第22話 トラオの純情
あっという間に四月も終わりにさしかかり、恭子にとっては中学二年で二度目のゴールデンウイークに入った。
先にあの絶対者の作った穴を塞いでおいたおかげで、心置きなく連休を満喫できる。恭子は自転車の前籠にミースケとトラオを乗せて、美樹と待ち合わせた公園に向かっていた。
「お待たせー」
先に到着していた美樹に声を掛けると、前籠に乗っている猫二匹に、いきなり興奮しだした。
「やった。猫三昧だ」
「猫三昧って……えっと紹介するね。うちのミースケだよ。まだうちに来てから一か月も経ってないの」
「へー、ハチワレ猫かー。滅茶苦茶可愛いじゃないの」
「にゃー」
「あっ、返事した。お利口さんだねー。よしよし」
早速美樹はミースケを撫でまわす。
その様子に、緑色の眼を向けるトラオはなんだか不機嫌そうだ。
ひょっとしてジェラシー?
飄々としているくせに実は人恋しいトラオは、美樹をミースケに取られて苛立っているみたいだ。恭子がトラオを撫でたりした時にミースケが本気で怒るのと同じ感覚なのだろう。
そのトラオの雰囲気を察して、恭子は気を利かせてやる。
「美樹、お気に入りのトラオが待ってるよ」
「おおー、トラオ。今日も男前だねー」
美樹はズッシリとしたトラオを籠から持ち上げると、その腕に抱いて頬ずりした。
「うーん。お日様の匂いがする。たまんない」
「あのさ、トラオは野良猫で、いっつもその辺で寝てるんだけど……」
恐らく風呂に入ったことの無いトラオはかなりばっちいはずだ。
しかし美樹は気にならないのか、平気で顔をくっ付けて愉しんでいる。
野良猫に寛容な美樹はトラオのベストパートナーなのかも知れない。
好きなだけ美樹に猫を撫でまわさせてあげてから、恭子はミースケを、美樹はトラオを前籠に乗せて、そのままサイクリングに出掛けた。
前回のループではこういったイベントが起こっていない。
ゴールデンウイークに入った今日、美樹に猫と絡みたいとお願いされてこうして出かけている。
猫を籠に乗せてのサイクリングに盛り上がる親友を眺めながら、恭子は新鮮な気持ちで自転車を走らせる。
何だか気持ちいい。
前籠で揺られるミースケが振り返る。
器用に笑みを浮かべたミースケに、恭子は太陽のような明るい笑顔を返して、木漏れ日の降り注ぐ緑道を進んでいった。
休日で賑わう緑地公園に現れた猫を散歩させる少女二人に、大勢の人が脚を止めて好奇の目を向けた。
犬のように猫を散歩させる姿など滅多に見れるものではない。
犬を散歩する人が道を譲ってくれるくらい、二匹の猫は目立っていた。
「おお、なんだか注目されてない? わたし今、ひそかに優越感を味わってるんだけど」
トラオの後ろを歩く美樹は、頬をやや紅潮させて満足げだ。
「そう? 私はちょっと恥ずかしいかな。目立ち過ぎっていうか」
普通の猫なら、こんなに大勢の人がいる場所で堂々とブラブラ散歩したりはしないだろう。おまけに犬を散歩させている人も結構多い。衝動的に犬が向かってくる可能性を考えれば、こういった場所に猫を連れてくるべきではない。
その点に関してはこの二匹は別格だ。むしろ向かってきた犬は百パー返り討ちに合うはずなので、そちらを心配しないといけない。
それと、可愛いと近寄ってくる子供やお年寄りたちを、猫どもが張り倒さないか目を光らせておかなければならなかった。
広い緑地公園をぐるりと一周し、持参したお弁当を二人と二匹が食べている時に、心配していたのが唸り声を上げて現れた。
「ウー、ワンワンワン!」
マナーの悪い飼い主がリードを外して走らせていた大型犬が、猫二匹に気付いて猛烈な勢いで走って来たのだった。
プードルだった。トイプードルと違い、立ち上がれば人間の背丈くらいある犬種だ。綺麗にトリミングされた銀色の毛は、よく目にするトイプードルのようにカットされているものの、体の大きさと相まってアンバランスでなんだか滑稽だった。
