第46話 ミースケを探して
雲の隙間から夕日が射し込んで、住宅街をオレンジ色に染めていた。
そろそろ部活が終わるころだ。
恭子は射し込んでくる光の眩しさに目を細めながら、ふと、休んでしまった部活のことを考えていた。
神社で話を聞いたあと、泣き疲れた恭子を、トラオは家まで送ってくれた。
正確には、恭子がトラオを抱いて家まで帰ったので、送ってもらったというのは語弊があるだろう。
帰り道で、トラオはもう一つ話をしてくれた。
それは時を食らう怪物の話だった。
ランゴリアーズと呼ばれる自分たちは、過去を食らい、そのエネルギーを世界に転嫁して、未来を生み出す力に変えているのだという。
自分たち絶対者は、この世界が未来に進んでいくために不可欠な怪物なのだとトラオは語った。
そして、何故あの狭間の怪物のようなエラー因子が生まれてしまったのかを詳しく教えてくれた。
つまりは、繰り返されるループの中には、こちらの世界に到達できなかった絶対者が相当数いたのだという。それらの絶対者はタイムリープの影響を受けつつも、狭間の世界の波動の干渉によって、変質しながら存在し続けた。
狭間の怪物は、そんな変質して異常をきたした絶対者の集合体であるのだという。
エラー因子となったものは、すでに絶対者として機能を失っているものの、特異点を排除し、時を食らうという記憶だけを持って行動しているのだという。そして厄介なことに、エラー因子は過去を食うのではなく、現在を食らう。つまり、あいつがこの世界で跳梁し、この閉じ込められた時間から解放された場合、この世界にとどまって、現在を食い荒らす存在になってしまうのだと、トラオは説明してくれた。
「それって、どうなってしまうの?」
「現在が食い荒らされて、穴だらけになる。そして最後にはこの世界は針で突かれたシャボン玉のように弾けて、跡形もなく無くなってしまうだろう」
「そんな、何とかできないの?」
「俺の力では無理だ。波動を扱うミースケだけがあいつに対抗できる。エラー因子である狭間の怪物がこちらの世界に現れようとしている今、ミースケは全ての力を使ってあいつを葬ろうとするだろう。それはキョウコ、言うまでもなくお前のためにだ」
「私のために……あんなに酷いことを言った私のために?」
トラオは恭子の腕の中で、体を揺すって笑って見せた。
「あいつを舐めるなよ。あいつは筋金入りのキョウコのストーカーだ。お前の未来を手に入れるために必ず怪物を倒すに違いない」
「でも、出て行ったきり、今も行方知れずなんだよ」
「いいや、今も草葉の陰からお前を見守っているはずだ。ただ単に気まずくって顔を見せられないだけだよ」
付き合いの長いトラオには、ミースケのことが手に取るように解るようだ。
トラオの言うようにその辺りに潜んでいるのならば、早く謝りたかった。
「ミースケ、ミースケ」
返事がない。トラオが言っていることが本当なら、どこかで聞いているはずなのだが……。
「キョウコ、俺はこの後、忠雄の家に行ってくる。きっとどこかでミースケはお前を見張っているはずだから、心配しないで休んでくれ」
「うん。ありがとう。野村君のこと、お願いね」
「ああ、任せておけ」
キョウコの腕からピョンと飛び降りたトラオは、そのまま尾を立てて忠雄の家の方角に走っていった。
キョウコは周りを見回してミースケの気配を探る。
「ごめんね、ミースケ」
聴こえているかは分からないが、恭子は心からミースケに謝罪して家に入った。
部屋に入って、少しだけ窓を開けて、ミースケ専用のお椀に、キャットフードを入れておいた。
こうしておけば、お腹を空かせて帰って来たミースケが、すぐにご飯にありつける。顔を合わせ辛いのならば、私が部屋を空けている時に食べてくれたらいい。
恭子は、もう一つのお椀に水を用意して、そのまま階下のお風呂へと向かった。
ゆったりと汗を流してお風呂から上がった恭子は、部屋に置いておいたお椀の中身がそのままであったことに落胆してしまった。
「ミースケ……」
ため息混じりの声で名前を呟いた時に、携帯に着信が入った。
スマホの画面には美樹と表示されてあった。
キョウコはそのまま電話に出る。
「もしもし」
「恭子? なに部活サボってんのよ」
「いやー、ちょっと用事があって」
「試合の登録用紙、私が預かっておいたわよ」
そうだった。うっかりしていたが、今度の試合の登録用紙を提出しなければいけなかったのだった。
「ごめんごめん。忘れてた」
「忘れてたじゃないよ。持ってきてあげたから降りてきてよ」
「え? 来てるの?」
窓を開けると、美樹が自転車に跨ったまま手を振っていた。
恭子は慌てて、部屋着をジャージに着替えて外に出た。
「わざわざゴメン。明日でも良かったのに」
「なに言ってんのよ。出してないの恭子だけだよ。先生怒ってたわよ」
「あははは……」
用紙を受け取ったので、そのまま帰るのかと思いきや、美樹は恭子の部屋の窓を見上げて聞いてきた。
「ねえ恭子、せっかく来たんだし、ミースケを触らしてくんない?」
「えっ? いや、そうさせてあげたいんだけど」
「なによ、勿体つけちゃって」
「いや、ちょっと、昨日から家出してるみたいで……」
「は? 家出って、猫でしょ。その辺に出かけてるだけじゃないの?」
「とにかく今は家にいないの。ごめんね」
「そっかー、残念だわー」
猫目当てで来たようだ。まあまあ落胆した様子の美樹は、気を取り直して別のプランに切り替えた。
「せっかく来たんだし、ちょっとそこのコンビニまで行こうよ。ジュースくらい奢ってくれてもバチは当たらないよ」
「えー、もうすぐご飯だし」
「なによ。三十分くらいいいでしょ」
「じゃあ、ちょっとだけだよ」
押し切られて、仕方なく自転車を出してきた。
母親に少し遅くなるかもと声を掛けてから、美樹に続いてコンビニを目指した。
いつも通る河川敷の道を、二人の自転車は軽快に進んでいく。
涼しかった風の中に、いつしか僅かな夏の匂いが混ざり始めている。
少しずつだが、季節が変わりつつあるのを恭子は肌で感じていた。
河川敷の、いつもミースケと特訓している場所を通りがかった時に、恭子は猫の姿を見た気がした。
「あっ」
丁度上に架かる橋桁の陰になっていて判り辛いが、そのシルエットが猫であることははっきりと分かった。
恭子はブレーキを握りしめて自転車を停止させた。
「どうしたの? 恭子」
急ブレーキをかけた恭子を美樹は振り返る。
恭子は咄嗟に誤魔化した。
「ごめん。お財布忘れちゃった。すぐにとって来るから、先に行ってて」
「そうなの? じゃあゆっくり行っとくから、早く来てね」
「うん。わかった」
美樹が行ってしまったのを確認してから恭子は自転車を停めて、そのまま土手を駆け下りた。
「ミースケ!」
少し暗くなっている橋桁の陰に向かって、恭子は真っすぐに走って行った。
駆け込んだ橋の下には猫の姿があった。
しかし、それはミースケではなかった。
恐らく野良猫。見かけないシロクロの猫だった。
「ミースケじゃなかった」
落胆した恭子は、そのまま背を向けて自転車へと戻ろうとした。
「行かせないよ」
背後からの声に恭子は振り返った。
そして黒い鞭のような触手が、空気を切り裂くような音を立てて、迫ってきているのを目にしたのだった。




