2、確執と駆け落ちとロミジュリ
女性専用シェアハウス「姫百合荘」オープンから8ケ月が過ぎようとしていた、10月の火曜日。
夕食後、通称「いちゃいちゃルーム」と呼ばれるリビングで、今日は休みシフトのパンテーラと龍子の前に、ギャラリー(湯香、真琴、紅鬼、ミラル、アリスン、アン、まりあ)が集まってワクテカしていた。
まりあ「今宵は、あの2人のいちゃいちゃ劇場なの?」
紅鬼「パンちゃん劇場だよ。私は前に聞いたけど、知らない人も多いから」
メインの2人はソファーを占領し、秋だというのに相変わらずお揃いのタンクトップと短パン姿。
距離ゼロ・センチでピッタリくっついて、飲料水を龍子が口移しでパンに補給している。
「ぷはー」
黒髪をポニーテールにした褐色の肌のパン、くっきりした眉に輝く瞳、大きなキリッとした口の超美形である。
「お集りの皆さん、どーもどーも。ついに私の生い立ちを語る時が来たようです。1492年、コロン・・・」
隣りのアイドル顔の龍子が、「パンちゃん、巻き巻き巻き」と、指をグルグル回す。
紅鬼「ああやって注意する人がいないと、生い立ちをコロンブスのアメリカ大陸発見から語り始めるんだよね・・・」と、まりあに。
パンは仕切り直して、
「アマゾン川流域にはジャングルばかりでなく、広大な農園が広がり、大きな街もあるのです。さてここに、お隣さん同士なのに仲が悪い2人の荘園領主がおりました。1人はアルメイダさん、もう1人はクルスさん・・・ 土地の境界が接してるので、つまらないイザコザが毎日のようにあったのですが・・・ ある日!」
クワッとパンの目が見開かれ、みんなビビる。
「クルス家の使用人の無残きわまりない死体が発見されたのです・・・ 全身の肉が削げ落ち、ほとんど骨だけになってる」
アンが「こわいよう」と言い始めて、アリスンが3階の寝室に連れていく。
この間に再び、龍子の口移しで水分を補給するパン。
湯香が不安そうに真琴にヒソヒソ、「いちゃいちゃ話だと思ってたのに、パンちゃんの過去にいったい何が・・・」
生い立ち話が再開する。
「クルス家では、『アルメイダの奴らの仕業だ!』と怒り沸騰、戦いの準備を始めます。ところが、そこに・・・ 奴らがやってきたのです!」
真琴「パンちゃんの顔が怖い・・・」
「それは・・・ 全長10キロメートルにもおよぶ『黒い絨毯』! 恐怖の軍隊アリ、マラブンタの集団でした! 行く手を阻む生物はすべて食い尽す・・・ もちろんクルス家の使用人も、こいつらに襲われたのです」
聴衆はみな、ゴクリと唾を飲みこむ。
「もはや争ってる場合ではありません。アルメイダ家もクルス家もたがいに協力して防衛体制を敷きますが、それでも甚大な被害が出ました・・・ 家畜はほぼ全滅。ただ、ひとつだけ希望がありました。これをきっかけに長年の両家の不和は解消、アルメイダとクルスは手を取り合って、この土地を再建しようと誓いあったのです。それから50年・・・」
まりあ「パンちゃんの生まれる前の話か!」
ここでまた、龍子の口から水分補給。
「失礼しました。こうして仲の良いお隣さんとなったアルメイダ家とクルス家ですが・・・ ある年のこと。リオデジャネイロから訪れた金持ちがアルメイダ家の娘に求婚、めでたく結婚式となりました」
湯香が真琴にヒソヒソ、「パンちゃんのご両親かな?」
「ところが!」クワッとパンの目が見開かれ、みんなビビる。
「結婚式の夜、花嫁は実家に戻され、金持ちは1人でリオに帰っていきました。破談です。何があったと思いますか?」
ミラルは先が読めたな、という冷めた顔。
パン「この花嫁、処女ではなかったことが判明、夫に捨てられてしまったのです! 噂ではクルス家の三男坊が、かつてこの娘と遊んでいたらしい・・・ 『よくもうちの名誉を傷つけてくれたな!』と怒り爆発のアルメイダ家長男と次男が、クルス家三男坊を見つけ出し、教会前の広場でナイフでザックザックとメッタ刺し!」
湯香「ひえ・・・」
真琴「その話・・・ ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』じゃないの?」
パン「南米ではよくある話なのです」
紅鬼「さすが真琴、文学少女だなー」
パン「とにかく! 息子を殺されたクルス家も大激怒、『うちの息子が処女奪ったという証拠もないし、単なる噂なのにムキーッ』というわけで、両家の関係は完全に破局、泥沼の戦争状態へと突入しました・・・ それから100年が過ぎた今もなお、両家は激しく憎みあっています。日本人が考える『ご近所トラブル』とは次元が違う。どちらも牧童はM16自動小銃やサブマシンガンで武装し、毎年何十人も死者が出るのです」
まりあ「マラブンタの話はなんだったんだよ・・・」
パン「アマゾナス州知事はもちろん、この争いを調停しようとしました・・・ が、アルメイダ家から『ウチを有利に裁定してくれー』と賄賂が贈られる。さらにクルス家からも賄賂が贈られる。知事はウハウハです。こりゃ争いが続いた方が儲かる・・・」
湯香「パンちゃんは、いつどこで登場するの?」
ジャングルを切り開いた森の教会で、少女は1人祈っていた。
(今日も皆が幸せでありますように・・・)
黒い髪を後ろで編んだ、褐色の肌の超美形。
立ち上がると、教会の入口でピューッと口笛を吹く。
それを合図に、2頭の馬が引く荷車がやってきた。
少女はバッと飛び上がると空中で1回転、みごとに御者席に着地する・・・ 荷馬車、発進!
