4、ミラノと生ハムと憧れの女性
先週土曜に休日出勤した湯香は、この火曜は振替休日。
まもなく姫百合荘オープンから8ケ月がたとうとしていた10月であった。
湯香がバリバリ掃除を手伝ったおかげで午前中にはあらかた片づき、軽く昼食を済ませた後。
歯を磨いていた本日「在宅シフト」のまりあが、「うぎゃー」と奇声を上げた。
湯香と真琴が洗面所に駆けつける。「Gクリーチャーでも出た?」
身長182センチ、うねるブロンド、クールな水色の瞳、セクシーな厚い唇。
まるでハリウッド女優のような「スコットランド+スウェーデン系日本人」のまりあが、鏡を見つめて深刻な顔をしていた。
「今さらGなんかで騒がんよ、牧場育ちなんだから! それより今気づいたけど、顎が割れてきとる・・・とほほ」
「どれどれ」とよく見ると、たしかに「顎割れ線」がうっすらと出ている。
「ぜんぜんわからないよ!」
「白人の人は多いよね、女優さんでも割れてる人いるし」
「うちは父ちゃんも兄ちゃんもケツ顎だから、もしかしていつか私も・・・ と思ってたら、とうとうこの日が」
落ちこむまりあの頭を撫でてやる湯香。
一同ダイニングルームに戻りながら、真琴「フェイスパウダーでうまく隠す方法あるから。今度ローラさんに教えてもらいましょう、うちの美容部長だし」
まりあ「そだね・・・ とりあえずこれ以上広がらないことを祈るばかり・・・ 地球の大地溝帯のように・・・」
湯香「どんな美女でも顔の悩みは尽きないんだなあ・・・ 燃子ちゃんは眉が薄くなって悩んでるし、お嬢アリスンは鼻が大きいって気にしてるし・・・」
その時、宅配便の荷物が届いた。
管理人の紅鬼が対応し、住人用玄関ホールの荷物置き場のスペースにダンボール箱が積み上がる。
紅鬼「まりあー!牧場から肉が届いたよー 湯香も手伝ってー」
力持ちの2人が呼ばれる。
まりあの実家「姫神牧場」から、冷凍肉やハンバーグ、ソーセージ、生ハムなど、毎月定例の「ギフト詰め合わせ」が到着したのである。
湯香「うおー 肉ー!」
まりあと2人でキッチンに運びこみ、整理しながら大型冷蔵庫に収納していく。
「まりあちゃんの牧場からくる食べ物は何もかも美味いよね! 牛乳も美味い」
「サンキューな! おかげさまで獣畜振興会から支援も受けて、どうにか商売も軌道に乗ってきたわ」
「ねえねえ、実家にいる時はどんな食生活だったの? 肉食べ放題?」
「それがな・・・ 牛肉は大切な商品だから、めったに食べられなくてな・・・ タン、ハツ、ハラミ、レバーなんかの人気部位も口にできん・・・」
「ああ私ハツとハラミ大好き・・・じゅるり」
「あまり人気のない脳みそや腎臓はよく食べた。父ちゃんはよく牛の血を牛乳に入れて飲んでたな。あとは羊料理、鹿肉のシチュー、熊は肉も内臓も食べでがあったな・・・ それとイノシシ・・・」
懐かしそうな目をする。
「イノシシを生ハムにして、牧場のホームページに『数量限定、ご希望の方にお分けします』って載せたら、わざわざ関西から買いに来たアンポンタンがおったわ・・・」
それは、まりあが高校3年生の時のこと。
当時のまりあは前髪ぱっつん、髪の長さも肩に届かない程度、非常に田舎臭い雰囲気を漂わせていた。
(「湯香は美女だのハリウッドだの言ってくれるけどな、こういう外見の女が日本の学校に通ってる姿を想像してみ」「ああ、たしかに浮いてるかも・・・」「当時の私のあだ名はゴリラ」「ブッ」「もちろん面と向かって言う奴はいない・・・ 病院送りにされるからな」)
高校へは馬に乗って通っていた。
校則に「バイク通学禁止」とは書いてあったが、馬は禁止されていなかったから。
学校の先生方には、たまにダンボールいっぱいの新鮮な野菜をワイロとして贈呈、甘く見てもらっていた。
まりあが授業を受けている間、馬は学校周辺の空き地の草を適当に食っていたようだ。
「はあ~」もうじき学生生活も終わりだと思うと、涙まじりのため息が出る。
