おにいちゃん。
読む人によっては少しBLかと感じるかもしれません...あくまでも男兄弟の話だと踏まえて考えていただけると嬉しいです。
ねぇ。
古臭い匂いが鼻腔を擽る。どこからか声が聞こえた気がして周りを見渡すけど、生憎何も見つからない。
岬は弁当箱を片手に特等席のカウンターについた。図書委員で良かったな、と心から思う。入学間もなくして半強制的につかされた役職ではあったが、教室で孤独になったときの逃げ場所としては上等だ。
デパートなんかで見かけるものより一回り大きい弁当箱の蓋を開ける。人より食いしん坊な岬の為にと、母が奮発して買ってくれたのだ。
とりあえずとプチトマトを摘む。口の中に淡い酸味が広がった。
「ねぇ。」
思わず椅子から引っくり返りそうになる。ハッとしたら目の前にいた彼は、カウンターの向こうから身を乗り出してこちらの顔を覗いていた。
いや、いつからいた?誰だ?鍵も締めてるし...元からいたのか?
図書室の規律に違反した飲食と態度。そんなことにも気づかず岬はぽろっと橋を落とした。
「あっ。もー...洗わないと。」
変なところで年上気質な彼は遂にカウンターを乗り越えて橋を拾い上げる。岬の目は点になったまま戻らない。彼は長い横髪を揺らしながら隅に設置された手洗い場で箸を濯ぎ差し出してきた。
「はい、どーぞ。」
開いた口が塞がらない。動じない岬に彼は眉を八の字にして考え込んだあと、岬の手に箸を握らせて顔を近づけた。鼻腔が彼の匂いでいっぱいになる。懐かしい匂いだ。
「ぼーっとしてたらまた落とすよ、ほら。」
ぎゅっと手を握られる。振り払おうとしたが、交差した視線のせいで力が入らない。
ねぇ。
「名前、何て言うの。」
教室は苦手だ。というか、嫌い。
下手したら噛み殺されるのではないかと疑ってしまうほどピリピリした雰囲気だ。チャイムがなると同時に開始されたその仲間意識の強さに嫌気が差す。
スクールカーストというものは怖い。岬はどの位置にいるのだろうか。中間だったら嬉しい。そんなことを考えながら岬は教室を出た。
「真咲!」
棚の影に隠れたその身が見えた瞬間、図書室だということも考えずに大声を上げてしまう。軽やかな笑い声をあげる彼に岬は静かに笑った。頬が熱い。
真咲と名乗る彼とは約半月前でたくさんのことを知ることができた。
岬と同じく8月生まれの獅子座。濃紺に近い髪色は地毛らしく、涙袋はぷっくりと赤らんでいる。そこも岬と似ていた。ただ真咲は吊り目気味で、岬は垂れ目気味。けれどもそのちょっとした違いが余計に二人の距離を縮ませた。
いつも通りカウンター席に座る。真咲は勉強スペースから椅子を引っ張ってきて、カウンターを挟んで向こう側に腰を下ろした。いつも通り、懐かしい匂いが鼻を霞める。
「相変わらず人来ないね。」
「落ち着いて弁当が食べられるからいいんだよ。」
お腹が空いて仕方がない。山盛りの弁当を掻き込みながらそう答える。真咲はそんな岬を見て「図書委員がそんなこと言ったら駄目でしょ」と笑った。
「真咲も弁当持ってくればいいよ。」
「俺は岬みたいな悪い子にはなりません!...まぁ、別に岬は悪い子じゃないけどね。」
二人の笑い声が響く。真咲は「はーっ」と息を吐いた。
「...いいんだよ、俺は。お腹空かないし。」
息を吐くように言う彼にどきりとする。また、その顔だ。岬は真咲のその顔が気に入らない。見ると動悸がして怖くなる。怖さの根源はわからない。
ただ、怖いのだ。
「...あげる、唐揚げ。」
「えー、困るなぁ。俺何もお返しできないよ。」
「別にいらない。」
ほらと差し出す唐揚げに手を振られる。仕方なく不貞腐れつつ口に運んだ。不安で味がしない。
お返しなんて、教室で孤独な岬にとっては真咲の存在だけで充分なのに。
そう考えて弱くなっていることを実感する。
