第27話 過ごした時間の記憶
放課後に起こった特別なイベントを終えた恭子は、ミースケを抱いたまま夕日に彩られた住宅街を通って帰路についていた。
猫を抱く恭子の顔はやや紅潮し、誰の目にもそれと分かるくらいに緩んでいた。
先ほど起こった思いがけないアレは、思春期の少女には手に余る大イベントだったに違いない。
余韻が冷めやらない恭子の顔を見上げるミースケは、人間のようにはあまり表情が豊かでは無いものの、何だか少しつまらなさそうな顔をしていた。
「フッ、フフーン」
先程から鼻歌を歌い、上機嫌な恭子を、ミースケは顔を上げて見つめる。
ようやくひと気のない通りに入った時に、待ちかねていたようにミースケが口を開いた。
「楽しそうだな。キョウコ」
「そりゃあもう。あんなことがあったんだもん」
「そうだろうけど……ハーー」
ため息をついて見せたミースケに、恭子は首を傾げる。
恭子の恋路を応援しているミースケが、ため息をつく理由が思い当たらなかったからだ。
「どうしたの? なんだか浮かない顔ね」
「いや、俺だって喜んでるさ。野球に例えるなら、今日のはヒット狙いで振りぬいた球が、ホームランになった感じだったし」
「ふーん、じゃあ、もっと喜びなよ」
「俺だって、もっと大はしゃぎしたいよ。それなのに……」
「それなのに?」
軽く聞き返した恭子に、腕の中のミースケはとうとう爆発した。
「あそこまでいっといて、なんでお前たち二人とも告白しないんだよ!」
「いやあ、それはその……」
抱きしめられて抱きしめ返した。
そこまでいったのにも拘わらず、そのあと二人は、お互いの顔もまともに見れないまま、手を振って分かれたのだった。
そのむず痒いようなじれったさに、間近で見ていたミースケはキレたのだった。
「信じられん。全く、どんな頭の中してるんだよ」
「へへへへ」
「ハーーー」
また溜め息を吐いたミースケを抱いて、恭子は河川敷に出る階段を駆け上がる。
帰りに波動の練習をしようと、ミースケと約束していたからだ。
開けた河川敷に出ると、夕日に照らされた金色の流れが、遠くまで見通せた。
煌めく川の流れに、恭子は大きく目を開いて、とても自然に「きれい」と口にした。
眩し気に目を細めたミースケも、その光を反射する水面に目を向けて「ほんとうだ」と応えた。
「ねえ、ミースケ、今日は何を教えてくれるの?」
「そうだな、キョウコにまだ教えていないことって何だったかな」
「あれは? 必殺技のウルトラニャンコ波動砲」
「ああ、あれな、アレを打つと疲れるんだ。体内に貯めてある波動を全部打ち出すからな。きっとキョウコならぶっ倒れて動けなくなる」
「そうなの? そんなに疲れる技なわけ?」
「ああ、ここであれはやめとこう。キョウコを家まで運ぶのは手間だろうしな」
「練習できない技ってわけだね。ちょっとやってみたかったんだけど」
いつもの川辺に降りてミースケを降ろしてやると、周りにひと気のないことを確認してミースケが二本足で立ち上がった。
「今日は波動を棒状にして扱う技を伝授するよ。これはちょっとカッコいいんだ」
「えっ? なになに、どんなの」
「フフフフ」
口元を吊り上げて笑い顔を作ったミースケは、波動の流れを右手に集めて「フンッ」と気合を入れた。
するとミースケの腕の延長線上に光の棒が現れた。
「おおっ!」
恭子はその場で拍手した。
そのミースケの出した光の棒は、まるでSF映画の剣術使いが手にしていた何とかセイバーのようだった。
「ミースケ、カッコいい。まるで宇宙をまたにかけて戦う騎士みたい」
「フフフ。そうだろ。波動と共にあらんことを。なんてな」
「キャー、カッコいい。それ私にも教えて」
映画の台詞を真似したミースケに、恭子は目をキラキラさせておねだりした。
チョット誇らしげなミースケはやや師匠っぽく語りかける。
「簡単には習得できない技だぞ。そなたにこれを極める覚悟があるか?」
「ありますあります。だから早く教えて」
「ふむ。ではそなたにこの奥義を授けるとしよう」
そしてミースケは恭子の横に並んで、やり方を説明した。
「フーン。じゃあやってみるね」
恭子は右手を突き出して構えを作ると、フンッと気合を入れた。
するとあっさりと光の棒が出現した。
「あれ? 出来ちゃった」
「ホントだな。流石キョウコだ」
恭子は手から伸びた光の棒をブンブン振ってみた。
その辺に伸びている雑草を横に薙ぎ払うと、スパッと両断された。
「ワッ! すごい切れ味」
「波動を刀状に固めたからな。キョウコの剣でも雑草くらいは両断できる。ちなみに俺の剣なら……」
ミースケはスタスタと歩いて、そこそこ大きな石の前で右腕を振り上げた。
そして軽く振り下ろした光の剣は、硬そうな石をスパッと両断した。
「すごい。ミースケ、カッコいい」
「フフフ。まあこんなもんさ」
それから恭子とミースケは、河川敷で目についたものを色々斬って回った。
チャンバラ遊びもやってみたかったが、ミースケに刀の錆にされそうなので控えておいた。
夕日が半分落ちて、恭子とミースケの影を長く伸ばす。
水筒の水をッコップに注いでやり、カラカラに乾いた喉を二人は潤した。
夕日の射し込む土手に並んで座って、恭子はミースケに目を向ける。
「今日も楽しかったね」
「ああ。楽しかった」
「ねえ、ミースケ、今日の技ってやっぱり名前があるの?」
「ああ、ニャンコセイバーって言うんだ」
「それも私がつけた名称なんだよね」
「ああ、そうだよ」
軽くこたえたミースケに、恭子は少し残念な顔でクスリと笑ってみせた。
「私、ネーミングセンスなさすぎだよ」
「そうか? 俺は気に入ってるけど」
「ミースケはそうかもだけど……」
言葉の途中で、恭子はハッとしてミースケの顔をじっと見つめた。
「ひょっとして今日の技って、繰り返しのループの中で私、習得していたの?」
「やっと気付いたか。そうだよ。繰り返すループの中で、俺は自分の持てる全ての技をキョウコに伝えてきた。つまりはまだやったことの無い技なんてもう無いんだ」
「何でもいきなり出来ちゃうのは、それを体が憶えているからなんだね……」
「いつかキョウコも全てを思い出す時が来るかもしれない。俺と過ごした全ての時間を思い出すことができたなら、師匠の俺を超える波動マスターになるかも知れないな」
「ミースケと過ごした全ての時間……か」
そのうちに陽が落ちて、高い空に星が瞬き始めると、ミースケがぴょんと恭子の腕に飛び込んできた。
「抱いて帰って欲しいの?」
「うん。ちょっと疲れたんだ」
「うそ。甘えたいだけなんでしょ」
「……」
何も応えず、恭子の腕の中でミースケは幸せそうに目を閉じた。
「ミースケは本当に甘えんぼさんだね」
日の落ちた河川敷の道。
家路を辿る少女は、何度も反芻した少年の感触と猫の温もりを抱いて、ゆっくりと歩みを進めるのだった。