「パンちゃんパンちゃん私はパンちゃん、村一番のスーパー女の子!」と明るく歌いながら、農園を貫く未舗装の道路を走り抜けていく。
働く農夫たちが少女に手を振る。
前方にバスが見えてきた。
少女は馬にムチをくれスピードアップ、たちまちバスを追い抜く・・・
まりあ「インド映画かよ!」
またまた龍子から水分補給、口を拭きながらパン「母はアルメイダ家の料理人でしたが、私が7歳の時に亡くなりました。その後、領主様のドン・ダニーロ(Don Danilo)が訪ねて来て、私の頭をナデナデしながら、『大きくなったな・・・ お前もそろそろ学校へ行け』と言うのです。後で知りましたが、私は領主様の隠し子だったのです」
真琴「あの・・・ パンちゃんは生まれつきレズビアンだったの?」
「まさしく」重々しくうなずくパン、「あろうことか初恋の相手は・・・ 宿敵クルス家の当主ドン・ヴィトール(Don Vitor)の末娘、ベアトリス・イレーネ・クルス(Beatriz Irene Cruz)だった・・・」
クルス家の敷地に忍びこむ少女パン、豪壮な館の前に生えた木によじ登る。
小石を窓に投げつけると、それを合図に窓が開き、黒髪の愛らしいベアトリスが顔をのぞかせる。
「おおパンテーラ・・・ どうして、あなたはパンテーラなの・・・」
紅鬼「あ、これはさすがに私でも元ネタわかるわ」
パン「人の人生を元ネタとかいうな!」
龍子から水分を補給しようとするが、「1本空になったから取ってこようか?」と言われ、
「イヤ、離れないで・・・」龍子を抱き寄せる。
湯香「話しにくいところに差しかかったようだな」
龍子「パンちゃん、がんばって! 私は何度でもしっかり聞くから」
パン「うん・・・ この愛が許されるはずはなかった・・・ 宿敵同士のアルメイダ家とクルス家、白人領主の令嬢と混血児の使用人、そして女同士・・・
私が16歳、ベアトリスが18歳の時、2人は駆け落ちして大都会サンパウロへ・・・ アパートの一室で、私たちは朝から晩まで愛し合って・・・」
みんなが身を乗り出すが、パン自身が指を回して「巻き巻き巻き巻き」
湯香「どうでもいい話は長々と語って、肝心なところは巻くのか!」
紅鬼「まあまあ湯香。龍子の前だし、話せないこともあるよ」
パン「やがてベアトリスがサンパウロ大学に通い始め、私は2人の生活を支えるため、いろんな仕事を転々とした・・・ ご存知の通りサンパウロには日本国外で最大の日本人街があります。私は『ふんどし一丁』という日本料理店で働き始め、そこで日本式の餃子と出会ったのであります!」
パンの目がキラキラ輝き始めた。
真琴「中国では餃子といえば水餃子で、残り物を焼き餃子にするんだよ」
紅鬼「パンちゃん、餃子の話は巻きで」
湯香「誰も『ふんどし一丁』にはツッこまないのか・・・」
パン「ご存知の通りサンパウロには日本国外で最大の日本人街があります。私は『エロティカ堂書店』という本屋で百合漫画に出会いました! それが日本語の勉強を始めたきっかけです」
パンの目がキラキラ輝き始めた。
「英語やスペイン語、ポルトガル語に訳された百合漫画はごく一部しかなく、百合オタクVチューバーいちのかアウちゃんが推してるようなマイナー百合漫画を読むには、日本語を習得するしかなかったんだよねえ」
紅鬼「パンちゃん、オタクっぽい話は巻きで」
湯香「誰も『エロティカ堂』にはツッこまないのか・・・」
パン「で、ある日ベアトリスが、ある物を私にプレゼントしてくれた・・・ 私のサンパウロ大学法学部卒業証書! もちろん偽造だけど、そういうわけで私の最終学歴はサンパウロ大卒なのです」
紅鬼「ずるいパンちゃん!」
ミラル「ずるいずるい!」
湯香(あの2人、学歴コンプがあるのか・・・)
突然パンの目から光が消えた。
「そんな幸せな日々に、終りが来ました・・・ ベアトリスが変わってしまったのです」
真琴「どんなふうに・・・」
