第41話 二つの対決
恭子がカトリーヌに足止めを食わされていた頃、ミースケはいち早く講堂に駆け付けていた。
蹴りだす脚に波動を乗せて走れば、ミースケは弾丸のように移動できる。
講堂に残っていた人の中に忠雄の姿が無いことを確認し、ミースケは再び外に飛び出した。
そして波動を乗せた跳躍で、一気に三階建ての校舎の屋上まで跳び上がった。
「どこだ。どこにいるんだ」
ミースケは超感覚を総動員して、その存在を探り始める。
目を閉じて、耳を小刻みに動かしていたミースケが、突然ビクリと何かに反応した。
そしてその蒼い目を、灰色の雲が広がる空へと向けた。
「そこから来るのか」
空を旋回していた黒い影。カラスのように見えたその飛翔体はそのまま高度を下げて、ミースケのいる屋上に着地した。
カラスではない。もっと不完全な何かだ。
精巧な擬態が出来ないせいで、お粗末なカラスもどきのような姿にしかなれなかった。まさにそんな印象だった。
擬態がお粗末なせいで、飛行するのが精いっぱいだったのであろう。着地したカラスもどきは、すぐに姿を変異させ始めた。
戦闘に適した姿に変異し終えるのに数秒を要した。
ミースケは二本足で立ち上がり、独特の構えを作った。
怪物が選択した戦闘用の姿は、身の丈一メートルほどで、形容しがたい不気味な姿だった。
体はネコ科のそれであったが、頭部だけが三つに分かれている。その一つ一つがアメーバーのように形を変え、攻撃を繰り出す触手へと変化していた。
ミースケは間合いを詰めてこようとする異形の怪物に、予備動作もなく波動を打ち出した。
怪物はすんででかわしたが、至近距離からなら間違いなく命中していたであろう。
ミースケは一気に間合いを詰めた。
脚に乗せた波動は、ミースケをまるで弾丸のように変える。
波動を纏ったミースケの蹴りは、怪物を簡単に弾き飛ばした。
触手を伸ばす暇すら与えない圧倒的な攻撃に、怪物は逃げ惑うばかりで、まるで太刀打ちできていなかった。
追いかけっこに飽きたミースケは、波動の鞭を肉球から出現させ、空中に跳びあがった怪物めがけて放った。
波動の鞭があっさりと怪物の胴体に巻きついたのを見届け、ミースケは自分の体を軸にしてブンブン相手を振り回した。
怪物を屋上の入り口の壁に勢いよく叩きつけると、怪物の動きが止まった。
ミースケはそのまま跳躍して、必殺の一撃を打ち出す。
ドン!
波動に貫かれた怪物は、横っ腹に大穴を空けられて完全に動かなくなった。
そして腹に開いた大穴の中に怪物の体が吸い込まれていく。
「キーーーーーッ!」
金属的な悲鳴を上げて、怪物の体は跡形もなく消えてしまった。
ミースケはついでに破壊してしまった屋上の壁に目を向けて、顔をしかめた。
「キョウコには黙っとこう」
そう呟いて、屋上の縁まで行ったミースケは、風に揺れる長いひげをピクピクと揺らした。
「あいつが空にいたということは、忠雄は無事どこかにいるはずだ。キョウコは俺の後に講堂に向かったはずだよな……」
ミースケのいる屋上からは講堂が一望できた。俯瞰していたミースケは突然その蒼い目を大きく見開いた。
「まさか。そういうことなのか……」
屋上上空で旋回していたあの怪物。
この大学の施設は大きな窓が多い。ここからなら、講堂からカトリーヌのいた渡り廊下までの全貌が見渡せる。
「全てを見通せていたということか」
ミースケは屋上から地上まで一気に跳躍した。
「キョウコ!」
そしてミースケは弾丸のように走り出した。
ミースケが怪物と対峙していた時、恭子も異形の怪物と向き合っていた。
トイレの入り口に現れた異形のものは、次第に膨れ上がって、大柄な男くらいの大きさになった。
丁度、唯一の脱出口を塞いだような形になった巨大な猫の姿に変貌した怪物は、両腕を上げて、その先端を恭子に向けた。
この状況下では、選択肢は一つに絞られてしまったといえるだろう。
背後には窓はあるものの、かなり間口が小さい。何とか潜り抜けられないでもない大きさだが、とてもそこからすんなりと逃げ出せる感じではなかった。
闘うしかない。
カトリーヌを背にした時点で、恭子はそう覚悟していた。
自分が盾にならなければ、カトリーヌは怪物の触手に貫かれるだろう。
攻撃を防ぎつつ時間を稼ぎ、窓からカトリーヌを脱出させてから、反撃を試みる。上手くいけばミースケが気付いて加勢してくれるだろう。
恭子は狭いトイレをじりじりと後退しながら、背後のカトリーヌに声を掛ける。
「後ろの窓から逃げて。私はあいつをここで食い止めておくから」
「食い止めるって……なんだか様子がおかしいけど、あいつはクロードよ。きっと私に危害なんて加えないわ」
「いいえ。あいつはもう如月さんの知っているクロードじゃない。浸食されて変わり果ててしまった怪物よ」
目の前の現実を受け容れられないカトリーヌは、真っ赤な目を光らせる怪物に向かって語りかけた。
「クロード、これって冗談か何かよね。気味の悪いこと言ってないで早く帰りましょう」
その語りかけに応えたのは鋭い触手の一撃だった。
恭子は咄嗟に掌に集めた波動で、その一撃を跳ね返した。
「早く逃げて!」
両手から連続で繰り出される無数の触手を、恭子の波動の盾は防いでいく。
前回のループとは比較にならないほど、恭子は波動を扱えていた。
熾烈さを増す怪物の攻撃に対応する恭子の背後で、恐怖に囚われたカトリーヌは窓を全開にして必死で抜け出そうとした。しかし慌てていたのか、背負ったままのリュックがつかえて、そこで動けなくなった。
「片瀬さん、助けて!」
しかし、波動の盾で攻撃を塞ぐのが精いっぱいの恭子には、振り返る余裕などない。
怪物の方を向いたまま、金切声を上げるカトリーヌに片手を伸ばし、手探りでリュックの紐を探し当てると波動のナイフで切断した。
「紐を切ったからそのまま逃げて!」
カトリーヌに意識がいった僅かな隙に、槍のような触手の先端が恭子の脇を通り抜けた。
その切っ先が真っ直ぐにカトリーヌの背後に迫る。
「ダメーッ!」
振り返った恭子は大きく目を見開いた。
カトリーヌの体を貫いたはずの触手は、その寸前で軌道を変えてタイル張りの壁に突き刺さっていた。
いったい何が起こったのだろう。
一瞬だけ気を取られてしまった恭子の心臓に、次の触手が迫って来ていた。
まるでスローモーションのように、真っ黒な槍の先端が伸びてくる。
波動の盾は間に合わない。
死を覚悟したその時だった。
「やめろ!」
絶体絶命のこの場面で、絶叫のような声を上げて飛び込んできた人影が、怪物の背後から体当たりを食らわしていた。
そう、再びあの少年が、少女を救うべく姿を現したのだった。