本が好きだから図書委員になった。その好きな本達の一つに心中を図ってしまう話がある。従兄弟同士が、禁断の恋愛と共依存に悩んだ末に海に散っていく話だ。孤独という弱さから、岬も彼とそうなってしまわないかと時々不安になる。
お腹が、痛い。
「...ごちそうさま。」
いつの間にか空になっていた弁当箱を閉じる。ストレスなのか、ここ最近お腹の痛みが続いていた。
教室に入ると、前の席ではいつも通り一人で弁当を食べる生徒がいた。名前は花園望という。後ろにいる女子グループの中に入らないのかと問いたいところだが、岬は望が入らないのではなく入れないということを知っている。
噂によると望は幽霊やそういう類のものが見えるらしい。入学早々カースト制の強いこのクラスで目立っていたことを覚えている。正義感が強いのか、その類がついている者には必ず忠告してしまうのだ。それで上手くリーダー感の強い女子に嫌われてしまいそのまま地位は転落。このクラスのカーストでは最下位になってしまった。
真偽はわからないが、こういう人には関わらないのが一番だと思う。高校生の分際でと言われるかもしれないが変に関わって巻き込まれるのはごめんなのだ。
岬はいつも通りその子の側を通り抜けて斜めの席に座る。そして机の中から取り出した、真咲に勧められた本を広げる。
それは全く違う性格をした生き別れの双子が、兄の方が開いた喫茶店で再会するお話だ。メルヘンチックすぎると言われてしまうが、学生にとってはこれぐらい盛り込まれた設定の方が楽しく読めると思う。
「...夜明さん。」
突然耳に入ってきた声に肩を揺らす。透き通るような綺麗な声だった。ほわほわとした雰囲気を漂わせる花園からは名前通り優しく甘い花の香りがする。
「夜明さんって、兄弟とかいるの?」
流石不思議ちゃんと嫌われるだけある。唐突な質問に口を半開きにしたまま首を横に振る。
「じゃあ...恋人とか、いる?」
「いない、けど...。」
「そう。ごめん、それだけだから。悪いこと、起きなければいいね。」
ぽんっと肩を叩かれる。
それは言う必要があるのか。気になって聞いただけならそんな不幸を暗示するようなことを言わなければいいのに。
だから不思議ちゃんなんて言われるんだ、と席に座る花園を見送りながら心のなかで毒づく。別にいじめが起こっている全部が対象な訳では無いが、岬のクラスは花園の発言にも問題はあるのではと思う。恐らく素直なのだろうが、聞いた人に不安を及ぼすような言い回しは少し気にかかる。まぁそれを盾にして攻撃する相手も相手だが。
物語の主人公は走っていた。喫茶店が突然閉まった理由。兄が弟である主人公のことに気付いたからだ。
真咲は、兄弟がいるのかな。
真咲が兄なら毎日が楽しいだろう。一人っ子で母と二人暮らし。これといった不便はないがただでさえ心労をかけている母に悩みなんて相談したことがない。
ぽっこり膨らんだお腹を擦る。日に日に痛みが増すここ。この中には一体何が取り憑いているのだろう。
真咲が僕の兄だったらいいのに。
図々しい自分に思わずお腹が痛んだ。
「...食べ過ぎかな。」
いつも通り弁当を食べながら呟く。相変わらずお腹は痛い。それに膨らみも増してきている。
パタパタと図書室の中を愛おしく動き回る真咲を見て、明日から弁当は自分で作ってみようかと考えてみる。量を減らせばいいだろうが毎日購買でお金を使えるほどの財力はない。
いや、この際バイトを始めて見るのもいいかもしれない。放課後に真咲と図書室で会えなくなることは悲しいが仕方がない。
「ねぇ真咲。」
「何?」
「真咲はさ、バイトしたことある?」
「バイト?ないかな。基本外に出ないから。」
そういう真咲の顔は真っ白だ。確かにアウトドア派ならこんなに毎日図書室に来ることはないかもしれない。
そういえば、何故真咲は毎日図書室に来るのだろうか。もう本格的に夏になってきている中、何故真咲だけはいつも学ランを着ているのだろうか。クーラーを付けているわけでもないから快適でもないのに。
「岬は?バイトしたことあるの。」