食事中だったミースケとトラオは、不機嫌そうに走ってくるプードルに目を向けた。
「恭子、なんだかヤバそうな犬が走って来るよ」
「そうね、よせばいいのに……」
美樹の怯えた声に恭子は落ち着いて応える。
恭子はトラオの背中をポンと叩いて、行ってきなさいと促した。
「フン」
鼻息をひとつして、トラオは食事を中断して犬に向かってつかつかと歩いて行った。
「恭子、ヤバいって。トラオを止めないと」
「大丈夫。まあ見てなさいよ」
ちょっかいを出しに来たプードルがトラオの間合いに入った瞬間に、目にも留まらぬ猫パンチが犬の顎を綺麗に捉えていた。
「ぎゃん!」
キジトラ猫のワンパンで、悲鳴を上げて宙を舞ったプードルは、そのまま芝生の上に落下していった。
四肢をピクピクさせながら、プードルは白目を向いて口から泡を吹いていた。
トラオは一瞥しただけで、すぐに戻ってきた。そしてまた食事の続きをし始める。
「すごい猫パンチだった。さすが野良猫生活で鍛えているだけはあるね」
普通ならあり得ない、プードルの顎を砕いたアッパーカットを目にしても、美樹は興奮気味にそう解釈しただけだった。
そのあとプードルの太った飼い主がゼイゼイ言いながら走ってきて、大声で呼びかけると犬は息を吹き返した。
「エリザベス、おおエリザベス」
そして蘇生したエリザベスは、ブルブルと震えながら飼い主と共に去って行った。
これを教訓に、エリザベスは今後一切猫には近づかないだろう。
トラウマを抱えてエリザベスはこれからも生きていく。
強く生きていくんだよと願いながら、恭子は昼食を食べ終えた。
結構あちこち猫を連れ回して遊んだ一日の終わり、美樹は名残惜し気にトラオを前籠から抱き上げた。
「また遊ぼうね、トラオ」
「にゃー」
返事をしたトラオを最後に思い切り抱擁すると、そのままミースケのいる恭子の前籠にトラオを乗せた。
ミースケとトラオはお互いに気にくわないと言った顔で、狭い籠の中でギュウギュウと押し合う。
「ねえ恭子、いつからおばあちゃんの家に行くって言ってたっけ?」
「五月に入ってから。四連休に入ってからすぐに行って来る」
「そっかー。恭子がいないと私暇だなー」
前にも同じことを言われた。連休中、遊ぶ計画を立てていた美樹に申し訳ないと恭子は手を合わせた。
「ごめんね。お土産買ってくるからさ。あ、そうだ。暇なんだったらトラオと遊びなよ。昼間は神社の境内で寝てるみたいだよ」
「そうか。ナイスアイデアだわ。そうしちゃおうかなー」
トラオは耳をピクリと動かして美樹の顔を見た後、スッと視線を逸らした。
ファンが出来たことに戸惑いつつ期待している。そんな感じだと恭子は見抜いていた。
「なんか食べるもの持って行こうかな。ねえ、トラオって何が好物かな、魚肉ソーセージとか」
「トラオはなんでも食べるけど、一番好きなのはチクワだよ」
「よし。チクワだね」
手を振って美樹と分かれた帰り道。
自転車の前籠でミースケと肩を並べて鎮座しているトラオに、今日の感想を聞いてみた。
「ねえトラオ、今日はどうだった」
「どうって、まあまあだったよ」
「まあまあ? まあまあ楽しかったってこと?」
「まあ、なんと言うか……ちょっとだけな」
何だかもじもじしてる?
分かり易いトラオの後頭部を指先でツンツンしてやると、耳をピクピク動かしただけで振り向かなかった。
「なあに? トラオも美樹のこと気に入っちゃったとか?」
「お、俺様が小娘なんかに気を許すはずないだろ」
「へー、ホントかなあー」
トラオは意地でも振り向かない。きっと緩んだ顔を見られたくないのだろう。
「フフフフ」
不気味に笑ったミースケが、振り返って恭子とアイコンタクトを取る。
ミースケと恭子は、それはそれは嫌らしい笑いを口元に浮かべて、黙り込んだトラオを無言で鑑賞するのだった。




