第4話 キジトラ復活
学校から戻るのを待っていたかのように、自室に入ってきた恭子を出迎えたミースケは、手を上げてハイタッチを求めてきた。
「上出来だったな。キョウコ」
「うーん。すっきりはしたけれど、素直に喜んでいいものかどうか……」
最初の決定的なイベントをほぼ完ぺきに再現してしまったことで、このあとに続くイベントは繋がっていくだろう。
悲惨な結末の待つ未来へ向かわないよう、彼を自分から遠ざけるという決心をしたばかりなのに、この有様だった。
「ちょっと自己嫌悪。でも野村君を助けられて良かった」
「そうだ。いいぞキョウコ。若いうちは色々悩むもんだ」
今まで永遠のような時間を繰り返し生きてきたミースケは、時々金言を口にすることがある。
恭子自身は前回のループは記憶してはいるものの、それ以前のタイムリープについては覚えていなかった。
つまりは記憶を保持し続けているミースケには、恭子の及びもつかない圧倒的な経験値があるわけだ。
恭子は自分の知らないループ中に、自分とミースケと間にどのようなやり取りがあったのかと想像してみた。
「ねえミースケ、今日不良をボコボコにしてた目にも留まらぬ猫パンチってさ……」
「ああ、マシンガンキャットブローのことだろ」
「あれってもしかして、名前を付けたのって私なの?」
「ああ、そうだよ」
「やっぱり……」
前回のループの時に、おバカなネーミングセンスだと笑い飛ばしていたが、どこかのループ中に恭子自身が名前を付けていたみたいだった。
「じゃあ、車を弾き飛ばしたあれも?」
「ニャンコボンバーだろ。俺の技はみんなキョウコが命名したものだよ」
「ですよねー。どおりで間抜けな感じだと思った」
自分で言ってから、そのセンスに苦笑しか出てこなかった。
「他にもあるぞ。波動を纏うのはニャンコアーマーだろ。波動を弾ませるのはバウンシングキャットアタック。そんで、一撃必殺の超火力砲は……」
「待って。それ当てさせて。あの最後に怪物の胴体を吹き飛ばしてたやつね。えっと、あれでしょ。キャットボムとかでしょ」
「惜しいっ! 正解はウルトラニャンコ波動砲だよ」
「ひどいネーミングね……」
かつて自分が命名したその残念な名称に後悔しつつ、恭子は今真剣に向き合わなければならない、この先のことにまた頭を悩ませる。
「野村君のこと、ミースケも一緒に考えてくれる?」
「勿論さ。考えるから喉の下を撫でてくれよ」
膝の上に乗って来たミースケは、おねだりするように恭子の掌に顔を擦り付けてきた。
どうしても我慢できず、衝動的に忠雄を助けた恭子は、悲惨な未来を回避すべく違う方法を模索し始めた。
これから起こる未来が分かっているのならば、先回りして原因となる空間のほころびを塞いでしまえばいい。
そうすれば、あのトラオと同じあちら側の絶対者も現れないし、そのほころびを利用して現れる狭間の怪物にも出くわすことは無いわけだ。
いつものように毛づくろいをするミースケに、そのことを相談してみたところ、あっさりとそれは出来ないと返って来た。
「どうして? 未来の分かっている私たちなら、これからできるあのほころびを先に何とかできたりしないの?」
「そのことなんだが、事情があってそれはできないんだ」
「事情って?」
聞き返すと、膝の上で顔を上げたミースケが姿勢を正して、その蒼い目を恭子に向けた。
「記憶のことさ。昨日話したけど、ループ中に繰り返し闘ってきた向こう側の絶対者は、記憶を保持することができるんだ」
「そうか。そんなこと言ってたね」
「ああ、トラオの話では次のタイムリープ前に波動で撃退してきたのでこちらでの記憶は残っていないらしい。だが、繰り返し失敗しているのだけは理解しているらしくて、毎回あの穴の場所を変えてくるんだ」
その説明を聞いて恭子はすぐに思い当たった。
「だからわざわざ変な所に空けてくるんだね。この前あのビルの壁に穴を作ったのは、あちら側の世界でループを繰り返しているあいつがあのビルが取り壊されることを知っていたからなんだね」
「いいぞキョウコ。そいうことだ。あの穴に関して俺達が知っている未来はあいつらには通用しない。つまりは俺達があいつらの先回りをするのはまず不可能なんだ」
「そうかー、そうだったんだね」
この世界に進入してくる向こう側の絶対者は、こちら側に気付かれない場所に小さなほころびを作り、それを広げてやってくる。
後手に回ることしかできない自分たちは圧倒的に不利だった。
「ねえミースケ。トラオはあいつらの動きを感じ取ることができるんだったよね。まだ穴が小さいうちに見つけて塞いだら、向こう側の絶対者も、あの狭間の怪物もこっちに出てこれないんじゃないの?」