実は東京の大学に進学を希望していた彼女(成績はトップクラス)だが、この年、牧場を継ぐはずだった長男が「家出」したのである。
後に1通だけアフリカから絵ハガキが届いたが、どうやら世界放浪の旅を続けてるらしい。
自分なりに地球のすべてを知るまでは帰らない、と書いてあった。
(兄ちゃん、ひどいよ・・・)
長男がいなくなった以上、長女のまりあが牧場を継ぐしかない。
担任教師は非常に残念がって、「そんなに経済的に困ってるの? あの姫神山一帯がお宅の地所なんでしょ?」
「金の問題じゃないんです、人手が足らないんです。動物の世話は素人にはできないので・・・」
(「ちなみに世界放浪中の兄ちゃんが出会って恋人にしたのがミラ姉な」「ええっ!」)
決して牧場の仕事が嫌いなわけではないまりあだが、彼女なりの夢もあったのだ・・・
きらびやかな都会に出て、お洒落でナウい生活をしてみたい。
田舎臭さを脱皮して東京人となり、芸能人やスターの仲間入り、華やかな活動をしてトレンド入り、やがては日本のプリンセスに・・・(どうやってなるのかは、まったく考えていない)
ここまで話を聞いて、湯香は「相当アホだったんだね」
「ええ、アホでした! いくらでもバカにするといいよ! それが東京ハラスメントなんだと、何度言えば・・・」
「お兄さんとミラ姉の関係はどうなったの?」
「しばらくいっしょにいた後、目指す目的地がちがう、ということで別れたらしい」
「早いな!」
「いや、恋人として別れたわけじゃないって。私らには理解しづらいが、旅人として異なる道に進んだだけで・・・ 『また地球のどこかで会いましょう』みたいな感じだったらしい」
「カッコいいな!」
「その後、兄ちゃんは家に帰ってきてくれて、私は解放された。で、こうして姫百合荘で暮らしてる、というわけよ」
「おお、よかったね」
「それがな、ミラ姉はもともと、うちの兄ちゃんに会うために日本に来たのよ。その入国の手配とかを紅鬼さんがやってくれたんだけど、ご承知の通りミラ姉に惚れちゃって・・・ 強奪・・・」
「い?」
ここで紅鬼が「片づいたー? 姫神牧場特製ヨーグルトでもいただこうかな」と入ってきたので、話は止まる。
「なんの話してたの?」
「いえ、私の思い出話を・・・」
「あ、私も聞きたい!」
「そういえばイノシシの生ハムがどうこう、って」
校内から悲鳴がわき起こった。
「逃げて! 逃げなさーい!」
職員も生徒も大パニック、逃げ惑うしかない。
大型の野生のイノシシが校内に侵入したのだ。
走り回るイノシシの前に立ちはだかる1人の少女・・・
「何してるんだ壬生、避難しろ!」
だが、ここで誰もが唖然とする、恐るべき光景が展開する・・・
湯香「あ、これが有名な『イノシシを蹴り一発で仕留める事件』か」
紅鬼「とんでもないパワー、さすが晴嵐くんの妹・・・」
まりあ「ま、それはいいんですよ。肝心なのは、この後・・・」
この後、学校には警察と救急車が到着。
まりあは「かすり傷しかない」と救急車へ乗るのを拒否、それよりも警察に対しイノシシの死骸の所有権を強硬に主張した。
「私が仕留めたんだから! 私がもらっていいっしょ!」
そのうち姫神牧場から軽トラックが到着、イノシシを載せると、まりあも「早退します」と乗りこんで学校を後にした。
「早く血抜きせんとな!」
こうして絶品の「イノシシの生ハム」が完成したわけだが・・・
姫神牧場については「姫百合荘の生活」第5話、「姫百合荘の日々」第5話も参照。
高校卒業を間近に控えたまりあが、馬で牧場への道をのんびり進んでいると、前方に真っ赤なアルファロメオが止まっていた。
1960年代のジュリア・クーペと呼ばれる人気の旧車であり、ボンネットを開けて、長い黒髪の女性がエンジンを覗きこんでいる。
「どうかしましたか?」
人見知りのまりあだが、こういう田舎では困った時は助け合うもの。
女性は顔を上げて、まりあに笑顔を見せた。
「エンジン逝っちゃったわー。古い車だから」
ワンレンにつり目の猫っぽい美女、九頭身はありそうな見事なスタイル。
