第28話 体育祭1
恭子の通う県立中学は、五月末に体育祭が開催される。
ループ前の記憶を持つ恭子にとっては、中学二年生で二度目となる体育祭だ。
予め勝敗の結果を知っている行事ではあったが、恭子はやる気をみなぎらせていた。
特に力を入れていたクラブ対抗リレー。
女子の部では前回のループで、女子ハンドボール部に僅差で敗れていた。
順位でいくと、一着は陸上部。二位はソフトボール部。そして三位がハンドボール部だった。
屈辱の四位で苦汁を舐めさせられた水泳部だったが、一年を待つことなくリベンジのチャンスが巡ってきたわけだ。
恭子は前回の敗因を事細かく分析し、既に勝利への方程式を組み立てていた。
水泳部とハンドボール部ではトータルの走力はほぼ互角。つまりはバトンを繋ぐ技術で、相手に軍配が上がっただけだ。
そして前回のリレーでは、恭子のバトンがアンカーの美樹に今一つ上手く渡せていなかった気がしていた。
その反省を活かし、受け渡しの精度を上げてアンカーの美樹にバトンを上手く渡せたら、今度こそハンドボール部に土をつけることが出来るかも知れない。
「やってやろうじゃないの!」
恭子は鼻息荒く拳を突き上げた。
「まだやるの? もういい加減にしとこうよ」
グランドの隅で、延々とバトンの受け渡し練習に付き合わされている美樹が、うんざりしたような声を上げた。
午前中のプログラムの空き時間に、恭子はリレーメンバーを集めてしつこくバトンの受け渡しを練習していた。
やたらと燃えているのは恭子だけで、美樹を含めた二年生の三人は、もう解散したそうな顔で練習に付き合っていた。
そのうちに、ダッシュを繰り返して息が上がって来た美樹が、バトンを手にへたり込んだ。
「ねえ恭子。そろそろやめない? リレーで勝てたとしてもせいぜい三位が関の山だって。水泳部なんだしプール以外でそこまで頑張んないでもよくない?」
「なに言ってんの。表彰台に上がりたくないわけ?」
「まあ、できれば上がりたいけど、しかしあんたのそのやる気はどっから来るのよ……」
やたらと前向きでエネルギッシュな親友に、美樹は眉をハの字にして困り顔を見せた。
それでも美樹は立ち上がって恭子にバトンを手渡した。
「勝ったらなんか奢ってよ」
「いいよ。牛乳奢ったげる」
「牛乳かー」
それでもちょっとは元気が出た。
再開した練習に、少女たちは青春の汗を流すのだった。
午前中の競技が終わり、お昼休憩に入った。
強い陽射しを避けるように張られたテントの下に観覧席があり、そこに恭子の両親の姿があった。
前回のループでは観に来ていなかった両親が、どうゆうわけかここに来ている。これも恭子が前回と違う行動を毎日のように行っているせいで、その余波がこうして現れているのだろう。
「お疲れ、恭子」
手を振って声を掛けてきたのは恭子の母だった。
父親もその横で軽く手を振っている。
恭子は二人に手を振りつつ苦笑する。
「やっぱり来たんだね。お父さんもお母さんも、それと……」
恭子は父親の膝の上に鎮座しているモフモフに目を向ける。
「ミースケも一緒だったんだ……」
そこにいるのが当然であるかのように、ミースケは父親に抱かれていた。
「いやあ、家を出るときについてきたんだよ。まるで我々が体育祭を観に行くって知ってるかのように」
うん。ミースケは知ってたよ。昨日話したし。
口には出さなかったが、ミースケが確信犯であることは間違いない。
学校に堂々と来て、弁当を食べてやろうと計画していたのだろう。
このところ暇を持て余しているミースケにとって、丁度いい機会だったに違いない。
「恭子はお弁当、教室で食べるんだったわね」
「うん。生徒はみんな教室」
「じゃあこれ持ってきなさい」
そう言って母が持たせてくれたのは大福だった。
「甘いもの、元気が出るらしいわよ。午後からすぐ走るんでしょ」
「うん。クラブ対抗リレー。絶対三位になってやるんだから」
「三位? 一位じゃなくって?」
何だかショボい、娘の三位宣言に、父も母も不思議そうな顔をした。
「あのね、うちは水泳部なの。陸上で鍛えている他の部相手に三位は凄いことなの。そこの所分かってよね」
「そうか。じゃあお父さんミースケと一緒に応援してるからな。ビデオも持って来たから家でまた一緒に観ような」
「うーん、ビデオはちょっとNGなんだけど、まあいいや。じゃあお昼から三位になれるよう頑張って来るね。ミースケも応援しててね」
手を振るとミースケは器用にパチリとウインクしてみせた。
恭子はそのままグラウンドを抜けて、そのまま体育館裏の給水機に直行する。
いつもけっこう空いているこの給水機は恭子のお気に入りだ。
リレーの練習をしっかりしたせいで、乾いていた喉を潤す。
「ふー」
たっぷり飲んで、濡れた口元を吹いた時に、背中に視線を感じた。
恭子の脳裏に、以前ここで襲撃にあったことが甦った。
サッと振り返った恭子はすぐに表情を崩した。
「なんだ、トラオか」
そこにはキジトラのトラオがいて、弟分のクロを連れて恭子を見上げていた。
「今日はクロも一緒なんだね。こんな人の多いときに来て、どうゆう風の吹き回し?」
「まあ、あれだよ。暇だったし、こいつを連れて人間観察みたいな……」
「人間観察? 体育祭で?」
何だかそわそわしているトラオに、恭子はピーンと来た。
「そっか。しっかり人間観察していきなよ。クロはいっぱい覚えないといけないことあるみたいだもんね」
「そうなんだ。まあこういったことも必要なわけだよ」
「あのさ、私、昼からリレーなんだ。トラオとクロもミースケと応援してよ」
「フーン、リレーか、キョウコの他には誰が走るんだ?」
「私は三番手でアンカーは美樹なの」
美樹の名前が出たところでトラオの耳がピクリと動き、髭がビビビと震えた。分かり易い奴だった。
「じゃあ、キョウコが走ることだし、俺も応援しようかな……」
「ホント? じゃあ美樹にもトラオが来てるって言っとくね」
「いやいやいや、それはいいって。ちょっと見物して帰るだけだからさ」
「そう? トラオがいるって知ったら美樹だって頑張ると思うけどなー」
探るような恭子の視線をスッとそらして、トラオはそのままスタスタと背を向けて歩き出した。
相思相愛か?
ちょっと面白くなってきたと恭子はほくそ笑む。
「ねえキョウコ」
声を掛けて来たのはクロだった。
色々学んで言葉も普通に話せるとトラオから聞いてはいたが、実際に声を聴くと少し新鮮だった。
「なあに、クロ」
「他にもリレーはあるのかい?」
「あるわよ。私たち体育会とは別に文科系の部活も走るわ。そのあとにクラス対抗リレーもあるし」
「そうか。じゃあ、キョウコのクラス全員が走る競技もあるんだね」
「うん。トラオたちと観ていってよ」
「そうだね。そうするよ」
トラオが行ってしまった校舎の裏にクロもそのまま駆けて行った。
その姿を見送ってから、猫三匹が並んでリレーを観戦している姿を思い描いて、恭子は思わず吹き出しそうになった。




