覚めた。ささ、俺に構わず二人は続けたまえ」
「やっぱり、起きてたんじゃない。盗み聞きしてたんでしょ」
何だか目つきがいやらしい。相変わらずのトラオに安堵するも、雰囲気はぶち壊しだった。
「ねえトラオ、あんたの腕、無くなっちゃってるみたいだけど、大丈夫なの?」
「ああ、これか。こんなものは……」
トラオがフンと気合を入れると、腕は一瞬で元に戻った。
「とまあ、これくらいは朝飯前ってわけさ」
「どうなってんのか知らないけど。便利にできてるわね」
何とも無さそうなトラオに二人は感心しつつ、気絶していたトラオと、抜けていた情報を交換し、埋めておいた。
恭子はクロが体内に異界へ続く穴を形成していたことを明かし、ミースケがその穴に引きずり込まれたことを話した。
「でも、どうして野村君とトラオはあそこに現れたの?」
どう考えても、釈然としない現象であることは分かっているものの、誰もそれに関しては首を捻るだけだった。
トラオは首を傾げたまま、黄緑色の目で忠雄を見上げた。
「俺は忠雄がいきなり家を飛び出したんで、追いかけていっただけなんだ。まさかあんなところで交戦中だとは思いもしなかったよ」
「僕はその、なんというか、今すぐ家を出なければって、突然理由もなく思ってしまって……」
ミースケが話していた特別な力が、少年を衝き動かしたに違いない。
この一見気弱で素朴な少年は、間違いなく超能力者だった。しかもとびきりユニークな。
「夢中で自転車をこいで、河川敷まで行ったら片瀬さんとあの怪物がいて、そこからは何がなんだか……」
記憶を消そうが、遠く離れようが、少年の超能力の前では無駄だったということだ。ミースケや恭子の予測を凌駕して、やはり少年は誓いを果たすべく現れたのだった。
いや、ひょっとすると、少年を止めることができないことを、ミースケは分かっていたのかも知れない。そのうえで、恭子を納得させるために少年の記憶を飛ばしたのではないだろうか。
そして誓いは果たされて、恭子は生き延びた。
ミースケが思い描いていたとおりに、超能力は発動したのだった。
「ねえトラオ、ミースケを助けるにはどうしたらいい?」
「ウーン」
腕を組んで渋い顔をして見せたトラオに、二人は期待を込めて注目した。
「なんも思い浮かばん」
スカみたいな返答に、恭子も忠雄も幻滅を隠せない。
「あんた、曲がりなりにも絶対者なんでしょ。ちょっとくらい、いい知恵持ってないわけ?」
「穴は閉じてしまったわけだろ。あいつを引っ張り出すにも、それがないと無理なんだ」
「あんた、穴を開けれないの?」
「俺が? ムリムリ。特異点がいなくなった世界ではどうしようもない」
「それってどうゆうこと?」
特急列車の終点が近づいてきた。
次の駅が終点であるというアナウンスが流れたあと、トラオは世界の理について語った。
「キョウコ、あの穴が塞がっていったのが何故だか解るか?」
「解らない。どうしてなの?」
「特異点がこの世界からいなくなったからだよ。世界が急速に復活し始めたから、異界の穴は塞がってしまったんだ」
「ミースケがいなくなったから……」
特異点という棘が抜けてしまったことで、世界の理が正常に戻りつつある。全てミースケが言っていたとおりだった。
「特異点の存在が消えたことで、この世界は本来の力を取り戻して行ってるんだ。強固になった世界の壁に、もう穴は開けられない」
「そんな、ミースケはどうなっちゃうの?」
「解らない。ただ、このままミースケがいなくなって、世界がループを抜け出してしまえば、あの怪物が現在を喰い荒らし始める」
「この間言っていたことが起こるのね」
エラー因子が現在を喰い荒らせば、この世界は力を失い弾けてしまうのだとトラオは言っていた。
「タイムリミットは、ループしている世界にいる、この百日間だ。それまでにあいつを消滅させないとお終いだ」
列車が減速し始めた。旅の終わりが来たことを恭子は知った。
「取り敢えずなんか食おうぜ。腹が減ったままだと、いい案も浮かばないだろうしな」
世界に関わる緊迫した状況であったが、トラオはいつもどおり、空腹を訴えたのだった。