パン、吐き捨てるように「政治だよ! もともと大学なんて左巻きが多いけど、特にタチの悪い過激な極左運動に彼女はハマってしまった・・・ もちろん私も誘われたさ、『いっしょに戦って! この腐敗した政府を打倒しよう!』って・・・ でも暴力的なデモを組織して商店を焼き討ちしたり、爆弾テロや暗殺事件を引き起こしたり、憎しみに満ちた血みどろの戦いの果てに未来があるとは思えなかった。ベアトリスのまわりにいるアンティファの連中も嫌いだった。もう別れるしかなかった・・・ その後、南米各地で起こるテロ事件のニュースを見るたび、ベアトリスの名前を聞くんじゃないかとビクビクしたよ・・・」
紅鬼「シリアスな話になってきたし、そろそろお開きにしましょうか」
パン「それから私はブラジルを離れフランスに渡った。もう人生どうにでもなーれ、と思って外人部隊に入隊したわけさ。そこでアニメ「ぷりぷり7」にハマり、マイちゃん推しになって、それが縁で日本に来たっつーわけ(「姫百合荘のナイショ話」第6話参照)」
先ほどから押し黙っていたまりあが、「ベアトリスって名前・・・ どこかで聞いたことあると思ったんだけど・・・ ある晩、燃子が寝言で口にしたことがあって・・・」
ハッとする紅鬼、「もしかして・・・ 『ミラノの恋人』?」
まりあ「私たちは『ミラノの恋人』は男だって決めつけてたけど、女って可能性もあるよね?」
紅鬼「パンちゃんの恋人だったベアトリスさんがミラノに渡って、『赤い旅団』の一員となり、燃子と出会っていたってこと?」
パン「マジか? もし本当にそうなら、ベアトリスが燃子をあんなことに引きずりこんだっていうなら、許さない! 過去の因縁の決着をつけてやる!」
ミラルが口を挟んで、「まあ、みんな落ちつきなよ! そんな偶然そうあるもんじゃないし、ベアトリスなんてよくある名前だよ!」
紅鬼「そうだね、もし仮にベアトリスが『ミラノの恋人』だったとしても、もう私たちは暴力の世界とは縁を切ったんだから! イタリア警察に調べてもらうくらいはしても、私たちの手を血で汚すようなことはダメよ、パンちゃん!」
パン「ううう~」
湯香と真琴は顔を見合わせ、(なんの話かわからないね)(そうだね)
姫百合荘の豆知識(20)
風太刀記念会館の15階・16階に「風太刀記念財団」が入っている。(本館は16階建てなので、この上には屋上庭園とペントハウスしかない)
ホースレースの収益金が獣畜振興会に入る、それを「風太刀記念財団」が預かっていろいろな方面に投資運用、数倍に増やしたうえで獣畜振興会に戻す。(その際、利益のほんの一部を使って創業者・風太刀駿馬を顕彰する事業を行う。銅像を建てるなど)
という目的で創設された、ちょっと怪しいこの財団、海外にも投資するので24時間体制で活動している。
「女性専用Bar 秘め百合」の常連・由利花枝は、この財団の秘書室長。
夜烏子は秘書室の遅番で22:30までの勤務。(土・日・月・火曜)
月収は手取りで30万以上、ここから10万を小遣いとして取り、残りは「家賃」として献上。(ちなみに姫百合荘の住人は光熱・水道費はもちろん食費もほとんど不要)
続いて、龍子も少し自分のことを語ることになった。
「大阪城があった場所は、かつて石山本願寺というお寺があったのですが、織田信長がこれを包囲して、城を作るから場所を明け渡せと・・・」
紅鬼「龍子、巻き巻き巻き」
「私は大阪で生まれ育ちましたが、大学進学を機に東京へ移りました」
ミラル「女子プロレスラーだったんだって?」
「ハイ。昔からプロレス好き、筋肉好きだったので・・・ 思いきってチャレンジするのは今しかない!と、大学を中退して飛びこんだのですが・・・ 今思うとバカなことしたわ笑」
女子プロレス団体「タタカウ・ガールズ・コレクション」の練習生となった龍子、ここで同期の湯香と出会う。
「彼女は高校卒業後、半年間アクション女優の見習いをしていたのですが、このCG全盛の時代、男性ですらスタントマンの仕事はなかなかない・・・ 学校の安全指導会でトラックにはねられる仕事しかない・・・ ということで、女子プロレスに転向したようです」