「ないよ。でもやってみようかなって。」
「いいね、何事も挑戦が大切だよ。本が好きなんだし、本屋で働いてみたらいいんじゃない。」
「そんな単純な理由で決めないよ。...真咲は?いつも図書室にいるけど、他のクラスメイトと遊んだりしないの。」
岬の質問に困ったように眉を下げる真咲に息が詰まる。悪いことを聞いてしまったのだろうか。気まずくなって目を逸らす代わりに立ち上がり、数ある本棚についさっき読み終わった双子の話を並べる。
主人公は兄の腕を掴んだ。もう離さないことを約束して。
生き別れなんて早々ないだろうし現実はそう上手くはいかないだろうが、感想としてはよかったと思う。ページをめくる手は止まることなく最後まで読み切れた。たった五十ページほどの短編でここまで内容が濃く印象付けられる話は初めてかもしれない。真咲に勧められたというのが大きいかもしれないが。
「ただいまー。」
自分の声だけが響く。ここまで親が帰って来ないのは実質一人暮らしと変わらないのではないだろうか。
奥の部屋の扉を開く。友人なんて呼んだことがない。小学生の頃から、それこそ花園と同じように一人で過ごして来たから呼ぶ人もいなかった。部屋の中は本でいっぱいで、そこには例の心中のお話などが並んでいる。
明日の教室はどんな雰囲気なのだろうか。どうせ変わらないことはわかる。ただ、目を離した隙にまた誰か人が消えてしまうのが怖くて仕方がない。ここまで他人に執着するのは変なやつだろうか。
真っ黒な表紙をした本をなぞる。そういえば、幼稚園に入る前はずっと誰かと仲良くしていたような気がする。あの子の名前は何だったか。確か、真咲と似たような匂いがする人だ。隣にいると妙に懐かしい気がするのはそのせいだろうか。
花園も昔はそうだったのだろうか。
最近、花園は俯くことが増えた気がする。だからといって誰かが声をかけるわけでもない。声をかけたら自分がこうなるとわかっているからだ。カースト制のこのクラスで、花園は所謂見せしめにされている。
岬が声をかければ、何かが変わるのだろうか。
ふつふつと抱く疑問を心の奥に押し込むように、引っ張りかけていたその本を岬はしまった。
「家に来ないかって...また、急に言いだすね。」
「まあね。...真咲ともっと遊んでみたいなって。ほら、僕ら図書室以外で会ったことない。」
そうなのだ。同じ学校にいるのに、図書室以外で真咲の顔は一度も見たことがない。一人は嫌だからなんて下心が満載なのが事実なのだが、真咲はそれを見破ったのかやんわりと断りを入れてきた。
「いや、遠慮しとくよ。俺も俺でやることあるし。」
「そう。じゃあさ、真咲も特別仲が良い友達がいたりするの。」
「ううん、いつも一人。」
流石に顔が引きつった。想像はしていたが、やっぱりスクールカーストは他のクラスでも起こっているようだ。
こんなにお喋りが上手な真咲も、花園のように暗い顔をすることがあるのだろうか。
「...今、花園さんのこと考えてたでしょ。」
「え。」
向けられた人差し指に怯む。何故バレたのだ。クラスは違うし、まだ図書室以外で一度も見たことがないのに。
「知らないでしょ。俺、いつでも岬のこと見てるから。」
「えぇ、ストーカーみたい。」
「...ずーっと一緒だよ?」
「わざとストーカーらしい発言するなよ。」
笑い声が響く。やっぱり真咲の暗い顔なんて想像ができない。でも真咲が苦しんでいるのは嫌だと思う。
「俺は平気だよ、岬がいるし。」
そんな考えを見透かしたのか呼吸をするようにそう言う真咲にお腹が痛む。あぁ、駄目だ。やっぱり痛い。
「それよりさ、花園さんに声をかけてみたらいいんじゃない?苦しそうな顔してると思うんでしょ。」
「...思うよ。でもそれと同じくらい花園さんは赤の他人に口を出されるのは嫌だと思う。」
「大丈夫だよ。岬は優しいから。」
「...どこが優しいんだよ。」
