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世界最強猫と私 リ・スタート  作者: ひなたひより
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第18話 ささやかな応援

 白いスニーカーが朝の光の中でスイングしている。

 そう形容するのにふさわしいほど、少女の足取りは軽く、まだ冷たい四月の空気をそのつま先ではらいながら進んでいく。

 夜に降った雨の匂いの残る通学路には、空の青を映す水たまり。

 そんな自然にできた鏡の上を、スカートの裾をハラリと舞わせて制服の少女は軽いステップで跳び越えていく。

 誰の目にもウキウキしている片瀬恭子の新しい一日は、雨上がりの透明感に彩られ、ただキラキラと輝いていた。



「あー、ぢかれたー」


 講堂の壇上から降りるなり、大袈裟にそう言ったのは島津美樹だった。

 毎年恒例の部活紹介に抜擢され、緊張しっぱなしの演説を終えて聴講席側へと戻った恭子と美樹は、疲れ切った顔で椅子に腰かけた。


「ほんっと男子二人って役立たずだったよね。殆ど喋らないでただ突っ立ってただけじゃない。結局私らだけで部活紹介したみたいになってたし」

「そうね。まあ私も美樹がいたから助かったよ」


 軽く返した恭子を横目に、美樹は疲れた表情のまま席に着いてだらしなく脚を伸ばした。


「部活紹介なんて無くなればいいのよ。あー、また放課後、先輩に嫌味言われそう。やだなー」

「やるだけやったし、もうそのことは忘れようよ」

「なんで私と恭子なのよ。これってハラスメントだわ。絶対そうに違いないわ」

「部員数少ないし、仕方ないよ」


 前回のループの時もこの親友の愚痴を散々聞かされた。

 恭子は今回も適当に流しておくことにした。


「なによ。恭子ってさ、今日はやたらとポジティブじゃない? さてはなんかあったか?」

「えっ! いや、特になにも……」


 鋭い。流石小学校からの付き合いだけのことはある。

 猜疑心に満ちた親友の視線を受け流しながら、部活紹介の進行を眺めていると、ひそかに心待ちにしていた少年が壇上に上がった。


「次は、将棋部による部活紹介です」


 恭子は少し背筋を伸ばして、前に座る生徒の肩越しに少年に注目する。

 将棋部にほぼ無関心の美樹は、隣に座る親友の様子の方に関心を向けた。


「なあに? ニヤニヤしちゃって」

「え? そう? 気のせいじゃない?」


 司会進行の放送部のアナウンスで、かなり緊張した表情の少年、野村忠雄がスウッと息を吸った。

 そしてマイクに向かって、それほど大きくもない声で将棋部の紹介が始まった。


「み、皆さん、将棋部の野村忠雄です。我々将棋部は日々色々な対局相手と将棋を指すことで……」


 緊張気味ではあったが、書き上げてきた原稿を時々確認しながら将棋部の魅力を少年なりに熱く語り始めた。

 そんな少年の奮闘する姿を、恭子は自分のことのように歯痒い気持ちで見つめてしまっていた。


 この感じは恐らく暗記しているのだろうな。

 几帳面な彼のことだ、何度も家でリハーサルして仕上げて来たに違いない。手にした原稿はさしずめ精神的な支えといったところなのだろう。


「み、皆さん、将棋はゲームとしても優れていますが、とても奥が深く、日々の生活や生き方などを将棋に例えたりも出来ます。ぼ、僕の好きな棋士の名言で、『追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ』という言葉があります。ぼ、僕もそれに倣って将棋を指し、普段の生活にもそういった意識で臨もうと精進しています……」


 そしてこのとき恭子はもう気が付いていた。

 壇上の少年が恭子のことをチラ見していることを。

 少年の顔がやや紅いのは、少女と視線が時々あってしまっているせいなのかも知れない。

 気付いた恭子も意識してしまい、少し紅くなる。

 たどたどしいながらも熱のこもった部活紹介をする少年を、恭子はじっと見つめてしまっていた。

 恭子は隣の席に座る美樹をチラリと見る。


 今ならいけそう。


 そして壇上の少年にエールを送るべく、恭子は思い切ってほんの少し手を振ってみた。


 頑張って。


 小さく唇を動かして、今できる精いっぱいの気持ちを少年に送った。

 すると……。


「あれ? 恭子、あれって何だか固まっちゃってない?」


 美樹の指さした壇上の忠雄は見事に固まってしまっていた。

 どうやら恭子が手を振ったことで頭が真っ白になったみたいだった。


「あ、あの、えーっと」


 あたふたし始めた壇上の少年に、新一年生の視線が集中する。

 忠雄は手にした原稿を思い出したかのように読み返してから、ようやく口を開いた。


「さ、最後に、しょ、将棋はいつ始めても遅いということは、あ、ありません。敷居が高いと感づいている、じゃなかった、感じている方にこそいい機会だと お、思います。は、初めての初心者の方には、じゃなくて初心者の方には、せ、先輩の我々が手取り足取りやらしく教え……い、いや、失敬。や、優しく教えますので、軽い気持ちで部室に、と、とにかく足を運んで下さい」