その匂い立つようなお洒落さんなオーラに、まりあは圧倒されそうだった。
「レッカーでも呼びましょうか?」
「JAFに連絡したから、もうじき来てくれると思うけど・・・ それよりお嬢さん、姫神牧場って知ってるかな?」
「あ、それウチですけど! 何か御用ですか?」
「あ、そりゃラッキーだわー。ホームページに出てたイノシシの生ハム! あれを買いにはるばる大阪府から来ましてん」
「えええーっ それは遠くからどうも・・・ 通販もやってますのに」
「このジュリアちゃんの試乗も兼ねてな! それに実物見てから買いたいし」
「じゃあ、JAF来るまでいっしょに待ちますよ。そしたら牧場のショップまでご案内します」
女性といっしょに車内に入り、自慢まじりの熱心な解説を聞く。
(女でも、わざわざこんな古い車買うマニアいるんだなあ)としか思えない。
ほどなくJAFがレッカー車で到着、修理工場へジュリアを引っ張っていった。
まりあは馬の背に女性を乗せ、自らも飛び乗って出発。
ワンレンの女性は後ろからまりあにしがみついて、「ありがとねー! 私、黒木燃子!」
「しっかりつかまっててください、黒木さん! 私は壬生まりあ、これでも日本で生まれ育った日本人です」
「まりあちゃん、王子様みたい!」
こんなきれいでお洒落な女性が、背中にしがみついている。
人生で初めての体験にまりあはドキドキした。
母ちゃんも美女で、しかも娘に抱きつくのが大好きだし、妹のありあも美少女で姉さん大好きっ子だが、身内と他人は全然ちがう・・・
話を聞くと、まりあより3つ年上の女子大生だった。
年上JDの黒髪の匂いの、なんとかぐわしいことか・・・
やがてカフェ&ショップに到着、燃子はイノシシの腿丸ごと1本を購入。(家にスライサーがあるとのこと)
その他にソーセージや冷凍の鹿肉シチューなど、いろいろお買い上げいただき、ありがとうございましたー!
カフェでまりあとコーヒーを飲みながら、「家にカフェがあるなんてステキやねー!」
ああ、この人の目はなんてキラキラしてるんだろう、ちょっと八重歯の覗く笑顔がなんてかわいいのだろう、とボーッとしながら、「あ、あ、あの、黒木さん? もう遅いけどバス停まで送ろうか? それともタクシー呼ぶ?」
「どこか近場にホテルかペンションあるかなー? 一泊して、明日修理工場によってジュリアの具合を見てから帰ろう思うねんけど」
「あの、それなら・・・ もしイヤじゃなかったら、うちに泊まりませんか? 私のベッド、キングサイズで大きいから」
我ながら思いきった言葉が口から出たものだ、とまりあは思った。
学校の友達すら、部屋に泊めたことはないのだ・・・
「え、いいの? お世話になりっぱなしで悪いわー」
「たくさん買ってもらったし、もうお得意さんだから!」
わざわざ大阪府の河内長野から生ハムを買いに来てくれた、ということで父も感激。
家族そろっての暖かい夕食をふるまってもらい、お風呂にも入って、まりあの部屋で2人きりとなった。
家から遠く離れてドライブ中にアルファロメオが故障、という事態に備えて燃子はお泊りセットと1泊分の着替えを準備していた。
Tシャツにトレパンというカジュアルな姿で、長い黒髪をとかしながら、「あらためて見るとまりあちゃん、別嬪さんやなあ」
「そう? 学校ではゴリラって呼ぶ奴もいるけど」
「なんじゃそれ! 100パー、ブスのジェラシーか、まりあちゃんに相手にしてもらえんチビ男のやっかみやろ!」
「女で身長180越えるとなー」
「スーパーモデルの世界ではチビな方やで。まりあちゃん、モデルさんになるといいよ」
「いっ!ファッション雑誌の表紙飾ったりするの? いやあ・・・ こっぱずかしい・・・」
赤面してクッションに顔を埋めてしまうまりあ、ちらっと顔をのぞかせて、
「黒木さんは卒業したら何やるの?」
「私、卒業の前にイタリア留学すんの! 来年ミラノに行く予定」
「留学!ミラノ! カッコいいなあ・・・」
