第17話 壊す者と守る者
恭子のもとを離れ、森の小径を進んでいくミースケの脚がピタリと止まった。
蒼く澄んだ二つの眼が大きく見開かれ、二つの尖った耳が何かの気配を探るように小刻みに動きだす。
何かを警戒するような猫独特の動きだ。
「おかしいな……」
そう呟いたミースケは、小径の先から歩いてくる人影を視界に捉えていた。
現れた五人の人影は、先日ミースケがコテンパンにやっつけた不良たちだった。
前回のループでは忠雄の跡を追ってこの森に分け入って来た五人が、何故かここにいる。目的の忠雄がここを通っていないのは明白で、この連中がここに来る道理がミースケには思い浮かばなかった。
「ったく、こっちは忠雄を探したいのに……」
邪魔な連中を排除すべく、ミースケは手近なクヌギの木に登った。
樹上から不良たちの姿を見下ろし、葉の茂った枝を大きく揺らす。
「なんだ? 猿か?」
立ち止まって樹上を見上げた不良たちに向かって、ミースケは大音量の咆哮を上げた。
「ぐおおおおおお!」
ミースケは発声器官を振動させて声を発しているわけでは無い。
声帯の代わりに波動を振動させて音に変える独特の発話法で、ミースケは自在に様々な声や音を操っているのだ。
猛獣のような雄たけびを上げるのなど造作もないことだった。
「ごおおおおおお!」
「ひいいいいー!」
得体の知れないものと遭遇した不良たちは恐怖と不安で固まってしまった。
粋がってはいるが、群れになって行動している連中というのは得てして気の小さい者の寄せ集めだ。
散々脅してから、仕上げに波動で樹を一本へし折って盛大に倒してやると、不良たちは叫びながら散り散りになって逃げだした。
不良たちを蹴散らしたミースケだったが、狼狽えきった不良たちを眼下に見据えながら、小さく舌打ちした。
「チッ、しまった」
落下点が少しずれたせいで、一人だけ小路の奥へと向かって行ってしまったのだ。
その先には恭子がいる。
ミースケは跳躍して着地すると、逃げ出した金髪に、たちまち追いついた。
そして後ろから張り倒す。
「またお前か」
倒れ込んでから向き直った金髪に、ミースケは吐き捨てるようにそう言った。
二本足で詰め寄って来た不機嫌そうな猫に、腰を抜かしたまま立ち上がれない金髪が、信じられないものに遭遇したかのように目を剝いた。
「な、なんだ! お前っ!」
金切声のような耳障りな声に顔をしかめて、世界最強猫はあっさりと不良の横っ面を張り倒した。
「キーキーうるさい奴だ」
気を失ったまま仰向けで倒れている金髪を前に、ミースケは大きく溜め息を吐いた。
「しまった。こいつをここに放っておいたら、あっちで騒ぎになりそうだな……」
勢い余って気絶させてしまったことを悔やみつつ、ミースケは金髪をどうやって運ぼうかと悩み始めた。
一方、恭子は胸をときめかせながら忠雄の到着を待っていた。
なかなか姿を現さないのは、自分の行動が前回とは違うからだと楽観視していた。
そしてミースケが様子を見に行ってくれていることもあり、きっといいことがあるのだと疑っていなかった。
「あー何だか、ドキドキしちゃうなー」
水筒のお茶に口をつけ、もうすぐ少年が現れるのだと期待を膨らませる恭子は、今まさに忍び寄ろうとする不吉なものの存在に気付いていなかった。
それはゆっくりと音もなく恭子の背後に忍び寄りつつあった。
赤と黒の模様が交互に入ったその細長い胴体は、ヌラリと濡れた様な光沢を体をくねらせる度に浮き上がらせる。
ヤマカガシだった。
主に山間部に生息する毒蛇で、毒性はマムシの三倍ともいわれている。
短い草の間をスーッと音もなく這い寄る危険な生物は、一切の気配を感じさせることなく少女に迫りつつあった。
「野村君もミースケも、遅いな……」
ぽつりと呟いた時だった。