 意図しない方向で盛り上がってしまった将棋の部活紹介は、こうして幕を閉じた。



 生徒のまばらになったホームルーム後の教室で、美樹は今日の部活紹介のことを再燃させていた。


「うちらもたいがい酷かったけど、将棋部には負けたわー。野村君、最後の所で嚙みまくってたじゃない。一年生全員必死で笑いをかみ殺してたよねー」

「そうかな……私はけっこう良かったと思うけど」


 ちょっとムッとした恭子に気付かず、美樹は将棋部の部活紹介を面白おかしく回想し始めた。


「敷居が高いと感づいてるって、やっぱり敷居高いんかーいって。それに初めての初心者って、思い切り被ってるっての。極めつけは、手取り足取りやらしくって、何教えてくれるのよ」


 ハハハハと大笑いし始めた美樹に、恭子は不満顔のまま考えを巡らせる。

 大袈裟な美樹の口調はともかく、確かにそんな感じだった。

 それもこれも自分が手を振ってしまったせいなのだと、悪いことをしたなと反省しつつ、講堂でささやかなコミュニケーションを取れたことに恭子は嬉しさを感じていた。


「さあ恭子、部活行くよ。先輩に今日の嫌味言われるかもだけど」

「うん。じゃあ行こうかな……」

「なあに? 先輩に嫌味言われるのがそんなに嫌なの?」


 未来を知っている恭子は、このあと先輩から特に嫌味を言われることがないことは知っていた。

 気がかりなのはそっちの方ではなく、先週立ち聞きしてしまったあのことだった。


 将棋部に如月さんが見学に行くって言ってたの、今日だったな……。


「なにボオーっとしてんのよ。行くよ恭子」

「あ、うん。そうだね」


 時計を見ると部活開始まで十分を切っていた。

 鞄を持って駆けだした美樹の後を追って、恭子も教室を出て走り出した。


 陸上トレーニングの期間、水泳部はグラウンドで主に走り込みをする。

 陸上部の練習の邪魔にならないようグラウンドを五周したあと、恭子たちはサーキットトレーニングで汗を流す。

 結構きついトレーニングだが、呼吸を我慢しなくてはならないプールでの練習に比べればまだ楽だと感じられた。

 短時間で息の上がるトレーニングの合間に、恭子はグラウンドからは見ることができない将棋部の部室の方に目を向ける。


 きっと今頃、如月さんが部室に来てるんだろうな。


 兼部が認められている以上、部活見学は自由だ。

 吹奏楽部のカトリーヌが将棋部に出入するのは何の問題もない。

 両立しようとする部活の顧問と部長が兼部を認めれば、複数の部活に籍を置くことは可能だ。


 吹奏楽部は兼部できるのかな。


 カトリーヌが軽い気持ちで将棋部に顔を出していることは、勿論恭子も承知していた。

 兼部する気など最初からさらさらない。そもそも将棋に感心すら持っていない筈だ。

 それでも、万が一カトリーヌの気が変わって、兼部したりしたらと考えてしまうのだ。

 体育会で兼部はまず無理だろう。

 シーズンに入れば、水泳部は毎日長時間の練習に入る。

 とてもじゃないが他の部活に顔を出す余裕などない。

 もし恭子が将棋部の部室に見学の名目で顔を出したとしたら、体育会の生徒が何をしに来たのかと勘繰られるに違いない。

 現実的に無理があったが、カトリーヌの動向が気になって仕方のない恭子は、今からでも将棋部の見学に割り込んでいけたらと本気で思っていた。


 たっぷりと汗を吸った体操着を着替えて、更衣室を後にした恭子と美樹は、部活を終えて下校しようとする生徒たちに混ざって靴箱までやって来た。


「どしたの? 恭子」


 靴を履き替えず、忠雄とカトリーヌの姿を探していた恭子に、美樹が声を掛けた。


「いや、別に……」


 きっともう将棋部は活動を終えて解散しているだろう。

 ひょっとしたらそのまま如月さんと帰ったのかな……。


 どうしても浮かんでくる二人の姿を頭から振り払い、美樹の後を追って校舎を出た。

 四月のこの時期、夕方になると急に冷え込んでくる。

 グラウンドで体を動かしている時には感じなかった冷たさが、恭子の体をブルッと震わせえた。


「やっぱまだ寒いね」


 隣で肩をすくめて歩く美樹が、同じ様に体を震わせる。


「ねえ恭子、プールに水張って、泳ぎ出すのっていつからだっけ?」

「六月からだよ。またあの地獄が始まるのね」

「そうだった。やだなー。水温20度切ってる日はホント地獄だよ。寒中水泳部かって突っ込みたくなるわ」


 そして去年の身を切るような冷たいプールを思い出して、二人でブルッとなる。

 なんだか余計に寒くなってきた感じで、二人は肩をすくめる。


「その話、やめとこうよ」

「うん。そうだね」


 軽く鼻をすすった美樹に恭子も賛同し、二人はまた他愛のない話をしながら校門を出て行った。

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