「それがそう簡単にはいかないんだ」
表情はそのままだが、ミースケはやや苦々し気にそう口にした。
「その辺は俺が説明するより、トラオに聞いた方が早い。どうやらいいタイミングで来たみたいだ。開けてやってくれ」
窓の外を見ると、トラオが黄緑色の目を恭子に向けていた。
窓を開けてやると、トラオは元気よく「にゃーお」と鳴いて部屋に入って来た。
「トラオ、無事だったんだね」
「ああ、キョウコ。無事といわれれば微妙なとこだけど、タイムリープで復活を果たして今はこのとおりさ」
すり寄って来たトラオを抱いてやると、すかさずミースケが毛を逆立てた。どうやら嫉妬しているみたいだ。
恭子はトラオをミースケの隣に降ろして、聞きたいことを尋ねた。
「じゃあ、あれからトラオはやられちゃったってこと?」
「恥ずかしながらそうゆうこと。なんせおかしな波動を操る奴だから、たちが悪いんだ」
「ふーん」
恭子は元気そうにペラペラ喋るトラオに、あの壁の穴について聞いてみた。
「ねえトラオ、前回ってさ、あの壁の穴を見つけて案内してくれてたよね。今回はあいつがこっちに出てくる前に塞いだりできないかな」
「ああ、そのことか。俺はあいつらの気配を感じ取れるけれど、そこまで正確な位置を割り出せるわけじゃない。俺のアンテナに引っ掛かってから、いつもこの足を使って穴の位置を探しているわけだよ」
「そうかー。地道な作業だったんだ。トラオも結構苦労していたんだね」
恭子が労ってやると、トラオはやっと分かってくれたかと言わんばかりに猫背の背中を伸ばして胸を張った。
「そうだぞ。俺はキョウコやそこの特異点のためにずーっと頑張ってきたんだ。毎晩キョウコの布団に入れてくれてもバチは当たらないと思うぞ」
「私はいいけど、ミースケがね……」
ミースケは気にくわないらしく、やや背中の毛を逆立てている。
そこは絶対に譲歩する気は無いらしい。
「えっと、じゃあトラオの寝場所のことは置いといて」
「置いとくのか? もっとまじめに考えてくれよ」
「ごめん。取り敢えず、その穴のことなんだけど……」
そして翌日の朝。
恭子は二匹の猫を、狭い自転車の前かごに乗せて家を出た。
「もうちょっとそっちに詰めろよ」
「おまえこそ、ちょっとは遠慮しろよ」
早速ミースケとトラオは、自転車の籠の中で揉め始めた。
そんな二匹の猫背の背中を見ながら、恭子は自転車をこいでいく。
今日は土曜日だ。
前回の同じ日は特に何もすることなく、家でダラダラと過ごしていた。
しかし、今回の恭子は違った。
あのあとトラオから聞いた話の中に、ちょっとした希望を恭子は見つけてしまったのだ。
トラオが言うには、怪物は穴を突然にあけてやってくるわけでは無いらしい。
この世界と向こうの世界の境界は、そんな簡単に破ってこられるような生易しいものでは無く、それはそれは想像を絶するような重労働であるらしい。
ほころびを大穴にしていくエネルギーは、小さな孔から確実に漏れ出し、接近さえできれば検知できる可能性があるとトラオは言ったのだ。
そしていま、恭子はトラオのアンテナを信じて、次に穴を開けて侵入してきそうな場所を周っていた。
トラオの予想ではこの町の、今まで穴を作ったことの無いどこかだというのだ。
地図は頭の中に入っているらしいので、恭子はトラオの言うがまま、自転車を走らせたのだった。
「トラオ、しっかりアンテナ張っててね」
「おう。任せとけ」
穴は最初、針の孔ほどの大きさから始まり、最終的に怪物が何とか入って来れるだけの大きさまで広がっていく。
そしてまだ大きく広がりきっていない穴をもし見つける事が出来たなら、相手が侵入してくる前に空間を修復し、こちら側に入ってこれなくすることも可能なはずだ。
相手の侵入前に穴を塞ぐのに、今まで一度も成功したことは無いらしいが、力を合わせればきっと何とかなる。恭子はそう信じてペダルをこぎ続けた。
朝から夕方まで自転車を走らせ続け、トラオの指示したポイントを大概周り終えた。
茜色の空の下、結局空振りに終わった一日にやや肩を落としながら、恭子はペダルをこいで帰路についていた。
「あー疲れた。疑うわけじゃないんだけど、ちゃんとアンテナ張ってくれてたんでしょうね」
「……」
「ねえトラオ。ちょっと聞いてる?」
自転車を停めて覗き込むと、二匹とも座ったまま熟睡していた。
「寝てるじゃない!」
ドッと疲れた恭子は、お互いにもたれ掛かりながら眠っている猫たちにぶつくさ言いつつ、また自転車をこぎ出した。