いきなり自分の話になってて、あわてる湯香、
「それもあるんだけど、実は『アクション』はともかく『女優』の方がからっきしで・・・ って、私のことはどうでもいいだろ!」
湯香はそのパワー、格闘センス、ともに圧倒的で、先輩レスラーですら全力で相手をしなければならないほどだった。
まさに彗星のごとく現れた超大型新人。
一方の龍子も新人ながら100種類もの技を駆使する「技の100円ショップ」、しかもアイドル並みのかわいい顔立ち。
2人とも団体を背負って立つスター選手になるだろうと、大いに期待された。
団体の宿舎で、龍子と湯香は同室となった。
練習後の汗にまみれた湯香の匂いを、いきなり龍子がクンクン嗅いできたという。
「私、汗の匂い大好き! 努力してる人の匂いだから!」
さわやかに笑う龍子、しかし湯香は冷たく「キモい」
また、龍子は女子高出身なので、女子との距離が近かった。(「姫百合荘の日々」第3話参照)
ベッドに腰かけた湯香の5センチ隣りに腰かけて、顔は10センチの距離で話すので、共学出身の湯香は焦りまくった。
これほどの至近距離で平気で相手に息を吐きかける人間は、よほど口臭に自信があるのか、それとも私に気があるのか・・・(龍子は韓国料理や餃子を食べた後でも、平気で至近距離で話しかけてきた)
「近い近い」というと「あ、ごめん」と言いつつさらに体と顔を寄せてくるのは、果たして嫌がらせなのか距離感が狂ってるのか、想像もつかなかった。
たまに「湯香の体温が欲しい」という理由で、上段から下りてきて下段の湯香のベッドに潜りこむことがあった。
ついには「龍子さんがセクハラする」とコーチに訴えて、部屋を別にしてもらった。
その際、龍子は泣いていたという。
だが湯香は実際のところ、「顔がかわいい」というだけでアイドルのようにチヤホヤされる龍子に対し、あまり好意を持っていなかった・・・ ハッキリ言うと嫌っていたのである。
龍子は練習試合では、1度も湯香に勝てなかった。
先輩ですら湯香が手加減しないと負けることもあるのだから、仕方のないこと・・・
だが龍子の心の底には、湯香に対する激しい嫉妬が渦巻くようになっていた。
それはファンを招いての「新人お披露目試合」でのこと。
誰も予想できなかった事態が起こった。
観客を前にすると、龍子が実力以上のパフォーマンスを発揮したのである。
彼女は典型的な「ステージ型」の選手であり、その華麗なテクニックに観客は酔いしれた。
一方の湯香は・・・ 龍子と正反対だった。
極度の上がり症だった彼女は、観客の目にさらされると実力の半分も発揮できなかった・・・
龍子との試合では、練習試合とは真逆の光景が展開される。
終始、龍子に好きなように技をかけられ、なす術がない湯香、ついにKOされる。
ここで・・・ 龍子の中の黒い何かが爆発した。
リングシューズで湯香の顔を思いきり踏みつけたのである。
ミラル「それはひどい・・・」
まりあ「顔に似合わず、けっこうエグいことするな」
龍子は泣きながら、「湯香、本当にゴメン!」
紅鬼は湯香に、「それでプロレスやめたんだっけ?」
「うん、お客さんの前で実力出せなかったら、何の意味もないからね・・・ プロレスラーは武道家じゃないから」
パン「龍子も結局、湯香の後を追うようにしてやめたんだよね」
龍子「生まれつき筋肉がつきにくい体質で、パワー不足だったから・・・ プロの世界では通用しないことがわかって」
涙をふいて、「でも本当に湯香には申し訳ないことをした・・・ 後で後悔したし、ずっと、なんであんなことしたんだろうって悩んだよ・・・ 湯香に許してもらうまで何年もかかったし・・・」
湯香「許してないよ」
龍子「でも今はこうして、同じ屋根の下で・・・」
湯香「だから許してないってば」
うわーん!と龍子がつっ伏して泣き出したので、
パン「湯香、私からも謝るから!」
真琴「許してあげなさいよ!」
紅鬼「おねがい湯香・・・」
このように圧力がかかったので、許さざるをえなかった。
湯香「ちぇ~」
龍子「ごめんよおおお」
第2話 おしまい