第44話 少年の秘密
帰宅した恭子は、長い時間湯船に浸かったあと、夕食にほとんど手を付けずに部屋へと戻った。
明かりも付いていない部屋には、何やら話し込んでいる最中のミースケとトラオがいた。
窓を開けて入って来たようで、僅かな隙間から入ってくる風にカーテンが揺れていた。
照明を点けると、二匹の猫はその眩しさに目を細めた。
「聞いたよ。大変だったみたいだな」
ミースケから事情を聞いたらしく、トラオはいつになく真面目な感じですり寄って来た。
「心配するな。引き続きあいつのことは俺が見張っておいてやる」
「うん。ありがとう」
恭子が少年との未来を諦める決断をしたことで、あの怪物が少年を襲撃する理由は無くなった。それでも襲撃の矛先が自分ではなく、あの少年に向けられる可能性は否定できないだろう。邪魔者だと判断したならば、怪物は再び少年の前に現れるに違いない。
自分に関わることで、少年を傷つけてしまったことに対する後悔が、また恭子の胸を締め付けた。
「もっと早く、彼を諦められていれば、こんなことにならなかったのに」
ベッドに腰を降ろして、また涙を流し始めた恭子を、ミースケが慰めようとすり寄って来た。
「恭子のせいじゃない。あいつの策に嵌められた俺のせいだ。すまなかった」
静かに謝罪したミースケに、恭子は涙にぬれたままの顔を向けた。
「ミースケが戻って来るより前に野村君は私のピンチに現れた。前の蛇の時もそうだったけれど、これって偶然じゃない。ミースケ、あなた私に何か隠しているでしょ」
ミースケは表情を変えずに恭子に目を向けたまま、髭をわずかに振動させた。
その僅かな変化に気付いた恭子は、もう一度同じ問いを繰り返した。
「野村君のことで、ミースケは何かを隠している。そうなんでしょ」
真正面から問い詰める恭子の視線をスッと逸らして、ミースケは口を開いた。
「キョウコと忠雄はお互いに惹かれ合った。結果として今回のことが起こってしまった。それが全てだ」
「胡麻化さないで!」
その激しさに、二匹の猫の髭がビビビと揺れた。
「前回のループの時もそうだった。まるで接点のなかった私たちを、ミースケは意図的に結び付けようとしていた。そして今回も、あの怪物が動き出す気配を見せた時に、私達を特別な関係にしようとした。これは偶然なんかじゃなくてミースケが意図して介入したから起こったことなんでしょ。本当のことを教えて」
そして恭子は苦し気に胸を押さえて、こう問いかけた。
「もしかして、野村君が私に好意を持つようにミースケが仕組んだの?」
悲しそうな恭子の顔に耐えられなかったのか、ミースケは首を横に振った。
「そんなことはしないよ。忠雄がキョウコを好きになったのは、俺がこの世界へと現れるずっと前だ。それに関して嘘はないと誓うよ」
「でも、ミースケは何か隠しているよね」
「ああ、キョウコの言うとおりだよ」
もう避けて通れないと悟ったのか、ミースケは座り直して猫背の背中を少し正した。
「俺はキョウコを偽ったことは一度だってない。それは分かってくれ。ただ、伝えていないことがあるのはキョウコの言うとおりだ」
「それは、それは何なの?」
「キョウコの言うとおり、俺は君と忠雄を結び付けようとした。理由は二つある。一つはお互いが惹かれ合っているから、もう一つはそうすることがキョウコにとって最良の選択だったからだ」
「私にとって? どうゆうこと?」
「それを説明する前に、あの少年のことを話しておこう。繰り返すループの中で、あの少年はキョウコを想い続け、二人はお互いに惹かれ合い特別な関係を築いていった。だが、ループを繰り返すうちに向こう側の絶対者や、あのエラー因子である狭間の怪物が現れるようになった。そして少年は特別な力を発揮したんだ」
「特別って、野村君が?」
「ああ、最初に向こう側の絶対者が現れた時、少年は盾になってキョウコを守った。たまたまそこに居合わせて勇気ある行動を起こしたのだと俺も最初は思っていたんだ。しかし……」
ミースケの口調で、話がこれから核心に触れようとしていることを恭子は感じ取った。
「それからもキョウコが本当にピンチに陥った時に、何故か少年は必ずそこに現れてキョウコの命を救った。特異点の俺が干渉しているせいで、毎回違う出来事が起こっているのにも拘わらずだ。そして俺はこの不思議な現象の結論に行きついた」
「一体それは何なの?」
「キョウコ、あの少年、野村忠雄は超能力者だ。しかもとびきりユニークな」
突拍子もないミースケの言動に、恭子は少し眉をひそめた。
しかし、ミースケは真剣な口調で話し続けた。
「タイムリープによって他の人間たちと同じく、少年も記憶を喪失しているのは間違いない。しかし、あいつは全てのループで、キョウコに誓った言葉を忠実に守り、行動して見せた。恐らくあいつは、本気で願い、それを言葉にすることで、それを叶えてしまう能力を持っているのだと思う」
「願いを叶える超能力……信じられない……」
「波動を扱える俺達のことだって、きっと誰も信じてくれない。忠雄は全く何の自覚も無く、その超能力を行使して、キョウコを守り続けてきたんだ」
「それで、ミースケは盾にしようと野村君を、私に近付けようとしていたのね」
唇を噛みしめて、恭子は感情を押し殺しながら最後の質問をした。
「繰り返されてきたループの中で、野村君がどうなったか教えて」
ミースケは目を大きく見開いたまましばらく沈黙した。
やがて開いた口から、恭子が聞きたくなかった真実がはっきりと告げられた。
「すべてのループで、忠雄はキョウコの身代わりになって死んでしまったよ」
告げられた真実に、恭子は眼を閉じて奥歯を噛みしめた。
両の拳を強く握り、その耐えがたい痛みに体を震わせていた。
大粒の涙をたくさん流して、恭子は声を上げて泣いた。
ミースケはそんな恭子に、慰めの言葉を掛けようとすり寄ろうとした。
そして……。
「人でなし!」
怒りに声を震わせながら、恭子はミースケを睨みつけた。
「彼が死んでしまうことを知っていて、私の身代わりにしてきたなんて、酷い、酷過ぎる……」
「キョウコ、俺は……」
「出てって!」
弁解しようとした言葉を、恭子は拒絶した。
「出ていきなさいよ! あんたの顔なんかもう見たくない!」
「キョウコ、気持ちは分かるが、とにかく落ち着け」
「あんたみたいな獣に、人の気持ちなんて分かるもんか!」
ミースケの蒼い瞳が大きく見開かれた。
そしてミースケはそのまま恭子に背を向けた。
「すまなかった。キョウコ」
そして、僅かに開いていた窓からミースケは出て行った。




