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世界最強猫と私 リ・スタート  作者: ひなたひより
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第16話 見えざる罠

 恭子が班を抜け出て行ったあとしばらくして、カトリーヌも班から抜け出した。

 昼食広場から少し離れた誰もいない場所で、カトリーヌは背負っていたオレンジのリュックを開いた。


「言われた通り抜け出してきたけど、ここでお弁当を食べるの?」

「そうだよ。食べてから打ち合わせしようじゃないか」


 リュックから出て来た黒猫は、落ち着いた様子で芝生の上に行儀良く座った。

 カトリーヌは少し小さめの弁当箱を開けて黒猫の前に置いてやる。


「あんたと余計な荷物のお陰で重たかったわ」

「その労力に見合う成果を君にあげるつもりだよ」


 黒猫は目の前に置かれた猫用弁当箱に顔を突っ込んで食べ始めた。

 カトリーヌはやや呆れ顔で、がっつく黒猫を眺めながら自分の弁当箱を開いて食べ始めた。


「なんだかこうしていると、猫とピクニックに来たみたい」

「そうだね。こういうのもたまにはいいものじゃないかな」

「そうね。初めてだからちょっと楽しいかも」


 カトリーヌは一度箸を止めると、ほんの少し口元に笑みを浮かべて、そう応えた。

 食事しながらお喋りをするのは行儀が良くない。カトリーヌは厳しい祖母からそう躾けられて育った。

 フランス貴族の末裔で良家の家柄のカトリーヌは、周囲にいる同い年の少女たちとは少し異なった家庭環境で育てられたと言えるだろう。

 常に周りに気を張り巡らせ、自分がどのように認識されているのかを考え、最良の選択をすることを習慣づけられていた。

 名門の家柄に相応しい人間になりなさい。

 そう言われ続けてきたカトリーヌは一度大きな挫折を味わった。

 中学受験をして名門校に入学するはずだったカトリーヌは、受験の当日高熱を出してしまい、結局市内の公立中学に進学することになった。

 家族の期待に応えられず、望まなかった学校生活を送る日々で、うわべを取り繕うことなく話をできるこの得体の知れない猫に、カトリーヌ自身何かしらの安らぎを覚えているのかも知れない。

