8.届かない距離
「今夜、君のところへ忍んで行こうかと思っていた。
だけど、さっき母に問い詰められて、君を愛していると言ったら、夜中に会いに行ったりしたら困ると『鎖』をつけられてしまって」
アルフォンスは首のちかく、なにもないように見えるところをつまんでみせた。
月光にキラキラと煌めく「鎖」が見える。
蜘蛛の糸のように細い「鎖」は、奥の部屋につながっているようだ。
「あ……『悪い子のしっぽ』!」
設定した地点から、一定の距離以上離れられなくなる魔法だ。
ジュスティーヌも子供の頃、館を脱走して森に遊びに行ったりした後に、父や乳母にかけられた覚えがある。
「公爵家ではそう言うのか。
その名前なら、ちょっとかわいいな」
「あの! 王妃様に、わたくしのことなんておっしゃったのですか?」
ジュスティーヌは話を強引に戻した。
さらっと、めちゃくちゃ大事なことを言われた気がする。
「レディ・ジュスティーヌと恋に落ちてしまったと母に言った」
「ふひゃ!?」
ぱっきり口にしたアルフォンスに、ジュスティーヌは謎の声を上げてしまった。
「あ。もちろん、その……接吻をしたことは内緒だ。
それで、私の妃は君以外考えられない、なんとか私達が結婚できる道はないかと母にすがったのだが……」
その結果がコレだ、とアルフォンスは「鎖」を揺らしてみせた。
「母が言うには、シャラントン公爵は君を絶対に手放さない。
無理に結婚しようとしたら、最悪、戦となることもありえると」
「戦!? なぜです!?
私達は元は同じ一族で、長年の友好国。
陛下と妃殿下、父は若い頃からの友人ではないですか」
ジュスティーヌは思わず声を上げた。
「ジュスティーヌ。
君も、将来の女公爵として大陸の歴史を学んでいるはずだ。
親戚どころか、父と子、兄弟姉妹が利権を巡って相争い、殺し合うことだってある。
それに……王国にとっては公国が持つ港、公国にとっては王国が持つ魔の森を越える街道は魅力的だ。
両国が争えば、エルメネイア帝国が介入する余地も生まれる」
「ああ……」
ジュスティーヌは声を漏らした。
確かにそうだ。
サン・ラザール公爵家の領地だって、昔は独立国だったのに、跡目争いから内戦が発生し、十数年も揉めてボロボロになったあげく帝国に併合されたのだ。
自分の母はエルメネイア帝国の皇女。
まだ対面したことはないが、今の皇帝は伯父だ。
シャラントン公爵家が他国と争えば帝国が乗り出してくるだろうし、介入して利を得るためにわざと対立を煽ることだってありえる。
「だがジュスティーヌ。
君のいない人生など、私にはもう考えられない。
君も、同じ気持ちだと思ってよいのだろうか」
「は、はい!」
ジュスティーヌは大きく頷き、思わず右手をアルフォンスの方へ差し伸ばした。
アルフォンスも身を乗り出して、両手をジュスティーヌの方へ伸ばす。
少しでも近くに、と身を傾けると、枝が大きくしない、葉が舞い散る。
どう頑張っても届かない距離が、2人の今の立場を表しているようで、ジュスティーヌはせつなさに胸を締め付けられた。
「ジュスティーヌ、下を見て。
影ならば届く」
差し伸ばしたジュスティーヌの手の影が芝生の上に伸びているのに気づいたアルフォンスは、自分の影がジュスティーヌの影に触れるように腕を伸ばした。
ジュスティーヌも、影と影が触れ合うように手を動かす。
芝生の上の2人が手をつないだ。
「この先どうなるかわからないが……
私の愛は、生涯、君のものだ。
結婚、してほしい」
「アルフォンス殿下……」
ジュスティーヌの眼に、歓びの涙が溢れた。
「殿下はいらない。
ただ、アルフォンスと呼んでくれ」
「愛しいアルフォンス。
求婚、謹んでお受けいたします。
わたくしの魂は、生涯あなたのものです!」
思わずジュスティーヌは叫んだ。
遠くで、物音がした。
警邏だ。
はっと二人は息を潜めた。
重なった影が離れる。
「まずい、今日のところは戻ってくれ。
明日、今後の連絡方法を考えよう」
「はい!」
無事、地上に降り立つと、ジュスティーヌはバルコニーを見上げた。
アルフォンスが投げキスの仕草をして、ジュスティーヌも返す。
近衛騎士達が近づいてくる。
ジュスティーヌは、木立の闇に紛れて、小宮殿へと走った。
最後に振り返った時、アルフォンスはもう見えないはずのジュスティーヌの方をじっと眺めていた。