気づいている。親が帰ってこないのは俺のことがあまり好きじゃないからって。そんな親を最低だと思う自分も変わらない。現に花園を追い詰めるこのクラスの形態に何も言えていないのだ。そんなの、心の中で笑っているカーストトップのアイツらと同然である。
だからこそ、自分と似ているところが多いのに公平に優しい真咲に嫉妬しているのだ。嫉妬して、それと同時に支配しようとしている。まだ日も浅いのに心労ばかりをかけている。だから親にも嫌われるというのに。それ以上理由はないのに。
「優しいよ、岬は。言ったでしょ?ずっと見てるって。」
「...いい加減冗談やめろよ。笑えない。」
思わず大声を上げて立ち上がる。真咲はその吊り上がった目を大きく見開いた。
息が苦しくなる。喉が痛い。気づいたら酷い言葉を山になるのではというほど投げかけていた。真咲の澄んだ瞳が濁ったことに気づいて初めて自分の痴態に気づく。
「...ごめん。もう戻る。真咲もぼちぼち戻りなよ。」
ポケットから出した鍵をカウンターに置く。真咲に背を向けて出口に向かう。
「ばいばい、岬。」
扉を閉める直前、聞こえてきた声のもとに思わず目を向けてしまう。
真咲は最後まで笑っていた。
咳き込む。お腹が痛い。
最低な人間だということも遺伝するらしい。岬はお腹を抱えて自室の部屋に倒れ込んだ。ひゅっと音がなる。
シャツの下に手を入れる。お腹は信じられないほど膨らんでいた。痛さと気持ち悪さに悶え苦しむ。こんなときに母親がいたらいいのに。意志が弱いせいで救急車を呼ぶことさえも決められない。弱虫め。
明日、真咲に謝ろう。真咲は許してくれるだろうか。いや、きっと許してくれない。迫害されてしまう。
眼の前がチカチカとしてくる。流石にまずいと思い床に落ちたスマホに手をかけようとしたがそこまで伸びずに力が抜けてしまう。
「みーさき!」
そう声をかけてくれたあの子が脳裏に映る。走馬灯と言うのは存在していたらしい。幼稚園生の頃。まだ母が優しかったあの頃声をかけてくれたあの子の名前は何だっただろう。
記憶はどす黒くて見えない。だけど、幼き自分の声ははっきりと聞こえた。その名前に思わず息を飲む。
「まさき!」
どぷんっ。
水に落ちる音がする。
確かにそれは岬にしか見えない友人だった。
どうやら僕はバニシングツインという現象の片割れらしい。
バニシングツイン。それは双子の一方の子が妊娠中に亡くなって子宮に吸収されてしまうこと。通常はそうして跡形もなく消えてしまうのだが、極稀にもう片方の子の方に宿ってしまうことがあるらしい。
岬のお腹がその例だ。
目を開けたらそこは見覚えのない天井だった。珍しく隣りに座っていた母は涙を浮かべていて、「ごめんね」と何度も謝られた。そして岬が元々双子であったことを話してくれたのだ。
そして帰ってこないのは岬のせいではないと母は言った。幼い自分にだけ見えていたその幽霊を、お兄ちゃんの真咲として親しみ一人で笑っている姿を見て自己嫌悪に囚われていたのだと言う。だから避けるようになった。ごめんなさいと泣いて謝られた。
それから一ヶ月が経った。ずっと一緒にいた真咲はもうお墓の中に行ってしまった。ついでにお腹の痛みもなくなって、嬉しいのか悲しいのか曖昧な気持ちの狭間にいる。
別にすべてを解决できたわけではない。岬はまだ真咲に執着していると思う。もう見えなくなった図書室でのあの子に毎日後悔を覚えていた。一人でお墓参りをすると行ったときの母の驚いた顔と言ったら。
ほんの数日前、はじめて創作ではなく現実の人の手を取った。それだけで花園の表情は明るくなった気がする。
風が涼しい。ぼーっと過ごしている間に長い休みに入ってしまった。目の前のお墓の前にしゃがみ込む。
どこからか、聞き慣れた彼の笑い声が聞こえた。
「また会えたね、お兄ちゃん。」
初投稿、色々不安ですがいかがでしたか?
少しでも暇が埋められていたのなら幸いです。
読んでくださりありがとうございました!