 お弁当を食べ終えて、水筒のお茶を飲んでいたカトリーヌに、黒猫は姿勢を正してこの先のプランを話し始めた。


「カトリーヌ、君は仕掛けておいたハンカチを自分から回収するんだ」

「私から?」

「そうだ。君は少年の方から話しかけてくると思っているだろうが、そうはならない。君の方から彼に近づいて拾ってくれたお礼を言うんだ」


 未来を見通せる黒猫は有無を言わせない口調で、カトリーヌの不満を無視してたたみかけた。


「お礼を言って誘い出し、二人っきりになったところでそのリュックに入れてきた高級焼き菓子でも食べながらゆっくり話をすればいい」

「あんたの言うとおりお菓子は入れて来たけど、それだけ?」

「そこから先は君の得意分野だろ。君の魅力で彼を虜にしてしまえばいいじゃないか」


 黒猫はそう言い残すとカトリーヌに背中を向けて歩き出し、一度振り返った。


「邪魔が入らないよう、目を光らせておくよ。休憩が終わる頃に、またここで落ち合おう」


 釈然としないカトリーヌを置いて、ガサガサ落ち葉を踏みしめながら黒猫は小径に消えて行った。


「じゃあ、私も狩りに出ようかしら」


 そう呟いたカトリーヌの眼は、もう獲物を狙うハンターの眼に変わっていた。


 白いハンカチを手に、恭子のいる班へと向かった忠雄は、そこにいたグループの女子に姿の見えない恭子の居場所を尋ねた。


「あ、あの、片瀬さんは……」


 おずおずと急に話しかけてきた男子に怪訝な顔をした女子生徒たちは、好奇心混じりに質問で返してきた。


「片瀬さんなら今いないよ。何か用事なら私らが聞いとくけど」

「そ、そう。ならいいんだ……いや、えっとどこへ行ったとか知らないかな」

「そっちの小径に入って行ったみたい。で、何の用事なわけ?」


 しどろもどろで、いかにも何か訳ありげな男子に、女生徒たちは半分面白がりながらその先を聞き出そうとした。

 そこへスッと割って入ったのは如月カトリーヌだった。


「あら、野村君じゃない」

「あ、如月さん」


 詰め寄られていた忠雄は、助け舟が入ったと少し安堵したような表情を浮かべた。

 それが合図でもあったかのように、カトリーヌは計画どおり狩りを開始した。


「どうしたの? あ、そのハンカチ」


 カトリーヌは忠雄の手にしていたハンカチに目を向けて、分かり易く驚いたような顔をして見せた。


「どこかで落としたみたいで探してたの。野村君が拾ってくれてたんだね」

「え? そうなの? 如月さんのだったのか。そうだったんだ……」


 恭子のハンカチだと信じていた忠雄は、言葉を失ったままハンカチを手渡した。


「ありがとう。本当に助かったわ」

「じゃ、僕はこれで」

「あ、ちょっと待って」


 あっさりと去って行こうとする忠雄の後をカトリーヌは追っていく。


「お礼がしたいんだけど、いいかな」

「いや、大したことじゃないよ。落とし物を届けただけだし」


 クリっとした眼で上目遣いをして見せたカトリーヌに、忠雄はやはりそっけない。

 大概の男子を魅了する高等テクニックがあまり効いていない。プライドの高いカトリーヌの自尊心を逆撫でする少年を、カトリーヌは平静を装いつつさらに引き止めた。


「そう言わないで。ね、少しお話ししましょうよ」


 半ば強引に少年の腕を取って、ひと気のない場所まで連れてくることにカトリーヌは成功した。

 しかし特に何を話していいのか浮かんでこずに、手持無沙汰のカトリーヌは高級焼き菓子をリュックから取り出した。


「えっと、お礼と言っては何なんだけど、これけっこう美味しい焼き菓子なの。良かったら一緒にどうかな……」


 もじもじと恥じらいながら、カトリーヌは両手で焼き菓子を手渡す。

 小さな贈り物を、ときめく美少女から受け取るこの演出に男子たちは弱いはず。

 計算ずくのカトリーヌの行動には隙が無かった。


「じゃあ、はい。いただきます」


 早くお礼を受け取ってここから立ち去りたい少年と、計算通り誘いに乗って来たとほくそ笑む少女。

 思惑に深い溝がある二人だったが、一応はカトリーヌの思い描いた展開になっていた。

 そして、カトリーヌにとってはここからが本番だった。


「立ったままもなんだし、ここに座って一緒に食べない?」


 カトリーヌはリュックからビニールシートを取り出して広げると少年を誘った。


「いや、僕はこのままでいいかな……」

「駄目だよ。それって行儀悪いことなんだよ」


 カトリーヌに促され、忠雄はビニールシートの端に小さくなって座り込んだ。

 端といっても狭いシートの上だ。お互いの距離は十分近かった。

 緊張を隠すためか、忠雄は焼き菓子を口の中に押し込んだ。

 そのまま慌てて咀嚼し、飲み込もうとする少年の隣で、カトリーヌは落ち着いた様子でリュックから水筒を出す。


「お茶、淹れるね」

「あ、ありがとう」


 湯気の立つプラスチック製のコップを手渡されて、忠雄はひとくち口をつけた。


「紅茶だ」

「うん。いつもそうなの。お菓子に合うでしょ」


 腰を上げるタイミングを計りかねている少年に、隣に座るカトリーヌは囁くように話しかける。


「なんだか不思議だね。生徒会室の前で会ってから、こうしてしょっちゅう今みたいに話してる。同じクラスだった一年生の時よりもたくさん……」


 カトリーヌは首を少し傾けて、少年に大きな瞳を向ける。


「野村君のこと、もっとたくさん知りたいな……」


 天使のようにはにかんだカトリーヌの口から出たその甘美な毒は、ゆっくりと少年の体にまとわりつき、自由を奪っていった。

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