ご対面
「王太子殿下に置かれましては、ご機嫌麗しく」
傷のついた身体は王族に会うために隅々と磨き上げらていた。
そもそも貴族令嬢は肌をそう露出させないのが上品とされているので都合のよい型のドレスはたくさんある。
いつもは訓練の邪魔にならないように後ろに一つで括り上げている髪を久方ぶりに綺麗に結い上げて貰い、顔には軽くお化粧を施す。
レースの手袋をしてしまえば豆が出来ては潰れて硬くなってしまった掌を人に晒すこともない。
ドレスの裾を持ちあげ淑女の礼を取れば、目の前に座る王子はにこりと笑う。
一見するととてもきれいな笑顔だが、その腹は何を考えているか分からない。
ゲームシナリオでのゼロス王子は、雇主に絶対的な中世を誓う騎士を側において、圧倒的な美貌と氷の心は彼を孤高の王子にしていた。
その身体を護り心を支える役割を持つ騎士の忠誠が彼に向いていたのなら、また展開は変わっていたのかもしれない。
けれどマルビスお兄様の雇主は王子ではなくこの国の王であり、故にお兄様がその命令を絶対とするのはあくまでも国王だったのだ。
ゼロス王子は他人の物には執着しない。
そもそも全く興味がないのだ。
彼の周りには物が沢山あったけれど、何れも彼は執着を見せなかった。
王子という立場は、すべてを持っているようで何も持っていなのだと、シナリオ中に彼は語っていた。
そんな何物にも興味も執着も見せない彼が、初めて手に入れたいと思った物。
それがヒロインであるオーシェ・ララート。
彼女は王都にそう居ない健康そうに焼けた頬をほころばせて王子に向かって微笑みかける。
最初はやはり興味は持たなかった。
けれど物怖じしない彼女の快活な笑顔が欲しいと思ってしまった氷の心を持った王子が執着を見せ始め、オーシェもまたそれを受け入れて氷を溶かしていく。
それがゼロスルートの主なシナリオだ。
ツンドラ王子がツンデレ王子になる様は確かに覚えている。
何度も悶えた記憶もある。
今私が対峙しているのはそのゼロス・メイ・ロードヴェルグ。
この国の第一王子にして王位継承権第一位のその人だ。
「ゼロス、彼女は代々我らに仕える騎士の一族の出だ。女児ではあるが剣の腕も立つと聞く。お前が10の年を迎えたら彼女が何があってもお前の命を護る任につく。あまり無茶なことを言うんじゃないぞ」
王子は8歳。私が6歳。
地獄のような戦闘訓練が始まってから2年が経った。
今日は未だ盛大な騎士任命式なんかではない。
簡単な顔合わせ。自己紹介を交わす場だ。
しかし彼は特に何を言うでもない。
ただ笑っている。
それはそれでいい。
彼がヒロインの心を溶かす様子を一番近くで見物するだけだ。
「…ゼロス・ロードヴェルグです、よろしくお願いします」
依然と笑顔のまま、視線が上から下へと値踏みするように移動する。
王子の噂は我が領土にまで響き渡ってきている。
『神童』であると、いかにゼロス・メイ・ロードヴェルグという人間が生まれながらにして天賦の才を持っているかという。
今はまだゼロス王子は乙女ゲームの立ち絵のように達観した瞳で世界を見ていない。
純粋に、自分に害を及ぼす人間かどうかの値踏み。
記憶を辿ればシナリオ内で語られていたゼロス王子の過去。
10歳でマルビスお兄様がゼロス王子の護衛騎士の任に就いた。
それからずっと信用と信頼を寄せていたマルビスお兄様がゼロス王子と交わした約束事。
絶対に明日の夜は僕と剣の特訓をしてね、ときらきらした絶対、絶対だからね!と念を押し笑顔で指切りまでした。
マルビスの誕生日。
彼は剣の特訓を終えてからマルビスの為に作らせた豪奢な剣を贈ろうとしていた。
これからの未来を、護衛騎士として自分に一番近い位置で生きる彼の為に用意したそれ。
しかし結果としてマルビスは来なかった。
約束した時間に丁度、雇い主から任務を言い渡されたのだった。
結局、王子はそれを機に、一番近くに居る護衛騎士ですら自分のものではなかったことを思い知った。
そして彼は、興味を棄てた。
何もこれはマルビスお兄様が悪い訳ではないと身内ゆえにフォローしておく。
だってマルビスルートでは実際此処で王子との約束と雇い主からの命令に板挟みにされ葛藤する描写があった。
まあ結局は命令をとってしまったんだけれども。
翌日王子に謝ろうと思っていたお兄様だけれど、心を閉ざしてしまった王子はそんなお兄様の謝罪を笑顔で流すだけだった。
自分の持つ剣に似せ、中央を飾るお兄様の目の色をした大きな宝石が填まった輝く豪奢な剣は、それ以降日の目を見ることもなく王宮の宝物庫に捨て置かれただけだった。
それからは、あとは若いお二人で…といったように王子と二人にされた。
今日はまだ騎士としての邂逅ではなく一公爵令嬢としてではあるのでお茶の席に同席しているのだけれど、久方ぶりに食べた甘味が心が痺れる程美味しい。流石王家。最高級の甘味をいただきながらこれまた最高級の紅茶で喉を潤す。
最高に贅沢すぎる瞬間に感動して涙が出そうだ。