鎌首をもたげた蛇が背後から恭子のうなじに向かって跳びついた。
大きく開いた口には鋭い毒牙が覗いていた。
その鋭い牙が恭子の柔らかな首筋に到達したかと思われた時だった。
跳躍した毒蛇の胴体を、木陰から飛び出して来た少年が鷲掴みにしていた。
「ひ、ひいいいーっ!」
少年は叫び声を上げながら蛇の胴体を掴んだままブンブン振り回して、そのまま藪の中に蛇を放り投げた。
ガサガサと茂みを揺らしながら消えて行った蛇を見送って、恭子は大きく口を開いたまま、立ち尽くす少年をしばらく見上げていた。
やがて少年は我に返ったように、恭子の方に向き直った。
「だ、大丈夫?」
全身をブルブルと震わせながら、少年は真っ青な顔で聞いてきた。
「私は大丈夫。それより野村君のほうが大丈夫じゃ無さそう」
余程蛇が苦手だったのだろう。忠雄はその場にへたり込んで、今は蛇を掴んでいた掌を蒼白な顔で見つめていた。
「ぼ、僕は大丈夫。噛まれてないし」
「蛇、苦手なの?」
「うん。実は蛇は昔からダメなんだ。うー、気持ち悪かった」
まだまだ顔色が悪いが、震えながらもようやく少し落ち着きを取り戻したようだ。
「苦手なのに、凄いね……」
「いや、もう無我夢中で……」
必死に自分を守ろうとしてくれた少年を前にして、恭子は涙があふれてきそうになりながら、水筒のお茶をカップに注いだ。
「飲んで。少しは落ち着くよ」
「あ、うん。ありがとう」
湯気の立つカップに口をつけて忠雄は大きく息を一つ吐いた。
「本当だ。片瀬さんの言うとおり少し落ち着いたみたいだ……」
ようやく震えが収まった忠雄は、もう一度カップに口をつけてから恥ずかし気にはにかんだ。
恭子はそんな忠雄の表情に少し頬が紅くなる。
「あの、野村君はどうしてここへ来たの?」
「ええと、それがその……」
忠雄は片手で頭をかきながら困ったような顔をした。
「それがうまく説明できないんだ……」
「なにがあったの?」
「うん、あのね、手洗い場に忘れてあったハンカチを片瀬さんの物だと思って届けにいったら、如月さんのだったんだ。それから如月さんにお礼を言われて少し話をしていたんだけど……」
忠雄はそこで言葉を濁した。本当にうまく説明できないようだ。
「自分でもどうしてなのか分からないんだけど、突然ここにいてはいけないって思ったんだ。どうしてもあの小径を通って森の奥に行かないとってその時何故か思っちゃって……それからここで片瀬さんに跳びつこうとしていた蛇に出くわしたんだ」
「そんな……それって……」
恭子の脳裏にあの日少年が言った言葉が甦る。
君を守りたい。
あの日少年はそう言った。
巻き戻った時間によって記憶をリセットされても、少年はあの日誓った約束を果たしてくれたというのだろうか。
恭子は目頭を熱くさせながら、そっと忠雄の手をとった。
「ありがとう。野村君は命の恩人だね」
伝えたい沢山の気持ちをその掌に込めて、恭子は忠雄の手を優しく包み込んだ。
「本当にありがとう」
「か、片瀬さん……」
憧れの少女の掌に包まれた自分の手を、少年は信じられないものでも見ているかのような表情で凝視していた。
そして、さっきまで蒼白だった顔色は今は真っ赤に変わっていた。
ゆっくりと恭子が手を放してからしばらくして、忠雄はようやく我に返った。
「あ、じゃ、じゃあ、僕はこの辺で」
さっきまで恭子が握っていた手をもう一方の手で包み込んで、忠雄はダッシュで走り去った。
入れ違いで戻ってきたミースケが、びっくりしたような顔で少年の背を見送る。
「キョウコ、何かあったのか?」
「うん。ちょっとね。でも野村君が助けてくれた」
高鳴る鼓動を押さえるかのように胸に手を当てて、恋する少女は少年が走り去った小径の先をしばらく見続けていた。