羨望のまなざしで燃子を見る。「私・・・ 黒木さんみたいになりたい・・・」
女性に憧れる、こんな気持ちになるのは生まれて初めてのまりあであった。
大きいベッドに2人でゆったり横になり、コイバナとなった。
といっても燃子は今つきあってる男性はおらず、留学のことで頭がいっぱいで男どころではないと言う。
「それにイタリアでイケメン彼氏捕まえようという計画もあるしな。日本の男はいらん」
なので、もっぱらまりあの恋の相談相手に。
「え、お兄ちゃんが好きなの?」
「うん・・・ やっぱりマズイかな。兄ちゃんの子供産んだり・・・」
「かなりヤバイ線ギリギリやな。でも好きになっちゃったんなら仕方ないなー」
写真を見せてもらったが、「かなりマッチョでイケメンやしなー。ちょっと日本人ではこんな男はいないかもなー」
「兄ちゃん、熊と素手でケンカして勝ったこともあるよ」
「いや、それバキとかそういう世界やろ」
しかし・・・ 兄は昨年家出して、もう1年以上も海外を放浪している。
「もしかして、まりあちゃんの気持ちを知って、妹とヤバイ関係になるのを避けるために家出したとか?」
「あ、やっぱり・・・」(注:そういう理由ではぜんぜんありません)
「兄ちゃん以外では好きな人おらへんの?」
まりあは、すぐ隣で自分を見つめ返すキラキラした瞳に、頭がボーッとなって
「黒木さん・・・ 黒木さんが好き」
「えっ」
「あっウソ、ごめん! 口が勝手に変なことを・・・ 自分で自分がキモイ!」
「キモくないよ!」
「キモいよ!」
「私だって、私のことを愛してくれる人なら、男とか女とか関係ないから!」
「・・・マジなん?」
「マジやでー」
ドキドキハートがクライマックスのまりあだったが、これ以上はお互い口にするのがはばかられ、やがて燃子が眠りに落ちた。
まりあは一睡もできなかった。
翌日、まりあと燃子はメアドと電話番号を交換、タクシーで燃子は去っていった。
修理工場に立ち寄ったところ、すでにジュリアは生き返っていたという。
それ以降、燃子と会う機会はなかったが、定期的にメールのやりとりはあった。
翌年、無事にミラノ大学に留学したらしい。
イタリア生活の楽しいスナップや、ひどい目(盗難など)にあった報告など、たまに送られてきた。
が・・・ 燃子がイタリアに渡って半年ほどたったころ・・・
「恋人ができた」というメールが届き、それを最後にプッツリと連絡は途絶えた。
こちらから送信しても、返信は来ない。
まりあは知らなかったが実家にも同じころから連絡は無く、音信不通となっていた。
それから1年半ほどが過ぎて・・・ 日本国内で燃子の姿が目撃された。
体内に爆弾を抱えた自爆テロ部隊のリーダーとして、燃子は帰ってきたのである。
姫百合荘の豆知識(22)
風太刀記念会館前の広場、ここにかつて獣畜振興会初代会長・風太刀駿馬の若き日の銅像(老いた両親を2人まとめて背負う、通称「パワフル孝行像」)が立っていた。
が、畜産業に反対する狂信的ヴィーガンの動物愛護テロ組織の仕掛けた爆弾により、木っ端みじんに粉砕されたのである。
人通りのない早朝のことで人命を奪う意図はなかったと思われるが、運悪く朝早い飛行機の便で熊本から東京に到着した一家3人(父・母・息子)が巻き添えとなり死亡した。
やや離れた場所にいた娘だけが奇跡的に生き残る。(つづく)
念のため、この事件は燃子がイタリアに留学する6年も前のことであり、燃子とは無関係。
「ただいまー!」
本日「休みシフト」のまりあと燃子が、イタリア料理店でのデートから帰ってきた。
湯香が出迎える。「おかえりー! 何食ったのー? おみやげはー?」
「ニンニク光線!」プハー
燃子の口から吐き出される強烈なニンニクの匂いを浴びて、湯香はうずくまってしまった。
まりあ「今日はニンニク大量に食ったなー」
デートから帰ってきたカップルにお土産をせがむのは姫百合荘の御法度であり、この掟を破った湯香は制裁を受けたのである。
第4話 おしまい